Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「改めてボディチェックをさせていただきます」
白手袋を整えながら黒ずくめの執事が柔和に微笑む。
「私は王女様の執事、ソウシと申します。以後お見知りおきを」
王女の部屋の扉の前で待ち構えていたこの男は穏やかそうに微笑んでいるが、底が知れない雰囲気を醸し出していた。
さすがに武器らしいものは王宮に入る前に預けている。チェックが済むとソウシは再びにこやかに微笑む。
「私はすぐこちらで控えております。何か御用が御座いましたらお申し付けください」
重々しく扉は開かれた。

(すぐ傍で控えてるということは監視役、ということか)
シンは改めて溜息をついた。

トワが綺麗だ何だと騒いでいる王女に少しばかり興味はあったが、目的はそんなものじゃない。交易で儲けたこの国には世界各国の宝が集まってくる。
シンの目的はたった一つ。祖国のティアラを手に入れることだった。

トワですら知らないことだが、シンの母はかつてのウル国の王女であり、シンはもう今ではすっかり数が減ってしまった希少なウルの末裔であった。
その事を教えてくれた孤児院の院長からウル国に伝わるティアラの話を聞かされ、シンはそれをずっと探し求めていた。

シンは父を知らなかった。
何故自分の瞳の色が左右違っているのかさえも。
下手に干渉されることを嫌がった彼は物心ついた時から右眼を隠すことにした。母の瞳と違う色を無意識に封じた。
幼い頃に亡くなってしまった母の事、自分を捨てたという父の事がティアラを手に入れることで何か解るかもしれない。
ただそれだけの為に情報を集めていたのだ。

そしてついに、売人の手によって転々としたティアラは今、この国の王宮に存在すると知り得た。
何とか王宮へ近づく手立てを考えていた矢先、偶然にも王宮務めを始めていたトワの紹介と、特待生で入った学院で神童とまで言われた成績を修めていたおかげで『王女の家庭教師』役が回ってきたのだった。

(焦ってしくじるわけにはいかない。王女に適当に取り入って在り処を吐かせ、ティアラさえ手に入れれば王宮の仕事はキリの良いところで引き上げる)

そう、決めていた。


「●●様。こちらは本日より勉学をお教えするシン先生です。シン先生、こちらがシリウス国第一王女の●●様です」
執事のソウシが端的に紹介をする。
シンは跪き差し出された王女の手を取り、手の甲に軽く口づけを落とす。
「シンと申します。本日より王女様の家庭教師を務めさせていただきます。」
それだけ述べゆっくりと顔を上げると、そこには驚いた表情を浮かべた既知の女が立っていた。

(まさか王女だったとは)

「あら、さきほどの…」
気まずそうな様子で王女は口ごもった。
「ご存じでしたか?」
執事が怪訝そうな様子で二人を見比べた。
「さきほど中庭で読書していたらお会いしたんです。まさか今日いらっしゃる先生だったなんて…」
王女は少し赤くなりながら答える。

(読書か。どう見ても眠りこけてたように思えたが)

「よろしくお願いします。シン先生」
そう言って王女は屈託ない笑顔を向ける。

(成るほど。これが<天女>のよう、か。この世界の汚い部分を知らないといった風で呑気に微笑む女を見ていると、捻くれた俺は賞賛よりも泥を塗りつけてやりたい気分になる)

「私の指導は厳しいと思いますがよろしくお願いします」
シンが思い切り余所行きの笑顔を作ると、王女は顔を真っ赤にして俯いた。

(フン、単純そうだ。これならとっととティアラの在り処を探り出すことが出来るな)





「王女様。この問題は先程解き方を説明したはずです」
「ご、ごめんなさい!」
簡単に思えた家庭教師の仕事は思わぬところで難航していた。

「貴女はバ…ではなく覚えがあまりよろしくないようですね」
「ごめんなさい。難しくて…シン先生はあの有名な帝国学院を主席で卒業されたんですよね?」
「ええ。おかげでこうして王女様の教育係を仰せつかった訳です」
ニコリと笑むと、
「凄いわ。どうしたらそんなに出来るようになるのかしら」
王女は頭を抱える。
「ですから王女様の学力向上に私が呼ばれたわけです」
「ええ。とっても心強いですわ」
王女は嬉しそうにシンを見上げる。

(いいから無駄話せずに集中しろ、クソガキ)
心で毒づきながら、シンは王女の手元を指差した。
「次の問題を解いてみて下さい。こちらの公式を応用すれば簡単でしょう」
座って問題を解く王女の傍らに立ったシンが見下ろすと、王女は今度は惚けたようにシンを見上げる。

「…私の顔を見ている暇があるなら問題に集中してください」
「だって…シン先生…」
「何です?」
「もしかして女性かしらって思うくらい、お綺麗なんですもの」
「じょ…?」
シンの眉間のシワが今日一番に深くなったことに、王女はまったく気づくことがない。

(この女…王女と言えども慎み深さの欠片もなくガキっぽい)
シンは大きくため息をついた後、特上の作り笑いを浮かべて意地悪く答える。
「でしたら女性かどうか確かめてみますか?」
「えッ…?」
王女はキョトンとした顔でシンを見る。
広い部屋の端にあるドアは開けられていて、すぐそこで執事のソウシは待機している。

だがソウシの位置から机の脇にある本棚は僅かに死角になる。
王女の耳元でそっと囁く。
「次の問題が一人で解けたら、特別に教えてさしあげましょう」
首筋に吐息がかかると王女は放心したように真っ赤になり、
「えっ…ええと、次の問題…は」
素直に次の問題に取り掛かる。

