Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「何をなさっているんです?」
「あっ!シン先生…」
中庭を抜け、いつものように王女の勉強部屋へと向かうシンの瞳に飛び込んできたのは、かの王女が庭の大木に張り付いている姿だった。

(何やってるんだアイツ…)

「プリンセスが木登りとは感心しない趣味ですね」
まるであの柔和な執事が言いそうなセリフをシンはため息交じりに呟いた。

「シン先生。木登りではないんです」
「そうですか。では無様に木に抱き付く遊びでもしているんですか?」
王宮深くとはいえ、人の行き来がないとは言えない。
捲れ上がったドレスの裾から覗く白い足が誰かの目に触れる可能性を想像すれば、シン自身でさえも認識していない征服欲が僅かな嫉妬を運び、声はさらに不機嫌さを増す。

「もうすぐ勉強の時間ですね。昨日私が与えた課題は終わっているのですか?」
「課題…は終わって、ますっ」
「なるほど。では勉強が厭になって脱走でもするおつもりでしたか」
「いえ!勉強が厭というわけじゃないんです。むしろシン先生が教えてくださるなら毎日楽しみというか…」
「何ですか?ごにょごにょと小さな声で」
「なな何でもないです!」
シンがいる位置からは逆光で見えなかったが、王女は顔を真っ赤にして俯いた。

「これはっ…お、お…降りられなくなったんです」
王女の答えに、シンはあっけにとられた顔で彼女を見上げる。
「降りられなくなった?」
改めて見れば、立派に伸びた大木の先は二階にある王女の勉強部屋の窓へと続いている。窓にくくりつけられたロープが王女の腰へと巻き付けられていた。

(命綱まで用意して窓から脱走か。何をするつもりだったんだコイツ。本当に行動が予測できないヤツだな…)

「見に行きたいものがあったんです。シン先生が来られる前に外で待ち伏せする予定だったんですけど…降りられなくなって。やっぱり一人では無理なのかしら…」
「勝手に抜け出して執事に怒られると思わなかったんですか?すぐに気付かれますし貴女に何かあれば彼が責任を問われるんですよ」
「ごめんなさい。すぐに戻るつもりですし、代わりを置いてきたからしばらくは問題ないはずなんです!」
「代わり?」
王女は得意げな声になる。
「ぬいぐるみに布を被せて机に縛ってきたんです」
「…」

(そんな子供だましがきくような相手じゃないだろうが、この様子じゃ今までも代わりを用意して部屋を抜け出していたようだな…ったく、あの執事は結構この女に甘い)

目の前のお転婆な王女はシンの眉間のシワを気にもとめず無邪気な声で提案をする。
「それよりシン先生。今日はお天気も良いですし、少しだけ一緒にお散歩しませんか?」
「…」
「課題は全部終わらせていますし、まだレッスンまで時間もあります。だから少しだけ息抜きをしませんか?!」
シンは長い指を細い顎にあて、少し考え込む様子を見せた。

「で?息抜きだと言う前にどうやってそこから降りるおつもりですか?」
「っ…!ま、待っててください。すぐ下に…」
「それ以上下がるとドレスの中が見えそうですが気付いていますか?」
わざと意地悪く訊ねるシンの言葉に、王女は慌ててドレスの裾を押さえてピタリと動きを止める。

「…先生…」
「何でしょうか?」
「あの…降りられないんです」
「先程聞きましたよ。でしたら貴女は私に何と言うべきなんでしょう?」
シンの落ち着き払った声に王女は観念したようにうなだれた。
「シン先生。助けてください」

(一国の王女が只の家庭教師に物を頼むのに『助けてください』とは。横柄に命令しても誰も咎めはしないというのに相変わらずイジメがいのある女だ)

満足した表情を浮かべたシンはわずかに笑顔を作る。
「良く出来ました。まずは結んでいるロープを外しなさい」
「はい。えっと…シン先生、外しました」
「ではそこから飛び降りなさい」
「えっ!?とびっ…む、むりっ」
「無理、ではありません。いつまでも木に張り付いていたいなら邪魔はしませんが、貴女に勉強を教えないと私の仕事になりません」
「でもこんなところから飛び降りるなんて…」
「窓から脱走しようとした時点でそれくらいの覚悟はしておくべきでしょうね」
「…っ」
「私が下で受け止めます。飛び降りなさい」
「でっでも私重いですし…シン先生が怪我したら…」
「この間私の身体に触れたでしょう?貴女を受け止めたくらいで怪我はしません」
「飛び降りるなんて…」
王女の躊躇う姿に、シンはついに慇懃な態度を崩す。

「チッ。いーからつべこべ言ってねーで飛べ!」
「えっ!きゃっ…!!」
驚いた王女が足元を滑らせて木から降ってくる。

ドサッ

「シン先生…」
ふわりとシンの深い香が鼻腔をくすぐり、気付けば王女はシンの腕に抱きとめられていた。
「さきほどのは…」
パチパチと瞼を動かし、まだ驚いた様子の王女に対して、
「痛いところや怪我はありませんか?」
シンは優美な笑顔を作る。
一瞬見せた普段の彼はもうどこにも見えなかった。
ゆっくりと王女を地面へ降ろすと、パチンと懐中時計を取り出し時間を確認する。
「少しだけなら時間はありそうですね。さて。あんなはしたない姿を見せてまで行きたい場所とはどこなんですか?面白いものを見せてもらったお礼として10分だけなら付き合います」
「面白…?え、えっと。これが届いて」
「紙飛行機?」


