Novel

□ShortStory
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【はじまりの朝】

「ん…」
部屋に漂う冴え冴えとした朝の空気に目が覚める。
すっかり熟睡してしまったようだ。
長い間、万一に備えて深い眠りに落ちないクセがついていたはずだが、不覚にも昨夜瞳を閉じてから意識を完全に離していた。

身体を動かすと腕の中に温かい重みがあることに気付く。
「…」
視線を落とせば寝息を立てて穏やかに眠る彼女の顔が間近にあった。

微熱を持った●●の身体を毛布かわりにと、昨夜は同じベッドで眠ることになったワケだが…
緊張しますなんて言ってやがったわりには、そんな欠片も見えないほど無防備に眠っている。
無性に苛めたい気分に駆られて、鼻をつまんでみる。
「うぅ〜ん。ふっ…ふぅっ」
息苦しそうに口をパクパクさせる様子を見ていると笑いが込み上げてくる。

「ふぇっ…い、いひがくるしっ」
まさか鼻をつままれてるとは思ってねーようだ。
勢いよく手を離すと、●●は大きく息を吸いこんでからまたスヤスヤと眠りに落ちる。
「まだ起きねーのか。すごい睡眠欲だな」
今度は頬をつねってみる。

「…いひゃい…」
それだけ呟くと、ピタリと動きが止まった。

…さすがに目が覚めたか?
がしっ
頬をつまむ俺の手を●●が急に両手でつかんだ。
「おい何を…」
ぱくっ
「なっ…!」
俺の指を口に含む。
「むにゃむにゃ…おいひぃ〜」
コイツ…!!
また食い物の夢を見てるのか?!

「くりぃむ…」
「おい、離せ。ったく、何がクリームだ」
●●はしっかりと俺の手を掴んで離さない。

舌先で突くように触れ、指の輪郭にそって舐め上げる。
転がすように味わったかと思えば強く吸って歯を立てる。
…フン。
ガキのくせに…ひどくそそる食い方をする。
ガキだから尚更、本能の儘、というやつなのかもしれないが。

「バカ。俺の手は食い物じゃねーぞ」
そう呟く声はすでに諦めの色を含んでいた。
まぁ、しばらく愉しむのも悪くないか。
そう判断した俺は為すがままになる。


パチッ
不意に勢いよく目が開いて、俺の指をくわえたままの●●は状況を察したのか叫び声をあげた。

「きゃあああっっ!!!」
「…おい、何で叫ぶんだ。指を食われてたのは俺だろう」
俺の言葉が届かないのか、すっかり混乱している●●はベッドの端まで飛び上がり、固まっている。

「ななななんでシンさんの指を食べてっ…も、毛布なのにっ…これは夢?…いやっ、なななんてことをっ」
ブツブツと繰り返しては頭を抱えて首を振っている。

ガチャッ

「おい!今すげえ叫び声が聞こえたけどシンに何かされたのか?!」
ハヤテがノックもせずに部屋に飛び込んできた。
「アホ。誰がこんな色気のねーガキ相手に何かするか。食い意地張ったコイツが寝惚けて勝手に俺の手を噛んで叫び声をあげただけだ」
「…だ、そうです…すみません。お騒がせしました…」
●●は縮こまって頭を下げた。

「あれ?つーかシン、やっぱお前ら、お、同じベッド使ってんのかよ」
半裸の俺と毛布にくるまってベッド端で怯える●●。
ウブなハヤテが顔を赤らめる程、状況は扇情的に違いない。
「カイロ代わりにしただけだ。いつでもお前の部屋に貸し出すがどうだ?」
「いちいちシンは、や、やらしーんだよ!俺はべつにいらねえよ!」
ハヤテは顔を赤らめてから、くるりと背を向け部屋を出て行った。
アイツが顔を赤らめるような事は何もない。
熱のせいで昨夜は暴れなかったが、普段のコイツは相当寝相が悪い。色っぽさの欠片もない。
が、それに救われている。今のところは。


陽も高く登ったころ、海図でも整理しようと部屋を出ると、 シャワールームのドアの隙間から愉しげな笑い声が漏れてきた。
「きゃあっ!ハヤテさん〜、お水かけないでくださいっ」
「あははっ、どんくせー。それくらい避けられねーなんて危機管理なってねえんじゃねえの?まだまだ海賊として半人前だな!」
「ちゃんと掃除してくださいってば。元々ハヤテさんが掃除当番じゃないですか」
「お前がコイン裏表の賭けに負けたのがわりーんだろ。ほら、俺の代わりにちゃんと磨けよ」
…ハヤテのヤツ、トワ相手によくやってる裏しか無いイカサマコインでアイツをこき使ってるのか。
だいだいアイツもアイツだ。
あんなわかりやすいイカサマに引っ掛かるなんて間抜けすぎる。

ドアノブに手をかけようとして、
「そういやお前、結局シンとはどうなんだよ?」
ハヤテの突然の言葉に俺は手を止めた。

どうって何がだ…?

