Novel

□ShortStory
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【はじまりの夜】

シンさんと、離れたくなかったんです――

昨夜の言葉を俺はまた頭の中で反芻している。
まだ雫が滴り落ちる髪を掻き上げ眼帯を外した鏡の中の濡れた双眸を見つめた。
そこには色彩の異なる瞳が相も変わらず容赦なく映し出されている。
いっそ右目なんて無くなれば良いと幾度思ったことか。
だがいつしか忌々しいこの右目は、俺が果たすべき目的を再確認する為の指標となっていた。

海賊なんてのはそもそも人に言えねーような過去を抱えたヤツが多い。
船長も他の連中も一切の詮索をしない。
海賊は、瞳の色も生まれも関係ない。
運が良くて力の強い者だけが生き残る。そういう世界だ。

余計なものに気を取られずに目的を果たすため俺は愛だの恋だのくだらねー感情を捨てた。
だが、封印したはずの―――
誰にも見せたことのない、心の隙間を。
温もりを欲する心を。

アイツといるとうっかりと晒してしまいそうになる…。
真っ直ぐに向けられるあの瞳が、俺の感情の柔らかい部分を揺り動かす。
自分の命より大事なものがよりによってこの俺だなんて、本当にアイツは…馬鹿な女だ。

鏡に映った唇を見つめる。
ただ重ねただけのはずの唇が、段々と深い意味を持ってきているように思えてくる。
からかうキスに、救うためのキス。
その先に待っているのは…?

「…フン、俺もどうかしてるな」
眼帯を着け、思考を断ち切るようにシャワールームを出た。


ノックを4回してから部屋のドアを開けると、彼女は僅かな明かりのなか毛布に包まって床に寝転んでいた。
起き上がれねーくせに、どうやって床に移動したんだ…?
「何してる?寝相が悪くて落ちたのか?いくら原始人並みの回復力だからってそんな所で寝るな」
「違いますっ!…シンさんっ」
毛布に包まったまま真剣な顔を覗かせて、彼女が切り出した。

「今夜はシンさんがベッドで寝てください!」
「…何言ってるんだ。だいたいお前は病人だろう」
彼女は俺を助けようとして生死をさまよったばかりだった。
薬が効いて体調は少し取り戻したようだが、まだ起き上がることが困難で俺がメシを食べさせてるくらいだ。

「私なら原始人並みの回復力ですから平気です!だ、だってシンさん、私が部屋に来てからあまり眠れてないみたいでしたし…でも昨日はぐっすり眠れていたから、やっぱりちゃんとベッドで寝る方がいいと思いますしっ…」
彼女は言いながら、何を思い出したのか顔を赤らめた。

昨日はコイツを看ている間にいつしかベッドで一緒に眠ってしまっていた。
確かに朝までぐっすり眠れたが…それは久しぶりにベッドで眠ったせいと言うよりは、コイツを抱きかかえていた妙な安心感――のせいだろう。

「いくら慣れてるっていっても、やっぱりずっと床で寝るのは身体が大変ですしっ…いつも私が迷惑ばっかりかけてるしっ!今日という今日は絶対シンさんにベッドで寝てもらいます!
お、おやすみなさいっ!」

何度かこういうやり取りをしたことがあったが、いつも俺が脅せば彼女はいうことを聞いていた。
だが今夜はどうやら引き下がる気が無いらしい。
床を占拠して毛布をかぶり寝たふりを決め込もうとしている。
昨夜は少し甘やかしてやったから、いつになく強気になっているのか?

「迷惑、か。俺の許可を得ずに眠る場所を勝手に決めるとはいい度胸だな。病人に勝手に床で寝られて酷くなられるほうが迷惑だ」
「……」
返事をせずに床に陣取る彼女を、俺は抱き上げた。
「し、シンさんっ!私は今日は床でっ…」
「うるせーな。ごちゃごちゃ言うなら海の藻屑にするぞ」
「…っも、藻屑にされたって、き、今日は負けないって決めたんです!シンさんがベッドを使ってくださいっ」
「へえ。見上げた決心だな。どこまで通用するか試してやろうか?」
「あの…試すって何を…」
「もう一度口移しで薬を呑ませて欲しいんだろ?」
「えっ…」
顔を近づけると彼女は途端に真っ赤になった。
「俺がその気になるようにねだってみろよ。もう一度して下さいってな」
「そ、それはっ…」
慌てる様子の彼女をベッドへ降ろし、組み敷く。
彼女の視線が、風呂上がりの俺の肌蹴たシャツの隙間を泳ぐのに気付いていて――
わざとからかってやる。