導かれるまま王宮の裏道をついていくと、広い庭園へと出た。
「ハヤテ!」
美しく咲き誇ったカトレアの中心に立っていた男を王女は親しげに呼ぶ。
男は地味な恰好をし、泥を顔につけたまま振り返った。
だがむしろ、汚れた服装がハヤテと呼ばれた彼の輝くような金色の髪や少し焼けた肌、澄んだ碧い瞳の美しさを際立たせている。
「おまっ…どーやって来たんだよ!今の時間は勉強じゃねえのか?って…ソイツ誰だ?」
くだけた口調は王子のような見た目からは想像もつかないほど粗野なものだった。
「ふふ。驚いた?ハヤテがいつも木をつたって来るでしょ?私もできるかなって思って出てきたの」
「おまえなぁ。あぶねーだろ。何かあったらどーすんだよ。俺が迎えに行くまで待ってろって書いただろ」
「うん。でもシン先生にもどうしても見て欲しくて待っていられなかったから」
「シン先生?ああ、最近来てるっつう家庭教師か。へえ、ソイツが」
王女に馴れ馴れしい口を聞くハヤテと呼ばれた男をシンは複雑な気持ちで眺めた。
「あ!ハヤテ、顔に泥ついてるよ」
王女が伸ばそうとした手をハヤテは一歩後ずさって避け、
「あ…ああ」
とだけ言い、照れたように乱暴に袖で拭う。

(風貌からして庭師か?そのわりに王女と気心知れたといった様子だ。まさか恋人か?)

「シン先生。彼はハヤテ。幼馴染なんです。庭のお花はいつもどれも凄く素敵でしょう?ハヤテが育ててくれているからなんですよ」
王女は嬉しそうに笑う。
「そうでしたか。親しげなのでてっきり恋人かと思いましたよ」
シンが笑みを作り述べると、ハヤテは顔を赤くして慌てた様子で王女を見る。
「ばっ!ンなわけねーだろっ…な、なぁ?」

(フン。男の方はまんざらでもなさそうだ)

シンは自分でも何故かわからないが少し面白くない気持ちになる。

「小さい頃にはよく一緒に遊んでたんです。今はもう遊ぶなんて駄目だとハヤテのお父さんにも言われてるんですけど…」
ハヤテは気まずい様子で王女から少し目を逸らす。

(そりゃそうだろう。幼馴染とはいえ、庭師の息子と王女に間違いでもあれば問題だ。国にとってはこの女はいずれ他国に売れる商品なんだからな)

「でも見事なお花が咲くとハヤテが紙飛行機を飛ばしてくれるので、こっそり迎えにきてもらって見に来るんです」
「貴女に窓からの脱走を教えたのも彼だと?」
「えっ!あ、あれは、いつもハヤテが軽々登ってくるから出来るかなぁと思ったんです。シン先生に変なところ見られちゃいましたね」
王女は先刻至近距離で嗅いだシンの香と腕の力強さ、そして整った呆れ顔を思い出して頬を染める。

「カトレア見に来たんだろ?そいつと」
ハヤテが『そいつと』の箇所で声を低め、ぶすっとした様子で訊ねると、
「あ、うん!少し前にシン先生がうちのお庭が美しいって褒めてくださったからハヤテに会ってもらいたくて。それにカトレアってシン先生にピッタリなんですもの。どうしても一緒に見に来たかったんです!」

(俺に?何を言ってるんだこの小娘)

シンはあっけにとられた顔で王女を見た。
「華やかで大人っぽくて綺麗でしょう?」
嬉々とした様子で王女は花を眺める。
「ほら!この紫のものなんてシン先生にとっても似合うわ」
「まぁ、花が似合うと言われて喜ぶ男性は多くないと思いますが」
シンがため息交じりにそう返すと王女は驚いた顔になる。
「えっ?そうなんですか?」

(まさかまだ俺のことを女みたいだと思ってるんじゃないだろうな)

「ハハッ。ついでにドレスでも着てみりゃいいんじゃねーか?」
ハヤテは愉快そうにシンを見る。
「それはいいですね。ドレスを『脱がせたり』『着せたり』は得意ですのでぜひ王女にもお教えいたしましょうか。」
シンは表情を崩さず含みをもたせて答える。
「なっ…そんなのはメイドがすんだろ!」
ハヤテが怒ったように言葉を返す。
「女のメイドでは出来ないドレスの<魅せ方>というものもあるのですよ。女性の扱いに慣れない者にはわからないでしょうがね」
「ふんっ!ドレスなんてフツ―に着りゃいいんだよ、フツ―に」
「は、ハヤテ。シン先生?!私のドレスの着方はどこか変ですか?」
王女が真剣な表情で二人を見比べる。

美しく咲き誇るカトレアに包まれながら、それ以上に輝きを放つこの爛漫な王女に、二人はしばらく時を忘れて見惚れた後、揃って呟いた。
「「いや…そんなことはない」」
そして互いに揃った気まずさに睨みあう。

「…」
シンは胸の奥にモヤモヤとした塊を抱えながらパチンと懐中時計を開く。
「そろそろ時間です。戻りましょう」



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