「えっ?!いいいきなり何ですか?!」
「い、イヤ別に俺はどーでもいいんだけどよ!今朝も叫び声あげてたし、どーなのかなって思ったんだよ」
「あれは私が寝ぼけて迷惑をかけてしまったみたいで…」

「お前さ…シンといてしんどくねーの?」
ハヤテの声がいつになく真剣になる。
「シンさんといると、ですか?」
「犬みてーにくっついてっけど、結局アイツは何か目的があってこの船に居るみてーだし、誰にも本音を言わねーヤツだし、一緒にいてもしんどいだけなんじゃねーかなって」

…まさかハヤテからそんな言葉が出てくると予想しなかった。
ハヤテなりに俺と彼女の関係を観察しているということか。
「私がお荷物になってるのも、女性として見られてないことも十分わかってますけど…確かにちょっと…苦しい時もあるかもしれません」
彼女は少し沈んだ声で答えた。

……苦しい、か。
ドアノブに触れた手を引っ込めて廊下の壁に背を預ける。

そりゃそうだろーな。

「オレは結構お前といると楽しいし、シンとの共同部屋が嫌になったらいつでもオレの部屋に住ませてやってもいーけど」
ハヤテが明るい声で彼女に声をかける。
「ま、オレの部屋を毎日掃除してくれるならだけどな!」
「もう!掃除のためですか?あ!早くお風呂掃除しちゃいましょう!もうすぐ船長が使う時間ですし」
「オレけっこうマジだけどな」
「え?」
ハヤテが小さく呟いた。

…初めからソレが言いたかったわけか。
『苦しい』と答えた彼女の言葉を胸にしまい、俺は航海室に向かって歩き出した。


「シンさーん!船長が集合だって言ってますよ。次の行先を伝えるって」
航海室で海図を眺めていると、●●が飛び込んできた。
「次はどこでしょうね?船の修理をしないといけないって言ってたし…」
ここから一番近い修理が出来る港はモルドー帝国しかない。

船を修理せず進めるのは次の港まで持つかの危険な賭けになるし、何度も海軍の網の目を潜り抜けたシリウスだ。
海軍の本拠地ではあるが、船長なら入港すると言う可能性が高い。

だとしたら俺は―――

「シンさん?」
●●が不思議そうな顔で俺を覗き込んだ。
「具合でも悪いんですか?」
「いや。…フン、数日前に死にかけたお前に心配されるとはな」
俺は自分の都合で彼女を手元に置き、生死をさまよわせたばかりだ。
憎むべき帝国に入ってもしあの男に会った時、冷静なままコイツを守り通せる余裕が俺にあるかどうか――

「もし…俺と居ることが苦しくなったら…」
思わず漏れた言葉に●●は驚いた顔になる。
「もしかして…き、聞こえてたんですか?」
「偶然な」
立ち聞きするつもりはなかったのに気まずさに顔を逸らせる。

次の瞬間――
勢いよく●●が腕に飛び込んできた。

「…おい。何してる?」
「抱きついてるんです!」
「わかっている。だから何で抱きついてるんだ?許可した覚えはないぞ」
「だって…苦しいからっ」

「苦しい?ならどうして…」
「私が苦しいって言ったのは…シンさんが大好きすぎて苦しいってだけでっ…シンさんと居ることが嫌って意味じゃありません!」
●●が必死な顔で訴える。

「また離れろとか言い出したって離れませんから!ちゃんと毛布の役割だって果たしてるしっ!わ、私が居なくなったらシンさん絶対寒いんだからっ…だ、だから、部屋も出て行きませんからっ!!」
子供みたいに言い張る彼女を見ていると、自分の吐いた弱気なセリフが陳腐に思えてくる。

「…わかったよ。ったく、何なんだ。捨て犬か、お前は」
いつも予想を上回るほどの直球すぎる応えに、俺の迷いは簡単に崩される。

突き放そうとして、出来なくて、迷って、畏れて、拒んで、結局抱きしめる。
感情の波の繰り返しだ。

小さな身体に腕を廻す。
「シンさん…?」
「じっとしていろ」
迷いを消し去るように、腕にぎゅっと力を込める。

「イイコト教えてやろうか?」
「な、何ですか…?イイコトって…」
顔を近づけると、●●の頬はみるみるうちに赤くなる。

「ハヤテのコインは両方裏だ」
「へ?」
「あれぐらい見抜けないでどーする。ハヤテ以上に単純なヤツだな」
茫然とする●●を見下ろし、落ち着きを取り戻した俺は身体を離した。

「ほら、行くぞ」
これから向かう先に何が待っていようと――やはり俺は彼女をいつも…抱きしめることになる。

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