Novel

□田舎娘とホスト
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ラムは誰でも受け入れる懐大きな面を持つゆえに、快楽に溺れ人を貶める誘惑が至るところに用意されている厳しい街でもある。
ノア・ブラウンはラムの街で生まれ、ラムの街で育った。
一歩踏み外せば簡単に破滅の道を歩むこの街で、20になるまで廃人にならず生き延びてきたのだから、そこらの人間よりずっと強い精神力を持っている自負はあった。
物心ついた時には化粧臭い年上の商売女が恋人だったし、初体験も随分早かった。ジュースの代わりに浴びる程酒を飲んで育ち、煙草を呑むのは特別好きではなかったが、危ないクスリよりはマシだろうと格好付け程度には今も嗜んでいる。
その彼が、勤める酒場のオーナーに腹を蹴り飛ばされて(顔は商売道具だからと避けられ)、気乗りしないままラムの表通りに立ち客引きを始めようとした時の事だ。

目の前を歩いていた女が転んだ。
しかも割と派手に。
持っていた紙袋の中身が勢い良く飛び出て、足早に夜の酒場へ消えていく男女の行く先を阻むが、それに気を取られる輩もおらず、皆うまく避けて通りすぎて行く。

此処は自分の『損得』に敏感なくせに、他人の『痛み』には鈍感な街だ。良い人を演じれば面倒事に巻き込まれる確率が高い。だから気づかない振りをする。
そうしないと自分を守れない事を皆知っている。
だから田舎臭い娘が一人転んだところで誰も助ける人間は居なかった。
もしいるとすれば――
それはロクでもない人種しかない。




「な、なにすんだよ!」
ノアは田舎娘の脇を駆けだそうとしていた小さな少年の手を掴んだ。
「そいつを返してやれよ」
「げっ!ノア!」
「商売するならもっと金持ってそうなヤツにしとけ」
ノアが懐から投げた銅貨を受け取り、少年は残念そうな顔をした。
「ちっ…わかったよ!お前に免じて今日だけだからな!」
少年は道路に包みを投げ捨て、慌ただしく走り去って行った。
「あ!私のお財布…!」
田舎娘は驚いた顔で包みを拾い上げる。

「あいつはこの辺りで有名なスリのガキだ。気をつけたほうがいいぜ」
ノアは紙袋から転がった林檎を拾い上げ袋へと戻してやる。
娘がスられた財布にも気付かずに必死に紙袋の中身を拾い続けていたからか、辺りに散乱した荷物はすっかり綺麗になっていた。
娘は自分の財布よりも手荷物の果物が無事かを懸命に確かめる。
「良かった。傷はついてない!」
ほっと微笑む顔に視線を奪われる。

少し擦り切れたシャツに淡いブルーのベスト。茶色のズボンは華奢な身体に対して少しダブついている。まるで少年のような服装だが、それが逆に娘の可憐さを引き立たせていた。
化粧っ気のない肌に、少し撥ねた髪。
けれど頬は薔薇色で、唇は果実のように赤くぷるんと色づいていた。

「助けていただいてありがとうございます!」
そう言って田舎娘はノアに微笑みかけ、丁寧にお辞儀をした。また紙袋から果物が落っこちそうなほど頭を下げる。
「そんなに畏まらなくていいよ」

チグハグだ、とノアは咄嗟に感じた。
どこからどう見てもラムの女と思えない風貌の田舎娘は思いきり余所者で全くこの街に馴染んでいない癖に、どうしてか男を誘惑するような色香を隠し持っている。
どういうことだ?と不思議に思うが、ラムのやり方が骨の髄まで染み込んでいるノアは、田舎娘に最大限の笑顔で返す。

「女性が困ってるとあれば助けないわけにいかないからな。ところでアンタ、そんなに急いでどこに行くんだ?」
「果物が足りないから買い出しに行ってて。店に戻るところだったんです」
「店?アンタはホステスか?」
ふるふると田舎娘は首を振った。
「私はお手伝いっていうか裏方なんです」
そうだろうな、とノアは頷いた。
素材は悪くないが、ラムの街でやっていくにはこの娘は汚れてなさすぎる。村から出てきたばかりで、もしこれからホステスでもやりたいって言うなら止めておけと諭すくらいにはノアは田舎娘のことを気にかけ始めていた。元来面倒見の良い性格なのだ。

「あの…今はとても急いでるんですが、後で必ず御礼にうかがいます」
娘の素直な提案にノアは少し浮かれた。
「そうか。なら、明日でも明後日でもいいからうちの店に来てくれないか?オレはホストをやってる。すぐそこの『clubHAKOBUNE』だ。最近出来たシリウスっていう店のせいで売上下降気味でね。困ってるんだ。何、ぼったくるような店じゃない。ドリンク一杯だって来てくれると嬉しい。店に客がいるってことが重要なんだ」
ノアは一気に喋った。娘は戸惑った様子で聞いた後、「船長に聞いてみて大丈夫だったら伺います!」と可愛らしく言った。

船長?店長?ノアは首を傾げたが、持ち前の大らかさで聞き流した。どちらにしてもこの娘の保護者らしい。
それより娘が来てくれるかもしれないという事に少し心が躍った。
「うちは老舗だから変な商売はしていない。安心して遊びにきてくれ」
ホストクラブに安心して、とは場違いな誘い文句かもしれないが、とにかくこの娘とこれきりなのは勿体ない気がした。

ラムの街でわざわざ足を止めてまで人助けする人間は少ないし、ノアもそんな人種ではないと自覚していたが、たまにはこんな日も悪くないな…と何度も御礼を言いながら走り去って行った田舎娘の後姿を眺めながら、一人顔を綻ばせていた。







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