Novel

□SiriusBoeki
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SIRIUS.BOEKI@バレンタインC【Heroine】

「あれ?シンさんいないのかな…」
会社のデスクに戻ってきても、シンさんの姿はなかった。
開発部のブース脇には、シンさん宛に女の人たちが置いていった沢山のチョコレートが積み上げられていた。
「やっぱりあんなに沢山あったら、もうチョコなんていらないよね…」
呟くと同時に、後ろから声がした。
「確かにアレはいらねーな」

「し、シンさんっ!」
振り返ると、タイを緩めながらシンさんが近付いてくる。
少しだけ息があがっているみたい。
「ったく。焦って店に引き返したらお前は居ないし、無駄足だった」
「焦って…?」
改めてシンさんを見ると、額にうっすらと汗が滲んでいる。
「すみません。もしかして探してくださってたんですか?」

じぃっと見つめられて――
「…チョコレートをいらないと言ったのは俺だったな」
「え?は、はい」
手に持っていた包みにシンさんが視線をとめた。

ここ数週間、悩みに悩んで、探しに探して、見つけた答え。

「で?俺好みのチョコレートは見つかったのか?」
「えっと、それは…」
「前言撤回だ。お前のチョコレートは貰う」
返事を待つまでもなく、シンさんはチョコを奪うと包みを解き、口に入れた。

「…冷えたブランデーか」
「はいっ!チョコに入れると美味しいって教えてもらったんです!」
「ドライフルーツとマーマレード。クルミにオーク。世界で数百本しか製造されなかったレアコニャックだ」
「すごい!わかるんですかっ?!じゃあこっちも食べてみてください」
「これは…カルヴァドス・デュ・ペイ・ドージュ。リンゴの蒸留酒だな」
「さ、さすがっ!」
「フン、当然だ。しかし随分気合いの入った酒を探したな」

「シンさんが<甘ったるいのは嫌いだし納得するものしか受け取らない>って受付で話してるのを偶然きいてしまったんです。
だから必死で考えて…シンさんはエスプレッソにお酒を入れてるでしょう?
それで<YAMATO>で使ってるコニャックが凄く美味しいって知って、分けてもらえるまで通い詰めて…ようやく貰えることになって…。内緒にしててごめんなさいっ」

「なるほどな」
「え?」
シンさんの手が伸びてきてぐっと顎を持ち上げられる。

「バカか、お前は」
「ば、バカ?!どうして…?」
必死に考えたのに…。

「俺は甘ったるいものが嫌いだが、甘いものは気に入ってるんだ」
「あの、それってどう違うんですか?」
答えをくれないまま、唇にチョコレートが押し付けられた。
思わず口に含むと、カカオの苦味とお酒の甘味でいっぱいになる。

唇に残ったチョコレートをシンさんが舐め取る。
トロリと溶けるブランデーのアルコールと、シンさんの舌先の身悶えするようなくすぐったさが、かぁっと身体を火照らせた。

「カカオにはカフェインの興奮作用とテオブロミンの精神安定作用がある。 ときめいた時に出てくるPEAというホルモンが、カカオエキスから抽出されるくらいだ。もともと媚薬作用がある…が、こうやって食えば、どんなカカオも特別甘くなる」
シンさんが凄艶な笑みを浮かべた次の瞬間には再び唇をこじ開けられて、溶けて形を失ったチョコレートの代わりに柔らかな舌が入ってきた。

「…っ!」

そしてされるがままにトロトロに溶けた甘いチョコレートを舌先で一緒に味わう。
高価なお酒の味なんてよくわかっていないけれど、濃厚なカカオとブランデーに、激しいキス。
脳が痺れて蕩けるほどクラクラする。

「どうだ?特別美味いだろう?美味いと言ってみろ」
唇の僅かな隙間から漏れる低い囁きが思考をさらに酔わせる。

「…っ。おい、しっい…」
息絶え絶えに絞り出すセリフは、意地悪なキスで塞がれる。

「…ふっ」
「全然聞こえないな」
「ふさが…れたらっ…んっ!言えなっ…っっ〜〜!!も、もうっ!わざとですよね!」
ようやく距離を与えてもらえるけれど、顔から火が噴きそうなほど熱い。


「俺に隠し事をした罰だ」
「サプライズしようと思ったんです」
「だから俺を驚かそうなんて百万年早いと言っている。図に乗るな」
「そうですよね。いつも冷静なシンさんをあっと驚かせて、違った一面を見てみたかったんですけど、材料の利き酒までされちゃいましたし…ほんとにかなわないや」
あきらめて溜息をつくと、シンさんがふっと笑顔になる。
「いつも<冷静>か。そうありたいものだが、どうもお前が絡むとロクなことがない」
「へ?」
「あちこちの男に愛想を振りまくなといってるんだ」
「な、何ですか?!それ?!!」
「自覚がないのか?なら調教が足りないようだな」
ソファに押し倒される。

「調教?!まっ…い、今は会社ですよっ?!」
「そうだな」
「そうだなじゃありませんっ!!ち、ちちょっとまっ…ひゃあっ!」

目を閉じた瞬間、
ドスンッと鈍い音がして―――

目の前には山のように積まれた書類が置かれていた。

「仕事だ。俺は新しいシステム構築に忙しい。社内業務報告の提出書類をお前が作成しろ」
「えっ!そんないきなりっ!!」
「提出期限を確認しろよ。心配するな。提出前にチェックはしてやる。 お前が<YAMATO>でバカみたいに浮かれて甘味を食ってアスカとイチャついていた間に俺がざっくりまとめておいた。あとは形式を整えるだけだ」