「ベッドのうえではイロイロと愉しいことができるっていうのに、お前は今夜わざわざ床を選ぶんだな」
「た、たのしいこと?!」
「それとも床のほうがイイのか?」
「イイって…な、なにが…」
「何?フン、わかってるんだろ?」
「あの…っっひゃぁ!」
顔を近づけてピタリと額をくっつけると、小さな悲鳴が起こる。

「シンさんっ、かおが、ち、ちかいっ」
「クックッ。何を発情してるんだ?熱がないかをみてるだけだろ」
「う…」
「顔はゆでダコみたいに赤いが、高い熱は無いようだな」
「だ、だから私は平気ですからっ…」
「なら毛布代わりに丁度いいな」
「ふぇ?」
彼女の身体を両腕にくるんで、俺はゴロンと横になった。
「ちょっ、し、シンさん?!」
「このあたりの海域は夜になると冷える。ちょうど眠る時に暖を取るものが必要だと思っていたところだ」
「も、もしかしてこのまま眠るんですかっ?!」
ベッドの上で抱きしめられたまま彼女は慌てた様子になる。
「どっちで眠るだのといつまでも騒がれちゃ面倒だからな。俺の役に立てて嬉しいだろう?それとも…どうしても冷たくてかたい床で一人で寝たいというなら、無理には止めねーが」

「し、シンさんが抱っこしたまま…寝てくれるの…?!」
彼女はブツブツと小さく呟いてから、
「いいえっ!やっぱりベッドで寝ます!寝させてください!ちゃんとあっためてお役に立ちます!」
意気込んで返事をした。

「フン。いい心がけだ」
俺が満足そうに笑うと彼女は嬉しそうな顔をした。
ったく、男と女がたかが同じベッドで眠るだけだっていうのに、どうしてこんなに回り道が必要なんだ。
コイツがガキくさいせいもあるだろうが、俺がコイツを簡単な女の部類に入れるのを避けているからかもしれない。
俺にとって彼女は、ありえねーほど面倒くさくて…でも投げ出せない。
そういう女だ。

「ただし寝相が悪かったり歯軋りがうるさかったら容赦なく蹴落とすからな」
「え゛っ!」
「え、じゃない。お前は毛布なんだから大人しく俺をあたためて安眠させるのが役目だろう?」
「うっ…はい。頑張ります…」

二人で毛布に包まっていると互いの体温を感じる。
ドクンドクンとせわしく打つ彼女の鼓動もきこえる。
ひどくわかりやすいヤツだ。
緊張している様子が伝わってくる。
蹴落とされる可能性にビビっているのか、それとも…

「あの…シンさん…」
「何だ?」
「シンさんはやっぱり私をおん…いえ、や、やっぱりなんでもないです。おやすみなさい」
言いかけた言葉を無理に呑み込んでから、彼女はぎゅっと瞳を閉じた。

『女として、見てないんですか?』
もしも聞きたい質問がそれならば、今返せる答えはひとつしかない。
『これ以上俺に踏み込むな』

腕のなかにすっぽりと収まる安らぎが、これからの俺に与えていく影響が想像もつかない。
すでに俺のなかの何かが僅かに変化していることは自覚している。
これ以上は…

唯一無二の存在を知ってしまえば、失うことが怖くなる。
コイツが船を降りて故郷に帰る時、俺はどうするだろうか。
こうして一緒に眠る夜を重ねるほどに別離の傷みは増す。

勝手に帰ればいいと突き放せるだろうか?
元気でな、と笑って離れられるだろうか?

「もうとっくに手遅れなのかもな…」
むにっと彼女の頬をつまんだ。
「い、いひゃい。なにするんれすかっ」
「何って、ベッドのうえでの、愉しいことに決まってるだろう?」
「…愉しくないです」
「問題ない。俺はじゅうぶん愉しめてるからな」

腕の中の面白い毛布は、手放すにはあまりに俺に馴染み始めている―――

「余計なことは考えずに、ゆっくり眠れ」
まるで自分に言い聞かすようにそれだけ言うと、眠りに落ちるためにそっと瞳を閉じる。
すぐ側に感じる温もりが冷えた心を満たしていく。

抱き締めた腕がいつか彼女を壊すことになっても悲しませても…
奪う情熱を止められない夜がそう遠くない未来にきてしまうことをどこかで感じながら、俺は眠りにつこうとする。


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