数分考え込んだ後、王女は正解を書き出した。
(コイツ、褒美があると頑張るゲンキンなタイプか)
「シン先生。正解ですか?」
「ええ。正解です」

(迂闊なことをして執事に気付かれてはならない)
「では次の問題を解きましょう」
シンは淡々とした声のまま王女を立ち上がらせ、本棚の脇へと引き寄せる。
(そのうえで、この女を味方につけなければいけない)
「シンせんせっ…」
人差し指を立てて『声を出すな』だという合図を送る。
シンの身体に急激に近づいた事に驚いて声をあげそうになった王女は、言われるがまま黙り込んだ。

シンはゆっくりと王女の手を取り、自分の胸へと導いた。
そして小さな声で囁く。
「ゴツゴツしているでしょう?柔らかな貴女とはこんなにも違う」
王女の細い指はシンに導かれるまま、胸、肩、腕…そして腰と移動する。
「シン先生…も、もう…わかり…ました」
噴火してしまいそうなほど赤い顔をして、消え入りそうな声で王女は俯いた。

「これが男性の体躯というものです。わかりましたか?」
シンが耳元で囁くと王女は咄嗟に身体を離そうとした。が、シンの左腕はしっかりと王女の細い身体を捕えている。
「わ、わかりました…だから…もう…」
ちょっとした意地悪のつもりだったが、初々しく色めいた王女の仕草が、思いのほかシンの加虐心を刺激する。

「もう、何でしょう?私の手は添えているだけ。意志を持って触れているのは貴女の指ですよ」
シンの声がさえずるように柔らかく王女の耳へと流れていく。

「…っ、あっ」
突然王女がふらりとよろけ、慌ててシンは抱きとめた。
「理解していただけましたか?」
「…ええ」
ようやくシンは王女を解放する。
「さすが王女様です。教えがいがありますね」
ソウシに聞こえるように大きな声でそう言い、にこやかな笑顔を作ったシンは王女を椅子へと座らせる。
「さあ。ここからはもっと厳しくお教えしますのでついてきて下さい」




「王女様。そろそろ次のレッスンのお時間です」
時間が過ぎ、ソウシがノックと共に姿を見せる。
「もう時間なの…?」
集中していたのか王女は驚いた顔になった。

「王女様。シン先生の指導はいかがでしたか?」
執事は柔和な顔で問う。
「とっても分かり易くて問題を沢山解くことができたの」
王女は少しだけ顔を赤らめ、嬉しそうに執事に報告した。

(当たり前だ。バカに解るように噛み砕いてやってるんだからな)
シンはそう思ったことは露とも出さず、余所行きの笑顔を作って微笑んだ。
「王女様の覚えが良いからですよ」

(この国は正式な王子もいる。どれだけ勉強したところで王女なんて立場は、いずれ他国の権力者と政略結婚させられるのが末路だろう。この女の暇つぶしに付き合わされる報酬としてティアラを貰うと思えばいい)

「でしたら明日から毎日同じ時間に来ていただきましょう。貴女のお父様からは王女が勉学に集中できる優秀な家庭教師をと賜っておりますから」
ソウシの提案にシンは目的への一歩を踏み出したことに少し浮かれる自分を引き締める。

「シン先生、私…実は叶えたいことがあるんです」
帰り支度をし始めたシンを呼び止め、王女は得意気に満面の笑みを浮かべる。
「何でしょう?」
「私、シン先生が卒業された帝国学院に入学したいんです」
「……は?」
思いもよらない発言に思わずシンは素で応えてしまう。

「ああ。裏口から…」
「いいえ!正々堂々と試験を受けて入学しようとしているの」
「…失礼ながら率直に申し上げますが今の学力では…」
「だからぜひ!シン先生に教えていただきたいんです!明日からもっと頑張りますのでよろしくお願いします」
「王女様。その件についてはこちらで手配いたしますと何度かお願い申し上げましたが」
黙って聞いていた執事が嗜めるように口を挟んだ。

(そりゃそうだろう。諸国一と言われるあの学院の試験を真正面から受けて受かるより、金と権威で入学するほうが手っ取り早い。そんな奴らに名門校出身だとハクをつけるために学力に優れた者が選りすぐり集められたような所だった。そのための王位だろう…?何言ってるんだ、この女)

「絶対にお父様にお願いしてはダメ。ソウシ、もしあなたが裏から手を回したら、もう口をきかないから!」
「それは困りましたね」
執事はちっとも困っていない様子で笑顔を浮かべた。
「私は三か月後の試験に自力で合格して正々堂々と門をくぐりたいの」

(まぁ、夢見ることは自由だろう)
シンは小さくため息をつく。

「王女様は本当にひた向きでお美しい」
ソウシは嬉しそうに微笑んだあと、
「シン先生、そういうわけですので改めてよろしくお願い申し上げます」
そういって鋭い眼でシンを見た。

(ひた向き?無謀の誤りじゃないのか。三か月でこの女を帝国学院合格レベルまでとは、さすが王家。無茶苦茶を言ってくれる…)

シンは観念したようにため息をついた。
「でしたら明日からは私の言うとおりにしてください。それが条件です」

(何不自由なく育った女のただの気まぐれだろう。どうせ無理だとわかればすぐ根をあげる)

王女の家庭教師は自分の運命の歯車が既に回り始めたことに全く気付きもしなかった。


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