す、すごく嫌味を言われたような?
確かにシンさんを唸らせるチョコづくりの為に通い詰めてたけれど、美味しいスイーツの試食を楽しみに行ってたのも確かだった。

…シンさんの眼が怖い。
「うっ、わ、わかりました…頑張ります」
そう答えると、シンさんは満足げに微笑む。
「どうした?残念そうな返事だな。まさか『調教』と聞いて違う想像をしていたのか?」
「い、いいえ!ばっちり想像どうりですよ!!うわぁ〜!仕事うれしいなぁ!!!」
恥ずかしさを隠すために大きな声で言うと、シンさんはクックッと肩を震わせて笑う。


さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら。
仕事モードに突入するシンさんの横顔をちらりと盗み見る。

甘いムードを止められちゃったのはちょっと残念だけど、容赦なく仕事をするシンさんも素敵だな、と思ってしまう。

「人の顔を見て何ニヤニヤしてるんだ。気持ち悪いヤツだな」
「に、ニヤニヤなんてしてませんてば!任せてください!あっと驚くような完璧な報告書に仕上げてみせますからっ」
甘さの余韻にまだぼんやり痺れている脳に喝を入れて、自分のデスクで資料を拡げてパソコンに向かう。

包みに半分以上残ったチョコレートをシンさんは冷蔵庫へとしまった。
自信作だったけど、もしかしてあんまり口に合わなかったのかなぁ…と不安げにその仕草を眺めていると、
「これ以上は仕事に集中できなくなるからな。続きは帰ってから愉しむことにする」
シンさんは考えていたことを見透かすように答えてくれる。

「ふふっ。じゃあ家でじっくり召し上がってくださいね」
「何を他人事のように言ってるんだ?残りは全部、もちろんお前が食べさせるに決まってるだろう?」
「食べさせるって…ふ、普通にあーんって…ですよね?」
「そんなわけねーだろ。美味いチョコレートの食し方を教えたはずだ」
「ま、まさかっ…!」
「顔が赤くなったということは理解したということだな。さっさと仕事を終わらせるぞ」
「理解はしましたけどっ、承諾はまだしてませんっ…む、むりっ!恥ずかしすぎて無理ですっ!キャパ越えます!」
だってまだチョコはいっぱい残ってるし!
慌てる私にはおかまいなしで、眼鏡をくいっと持ち上げて、シンさんは淡々と述べた。

「お前が無理かどうかは問題じゃない。トワと『内緒事』を作った罰、俺に黙ってナギに相談をした罰、アスカに顔を触らせた罰…」
「な、何でそんなに罰がいっぱいなんですか?」
「だから全部まとめて、俺にヤキモチを妬かせた罰だ。全身全霊で償え。お前に拒む権利があると思うな」
「シンさん、妬いてないってあの時…」
「妬いてないわけがないだろう」
「そうですよね!妬いてないわけが…って、えっ!?」

それって、、、妬いてたって…こと!?

「い、今の、も、もう一回言ってください!」
「二度と言わねー」
「二度とって!あと一回だけお願いします!すごく貴重な言葉だった気がするんですけど、驚きすぎてよく聞こえませんでした」
「そんなことより仕事に集中しろ」
「私にとってはものすごく重要なことなんですよ!」
「うるせー」
シンさんは拗ねたようにパソコンに向かう。

「今から仕事の邪魔をしたら、もっとすごいことをしてもらうからな」
「ちょっ…すすすごいことって何ですかっ?!」
「さぁな。一瞬でゆでダコみたいに更に真っ赤になって一体何を想像したんだ?ついでにその内容も報告書にあげてもらおうか?」
「そそそんなことできませんっ」
慌てて答えるとシンさんは愉しそうに笑う。
「書けないような内容なのか?ド変態だな」
「ちちちがっ…!」

それから―――
「ありがとう」
と、小さく呟いた。

「え?」
「俺の為に一生懸命になってくれたことに感謝してるって言ってるんだ。俺をこんな気分にさせるのはお前だけだ」
シンさんの手が伸びてきて、長い指が優しく頬に触れる。

「これから先お前と過ごす幾つもの時が、いつまでもこうして笑いあえるように…。心からそう願う。」

《アンタの愛情が混ざれば、アンタを大事に想う男にとって特別なチョコレートになる》
アスカさんの言葉が浮かんでくる。

「まぁ、俺を驚かせるチョコレートなんてお前には無理だけどな」
「あっ!言いましたね!絶対いつか驚かせますからねっ!覚悟しててください!」

「…フン。お前の根性にはいつも驚いてるけどな」
「え?今なんて?」
「何でもない。さっさと仕事しろ」
「はーい!」

一年に一度のバレンタイン。
意地悪と笑顔と一緒に、たっぷりの愛情を込めた世界で一つだけのチョコレートを二人で味わう。

それはきっとどんな媚薬よりもサプライズよりも特別で、甘くて美味しい記念日になる。


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