Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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ハシゴを使って先に王女を窓から部屋に戻らせ、シンはいつもと変わらぬ様子で執事の前を通り王女の勉強部屋へと向かった。

「シン先生。ドキドキしちゃいましたね!気付かれていないといいんですけど…シン先生まで怒られたら申し訳ないですもの。ソウシは怒るととっても怖いんです」
悪戯が見つかりそうになって興奮している子供のように、王女は饒舌に話し続ける。
「だってずっとこのお部屋でレッスンばかりなんですし、勿論シン先生とお勉強するのは好きなんですけれど…礼儀作法や王家の歴史やら現社交界情勢やらのレッスンもあって、眠くなってしまうものばかりで」
シンは黙って王女の机の脇に腰を下ろし、昨日出した課題の添削を始める。

シンがプリンセスの家庭教師をはじめて三週間。
随分信用されたのか、すぐ側に執事が控えているとはいえ部屋のドアは閉じられている。
部屋はシンと王女の二人きりの空間になりつつあった。

「退屈なレッスンよりも国外の本を読むほうがずっと楽しいのに」
王女が小さく呟く。

(そういえば以前『海賊』の本を読んでいたな…)

「国外に興味があり情報を得ることは一国の王女として重要なことだと思いますよ」
シンがそう答えると、
「シン先生は海を見たことがありますか?」
課題をチェックしていたシンの手は思わず止まった。
「ええ。ありますよ」
「凄いですね!この国は他国に囲まれ内陸に位置しています。王宮から出たことのない私は海を見たことが無いんです。湖よりももっと大きいんですか?」
「そうですね。とてつもなく広く、美しい」
王女はますます目を輝かせる。
「それは絶対に見てみたいですわ!」

(海か。確かに内陸の国で一生海を見ずに終える者もいる。珍しい話じゃない)

「海賊の本から得たものはありましたか?」
シンが訊ねると、
「やっぱりシン先生は気付いていらっしゃったんですね…。お父様は海賊反対運動を支援していらっしゃるから、あんな本を私が読んでいると知れば卒倒なさるわ。でも私はいつかこの国を出て海を見て、色んな国へ行って色んな人に出会いたいの。だからまずは色んな国の優秀な方が集まるという帝国学院に入学したいんです。帝国学園のあるモルドー国なら海に面しているでしょう?」
「…」
シンは黙ったまま、課題の確認に視線を戻した。

(よほど努力をしているのか、思っていたよりも学力は上がってきている。このまま試験に的を絞って進めればギリギリ合格することも出来るかもしれない。だが…)

どれほど努力をし合格したとしても、王家が第一王女である彼女を易々と自由に他国に留学させるとはシンには思えなかった。
王女を合格させるべきなのかシンは悩み始めていた。

「海の話はハヤテから教えてもらったんです。ハヤテも海に興味があるから、いつか一緒に見に行こうって約束をしていて」
思わぬところでハヤテの名前が出てきたことで、おさまりかけていたモヤモヤとした気分がシンの中に湧き上がる。

「ああして時々彼に会うために抜け出しているのですか?」
シンの声が王女のおしゃべりを遮った。
「え?ハヤテですか?そうですね」
「彼のことが好きだと?」
「好き?えっと、はい。ハヤテは大切な幼馴染なので好きです」
「訊ねているのはそういう意味はありません」
「うーん。あの、でしたらどういう意味でしょうか?」
キョトンとした顔で王女はシンを見る。

「さきほど私に花が似合うとおっしゃいましたが、まだ私を女だとか言い出すんじゃないでしょうね」
「いいえっ…お気を悪くされてたのならごめんなさい。女の私でも憧れるくらいシン先生がお美しいって言いたかっただけで…」
「美しい?」

(俺のどこが美しいのか教えてもらいたいものだな。無垢な温室育ちと違って物心つくころには汚いことも随分やってきた。自分自身でも反吐がでるほどだというのに)

シンはぐいっと王女の腕を掴んだ。

「え?あ、あのっ…」
ドサッと脇にあったソファーに王女は押し倒される。
真正面から見つめ合った視線を外せず、驚いた顔のまま王女は自分を組み敷くシンを見上げた。
「シン先生…?こ、これも何かのレッスンなんでしょうか…?」
不安げに訊ねる王女にシンは冷えた瞳を向ける。
「ええ、そうです。貴女にお教えしなければなりませんね」
「何を…ですか?」
「貴女は私を『美しい』とおっしゃいましたが、貴女のほうが余程その形容にふさわしいと思いますよ」
「えっと…」
「貴女は美しいと申し上げているんです」
シンの言葉の意味を理解し、王女は一気に頬を染めた。

(そして無防備すぎる)

シンの長い指でシュルッと滑らかな音を立ててリボンが解かれ、王女のドレスの胸元が肌蹴る。
「あっ…」
王女が小さな声をあげたと同時に、シンは両手で王女の両手を掴み、ソファへと縫い付けるように押し付けて自由を完全に奪う。

「今日は特別レッスンです。貴女はどうにも隙がありすぎる。例えばこうやってあの男に捕らえられたらどうするおつもりですか?」
「ハヤテに…ですか?ハヤテは私にこんなふうに近づかないです。いつもむしろ慌てて離れますし…」
「あの男からというのは例えばの話です。男というものは優しげに見えて突然豹変することだってあるんですよ。今、私に突然こんなことをされて、貴女はどう抵抗するおつもりですか?」
「ええと…?」
王女はまるで数学の問題を解くかのように頭を悩ませる。

「どうしました?抵抗する術を覚えなければ、私にされるがままになりますよ」
息のかかるほどシンの顔が近づく。
「貴女はこんなにもか弱い。自由を求めるのであれば己の身は己で守る術を覚えるべきですね」
肌蹴られた胸元に吐息がかかり、王女は思わず身をよじる。
「っ…」
小さな溜息が王女の唇からこぼれた。

「っ…あのっ、シン先生…」
「なんですか?」
「抵抗するのが正解なんでしょうか…?」
王女が小さな声で頬を染めながら訊ねた。

「……どういうことです?」
「だって…私…シン先生にこうされて…ちっとも厭だと思わないんです」

「…」
「胸がドキドキして今にも破裂しそうなくらい苦しいんですけど…でも厭な苦しさではないんです。それにシン先生、とってもいい香りがするんですもの」
シンは近づけた身体を離し、はにかみながら睫毛を伏せる王女を改めて見つめた。

女に好意を告げられるのはシンにとって珍しいことではない。
王女に好意を持たれることも、ティアラを手に入れる為の計算のうちであり、今の流れはシンにとって予測していた事だった。

なのに、
「チッ…」
シンは軽く舌打ちした。

そしてスッとソファから立ち上がる。
「シン先生…?」
王女は肌蹴た胸元を引き寄せ、無垢な顔でシンの名を呼ぶ。

「失礼いたしました。貴女が抵抗しないのであれば教育になりませんね。特別授業と無駄話は終わりです。さて、課題で間違っていた箇所をお教えいたしますので机へお戻りください」
シンは何事も無かったかのように机へと戻った。
淡々としたその声は湧き上がる何かの感情を抑えようとわざと温度を低くしたようだったが、王女はそれに気づくほどの経験を持ち合わせてはいなかった。




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