Novel

□トライアングル
1ページ/2ページ



「エマ、元気だったかい?」
「ダン!どうして?」
「軍の用事で近くに来たから君の顔を見に来た」
「会えるなんてうれしいわ」
道中の市場でせっかくダンが用意した花束が潰れそうになるくらい勢いよく女はダンの首元に抱きついた。

「エマ…ほら、みんな見てるよ」
次々と群がってくる子供たちがエマとダンの熱い抱擁を興味深げに眺める。
ダンは照れ臭そうに、そして幸せそうに、女と花束ひとつ分の距離を置いた。
「綺麗な花束ね。ありがとうダン。いい香りだわ」
「君の方が…美しいよ」
ダンは愛しげに女を見つめる。

女はダンの肩越しにようやく俺に気付いた。
「あら?そちらは…」
「ああ。今日は君にカイを紹介したくて付いてきてもらった。私の弟なんだ」

俺より一つ年上のダンは、俺より少しだけ背が低い。
ただそれだけが俺がダンに勝る点だった。

エリート中のエリートが通う軍学校で、学問をやらせても剣術や武術をさせてもダンに敵うものはいない。
偉ぶることもなく春の陽のように明朗快活な兄を、両親をはじめ使用人まで皆大事にしていて、ダンがそこにいるだけで人が吸い寄せられるように集まってきた。皆、ダンを好きになる。

天は二物も三物も与えたと言う程、生まれた時から全てにおいてトップを取り続ける出来すぎた兄だった。
俺たちの家柄がもともとモルドーで名家なのも手伝い、街を歩けば女たちは皆ダンに熱い視線を送る。
ダンがそれらの女に見向きもせず、初めて恋に落ちたと熱心に入れあげている女。
そんな完璧な兄を落とした女がどんなものか、俺は偵察にきていた。

「はじめまして!カイ。私はエマよ。よろしくね!」
エマと名乗った女は満面の笑みを見せて手を差し出した。
なるほど。
孤児院で育ったらしいから身なりはお世辞にも上等とはいえないが、そんなことはどうでもいいくらい目を惹く美貌を持った女だ。
モルドーの街でも、いや王宮でさえも、これほど美しい女に出会うことはない。

黒く豊かな髪。吸い込まれるほど大きな漆黒の瞳に透き通るほど白い肌に紅く色付いた唇。
まだ少女とも言える年頃だが、既に女の色香は纏っている。
その抜きん出た美貌をものともせず気さくに振る舞う様はますますダンの好みだろう。
見た目だけでいえば、これほどダンにふさわしい女もいない。

「カイだ。よろしく、義姉さん」
俺が『義姉さん』と言ったことにダンが一番に反応する。
「おい。まだプロポーズしてないぞ」
「へえ、まだなのか」
将来有望なダンを婿養子にと望む家は多い。
のんびりしていると何処かの不細工なお嬢様との縁談を決められるのは目に見えている。

「ねえダン!キャッチボールしようよ。約束してたでしょ」
「やろーやろー!」
小汚い子供達がダンの足元に次々と纏わりついてくる。
真っ白な軍服が汚れるのをダンは構いもせず、「そうだな。少ししか時間は取れないが、やろう」と笑顔をみせ、
俺と女を置いて子供達に手を引かれるように広場へ行ってしまった。

俺と自分の恋人を二人きりにするとは、相変わらずのお人よしで笑える。
そう心のなかで呟き、改めて女の様子を観察する。
「エマさん。素敵な女性で兄が羨ましいな。ダンとはどうやって知り合ったの?」
別に興味があるワケではなかったが、俺は弟らしい笑顔を作り聞いておく。
「……」
エマはじっと俺の目を見た。
何だ…?男の目をじっと見つめて、実は尻の軽い女なのか?
それなら話が早い。
そう思って手を伸ばそうとすると――俺より先に女の手が俺の前髪に伸びてきた。
あっけに取られる間もなく細く綺麗な指が俺の前髪に触れた。

「ねえ。その前髪…目に入らない?」
「…は?」
「ちょっと待って。さっき子供達の散髪屋さんをしてたから、私ハサミをもってるの。」
「いや。オイ。俺は髪はちゃんと専属のプロに切ってもら…」
「しっ!眉毛切っちゃうと危ないからじっとしててね!」
有無を言わさずハサミが眼前に出てきて、前髪がパラリと切り落とされた。

「おい…」
初対面だぞ?失礼すぎるだろう、と言いかけて、間近で改めて見る女の真剣な顔は見蕩れる程に整っている。
透き通るほど白いすべらかな肌に絶妙のバランスでパーツが収まっていて、美人は3日で飽きるという通説に異論を述べたくなるほど見飽きない。

一方的に散髪を始められた俺は呆然と女を見つめていた。
「ほら!これでスッキリしたでしょ?綺麗な顔をしてるから出したほうが素敵よ。私、腕はいいの。いつでも切ってあげる。あ!心配なら鏡みる?」
懐から手鏡を取り出し、俺に手渡してくる。

…確かに悪くはないが、初対面で有無を言わさず前髪を切ってきた女は初めてだ。

何を話していたか忘れた。
…なんて変わった女なんだ。

「あ、そうそう。ダンと知り合ったキッカケだったわね。あそこの木なの」
エマは目の前の大木を指した。
「あそこにね、登って降りれなくなっちゃったの」
建物の二階くらいの高さになるだろうか。
「なぜ登ろうと?」
大人になろうってレディは普通、木登りなんてしない。
少なくとも俺やダンの周りにいる女は皆そうだ。

「海が見たくなって。梯子を持ってきて登ったんだけど、風で外れちゃって困ってたら偶然ダンが通ったの」
「へえ…」
「馬上で私を受け止めてくれて…私、ダンを一目見て恋に落ちたの。だからあの日木に登ったのはきっとダンに出会うためだったのね」

少女趣味で呆れる。
そりゃあちょっといないくらいの美女だが、ダンは珍しいアンタに興味を持っただけだ。
アンタとダンじゃ、うちの両親は大反対だろう。
女を観察するうちに俺は気付いた。

だってアンタは―――ウルだろう?

だが俺にとっては、ダンがどこぞの名家の娘と結婚するよりもこの女を選んでくれた方が喜ばしかった。
そうすればダンは両親の信頼を失い、出世の道も遠くなる。

俺はダンが嫌いだった。
俺が欲しいものを全て持ち、偽善者ぶったあの顔が。
造りは似ているはずなのに全く似ていないと言われる、あの性格が。

「エマさんはウルなんだね」
出自を隠そうとするか?
言ってやったと言わんばかりに内心愉快な気分で訊ねてやると、
「ええ。ウルよ」
女は全く物おじせず答えた。

「ダンは知ってるよね」
「そうね。私の髪や瞳の色はウル特有だもの。見る人が見ればすぐに解るわね」
「両親は反対かもしれないけど、俺は二人を応援するよ。もし会うことがあればウルだってことはとりあえず隠して…」
笑顔を作ってやり、エマに助言をしてやる。

とりあえず二人の味方をするふりをして、この女をモノにする。
もちろん馬鹿なダンのようにウルの女なんかと真剣に付き合うつもりはない。
俺はダンを絶望に陥れることが出来る材料が手に入るのであれば何でも良かった。
幸い、遊ぶには充分すぎるほど美しい女だ。

「隠すつもりはないわ。私は自分がウルだということに誇りを持っているの」
「…そんなこと、この田舎では通じるかもしれないが…街へいけばウルは即投獄される」
世間知らずの田舎女は知らないかもしれないが、昨今のモルドーはそういう状況だ。
ウルには見目麗しいヤツが多いことから奴隷として売り飛ばされたりもする。
人身売買は帝国の法律では禁止だが、ウルに関しては黙認されることが多い。
この女くらい綺麗だとモルドーの金持ちジジイどもはこぞって玩具に欲しがるだろう。

「私は街にいくつもりはないからいいのよ」
「だがいつまでもこの孤児院にいるわけじゃないんだろう?」
「ええ。ダンには内緒にしていてね。私、海に出て行きたいの」
「海?…ははッ!海軍にでも入るつもりか?」
タチの悪い冗談に呆れる。
「冗談だと思ってるのね。ふふっ、いつか絶対行くんだから」
「…どうして俺にそれを言う?」
「カイ」
女は真っ直ぐ向き直って俺の名を呼んだ。
澄んだ声が耳をくすぐるようで、ドキリと心臓が鳴った気がした。

「ダンはいつかあの大海原に出て行く人でしょう?私はダンにいつでもついていける女性になりたいの。でもダンはきっと反対する。だから共犯者が欲しいの」
「共犯者?」
「一緒にダンを守ってくれる人が」
ダンを守る?馬鹿馬鹿しい。
「貴女に守られなくてもダンは大丈夫だと思うけど。アイツは自分で何でも出来る」
「そんなことないわ。ダンは音痴よ」
「…それがどんな危険な目にあうっていうんだ」
「大事なことなの。いつか…辿り着いた時に必要なの」
何の謎々だ。
イラついた俺はエマの手首をガッと掴み、顔を近づける。
強引に唇でも奪えば――

「…何で目を閉じない」
「何で目を閉じないといけないの?」
「…普通閉じるだろう」
「え?そうなの?」
きょとんとした顔をしたあと、エマは素直に目を閉じる。
「ねえカイ」
強引に近付けようとした唇が、女のおしゃべりで遮られる。
「貴方とダンは似ているわね」

その言葉は俺を心底不快にした。
「似てる…?そんなわけはない」
陽のあたる場所にいつもいるダンと比べて、俺は何を考えているかわからないし暗いと両親に言われたことがある。
使用人たちも、俺よりもこぞってダンの世話を焼きたがった。
「意外と人見知りなところとか、そっくりよ。ふふっ、カイ。よろしくね。私を貴方の友達にしてくれると嬉しいわ」
そういってエマは目を開け、極上の笑みを浮かべた。
眩暈がするほど美しかった。毒気を抜かれるほどの神々しさに、俺は言葉を失う。
「あ!目を閉じておくんだったっけ?ごめんねカイ」
「…っ」
馬鹿か。
俺はウルなんかと友人にも恋人にもならない。
なのに何故…

「カイ!エマ!」
息を切らせてダンが近付いてくる。
俺は思わずエマを遠ざける。
制服は泥だらけで、ダンは俺とエマに疑いない笑顔を向けた。
「鍛えているつもりだが、やはり子供達には敵わないよ」
「ふふ。汗だくよ。皆嬉しそう。ずっとダンと遊ぶって言ってたから」
エマはダンの額に張りついた前髪を優しい仕草で掻き上げた。
それはひどく官能的で、俺の胸にチクリと傷をつけた。

「エマ。本当は君と二人でゆっくり過ごしたいんだ」
ダンは頬を染め、エマの手をとり見つめる。
「私も」
そう言ってエマはダンにくっついた。
「エマ。汗だくだし泥だらけだから、あまりくっついては駄目だ」
「いいえ。ダン、いい匂いがするわ。すごく優しい匂い。こうしてると落ち着くの」
目の前で睦まじく寄り添う二人を見て、俺の中に今まで以上の黒い感情が芽生える。

どうしてダンを見る?ダンを選ぶ?
何故俺を見ない?
ダン…
何もかもを持っているお前が妬ましい――

「兄さん。そろそろ軍議に間に合わなくなる」
俺はダンに声を掛けた。
「あ、ああ。じゃあエマ、今度は家に招待するよ。」
ダンは嬉しそうにエマに微笑みかける。
生粋のモルドー家のウチに、エマを本気で招待している兄が滑稽に見えた。
「楽しみにしてるわ」
エマはダンの唇に軽くキスをした。
「エマ!」
ダンは照れたように俺をみるが、蕩けたような表情になっていた。

エマは俺の方に近づいてきた。
「カイ。またね」
そういって俺の頬にキスをする。
ふわりと香るエマの芳しい匂いに。
たかが挨拶の、頬へのキスに――俺はたまらなく欲情していた。


「素敵な女性だろう?一目ぼれだったんだ」
移動する馬車の中でダンは幸せそうに俺へ惚気た。
「…そうだな。だが…ウルだ」
俺の言葉にダンは目を見開いた。

「カイ。お前がそんな事を気にするヤツだと思わなかったぞ」
「兄さんは気にしなさすぎだ。うちはモルドー屈指の名家だ。愛人なら問題ないかもしれないが正妻にするつもりなら必ず揉める。下手をすれば勘当じゃないか」
「カイ!」
咎めるようにダンは俺を睨む。
そして怒りを噛み殺すように呟く。

「生涯ただ一人の女性を選ぶとしたら、エマ以外は考えられない。こんなに真剣な想いなんだ。きっと父さんも母さんも分かってくれる。それにウルだからと虐げられる理由など何もない。今の政治が間違っているんだ。正しい方へと変えていく力が欲しい」
「なら早く出世するしかないな」
俺が言うと、ダンは大きく頷く。

「ああ。だから毎日でもエマに逢いたい気持ちを抑えて、こうやって軍議に参加し遠征地へも行く」
「明後日にはモルドーを出るんだろ?」
「おそらくな。今日の軍議で決定するだろう。二週間後のエマの誕生日に戻ってこれるか心配だが」
「誕生日なのか?」
「執事にプレゼントの手配を頼んであるんだ。もし私の帰国が間に合わなかったら、私の代わりにお前がエマに届けてほしい」
「わかった」
「それから愛していると…いや、これは戻ってから自分で言う」
「そうだな」

あの女の誕生日。
ダンが戻らなければいい。
俺は心底そう願った。
いや、願うだけでは叶わない。
何か手を打たねば。

「どうした?カイ。深刻な顔をして」
「兄さん。エマさんのためにも無事で早く帰って来れるといいね」

エマの誕生日に。
あの女と二人過ごす時間を想い描く。
ダンを貶める為だけのはずなのに、僅かに心の奥が高揚するのを感じた。

…どうかしている。

俺は、いつも以上に完璧な弟を演じることに集中しようと切りたての前髪に触れそうになる指を引っ込めた。










次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