「シン、ここにいたのか」
宿舎の中庭で本を読んでいると俺を呼ぶ声が聞こえる。
「はるばるヤマトまで来て読書か?せっかく本校を離れて旅行気分で来てるんだ。もっと楽しめよ」
俺にそんなおせっかいな忠告をしてくる男の名はライル。
帝国随一の同じ海軍士官学校に通う、数少ないウルの一人だ。
「そういえばこの間の試験はまたシンが一番だったって?本当に君はウルの希望だな!」
「・・・フン。別に大したことじゃない」他のヤツが馬鹿なだけだ。そう言いかけた言葉を呑み込んで、手元の本を閉じて立ち上がる。
「あれ?それは・・・海賊の手記じゃないか!?」
ライルが俺の手にあった本を驚いた顔で凝視した。
コイツが驚くのも当然だった。
学校内では帝国が閲覧を許した海賊の本以外を読むことは禁止。
その馬鹿げた規律でいえば、俺が読んでいるものは禁忌の本になる。
「シン、まさか海賊にでもなろうってのか?」
「・・・エリート海軍士官学校首席の俺が、海賊になりたいわけがないだろう」「はははっ、それもそうだ。敵軍観察ってところかな?」
「まーな。海の上を住処にするのは海軍も海賊も同じだ。海賊とはいえ航海術は学ぶべきことが多い」「そうか。でもせっかくヤマトに来てるんだ。本なんて読まずに門のところに行けばどうかな?」
「門?」「シン目当ての女性が詰めかけてるみたいだよ。ここ数日宿舎に滞在している君を見かけて、ファンクラブまで出来てるようだけど」
「・・・チッ」面倒ごとは放っておくに限るが、騒ぎになって学校側から目をつけられるとマズイ。
混血の俺は、ただでさえ教師にも疎まれている。
特待生に与えられる学校行事不参加の権限や奨学金を取り上げられると病弱なオフクロの側についていることが難しくなる。
たまには遠い地で愉しんできて欲しいというオフクロの願いを受け入れて、今回はヤマト宿舎での研修に参加することにしたが・・・面倒事に巻き込まれるなら二度とごめんだ。
部屋に戻るはずだった足を、俺は仕方なく門へと向けた。
「きゃあ〜!あの方よっ!」
「やっぱり素敵〜。お名前はなんていうのかしら?」
「シンって呼ばれていたわ!」
「シン様〜!」
門には数人の女が屯っている。
「おい」声をかけると全員が一斉に返事を返してくるが、きゃあきゃあと甲高い声が耳に障る。
「ここは女禁制の宿舎だ。ウロウロされちゃ困る。用があるなら手短に済ませろ。」「は、はい!シン様、ご趣味は?」
「シン様、好きなタイプの女性は?」
「恋人はいるんですか?」
「あのっ・・デートしてください」
女たちが俺を取り囲んだ。
「趣味は女を苛めること。好きなタイプは苛め甲斐のあるヤツ。それから、特定の女を作る気はない。デート?万が一気が向けば、首輪つきで5分だけ時間をやる。・・・これで満足か?」全部に応えると、女たちはポカンとした顔で俺を見た。
想像していた感じと違う・・・そう思われたなら成功だ。
「きゃ〜!!素敵っ!首輪付きでもいいです!!」
「わたしもっ!」
「むしろシン様にならされてみた〜い!」
沈黙の後、女たちは一気に押し寄せる。
・・・チッ
ヤマトの女はシトヤカだと聞いていたが・・・変態が多いのか?「俺とまた会う機会が欲しいなら今日は大人しくさっさと帰れ」「はいっ!わかりました!また会いに来ます!」
女たちは一斉に返事をして帰っていき、ほっとして振り向くと通りかかった子供にぶつかる。
ガキは派手に転んで、声をあげて泣き出した。
ますます騒がしくなる門を遠巻きに生徒達が見てくる。
そのうち教官がききつけてくると本気で厄介だ…。
俺は泣き叫ぶガキを抱えて、門から少し離れたところに移動した。
ったく、羽を伸ばすどころか厄介ごとばかり増えるな…
「悪かった。泣くな。」「うえええ。いたいよ〜」
ガキの汚れたズボンをはたき、ケガが無いか確かめる。
「ケガはねーみたいだな。男だろう。いつまでもグズグズと泣くな。サメのエサにするぞ」「・・・サメのエサ・・・?」
俺の言葉にガキは泣き止んでから不思議そうな顔をする。
「サメってなに?」
「お前、サメをしらねーのか」「うん。どうぶつ?」
「海にいる動物だ。本とか読まねーのか。見たことはなくても本に載ってるだろう」「うち、本ないもん」
俺は持っていた海賊の本をパラパラとめくる。
「この絵は下手くそだが・・・だいたいこういう生き物だ」手記の中に描かれている海の生物を見せるとガキは顔を輝かせる。
「すごい!サメって大きいんだね!僕はこのどうぶつのご飯にされるの?」
澄んだ瞳で聞き返されると、思わず舌打ちしたくなる。
「だからグズグズと泣くようなヤツはそうしてやるって言ってるんだ」「じ、じゃあ泣かない!」
・・・女も時々面倒だがガキはもっと苦手だ。
「か、いぞ、く・・・」
ガキが本の表紙の文字に見入る。
「おにいちゃん、かいぞくなの?」海賊の本を読んでいるから海賊か、とはガキらしい短絡的思考だが…
「・・・だったらどうする?」脅してやると途端にビビった顔になる。
「お母さんが、かいぞくに近付いちゃダメだっていつもいってる・・・」
「ほう」「かいぞくはわるいひとだから近付いちゃダメだって」
「なら、とっとと俺から離れるほうがいいんじゃないか?」「・・・・」
ガキはじっと俺を見あげた。
保護者はいねーのか。こんなガキを放ってどこをウロついてるんだ。
辺りを見廻すが、それらしき人物はいない。
「ったく、おいガキ。お前の母親はどこに・・・」そう言いかけると、ガキがぎゅっと足元に纏わりついてきた。
「かいぞくつかまえたぞ!」「はぁ?」「かいぞくがあぶない人なら、僕がおねえちゃんを守らなきゃ!男はだいじなひとを守るためにたたかうんだっておじいちゃんがいつもいってるもん」
さっきまで泣いていたガキと思えない程、勇ましい顔で俺の足を掴んでいる。
・・・・ホント、めんどくさいやつだ。
「馬鹿。俺は海賊じゃねーよ。この制服は海軍士官学校の制服だ。海賊なわけねーだろ」「え?かいぞくじゃないの?」
「海賊をつかまえたいなら、まずは海賊のことを勉強するんだな」俺は本をガキに手渡す。
ガキは興味深げに本をめくり始めた。
「・・・お前、母親は元気なのか?」「おかあさん?うん。元気だよ」
「さっき『おねえちゃん』と言っていたが、姉がいるのか?」「うん。怒ると怖いけど優しいお姉ちゃんがいる。さっきまで一緒にいたけど・・・どこかいっちゃった」
コイツ、姉とはぐれたのか。
「美人か?」「うん!とってもびじん!」
「ふーん。・・・・父親は?」「おとうさんはずっといないよ」
ガキはけろっとした表情で告げた。こいつも父親がいないのか。
「・・・なら、寂しさとか憎しみを感じたことは・・・?」「にくむ?おとうさんを?ん〜、少し寂しい時もあるけど、でもお母さんもお姉ちゃんも大好きだから大丈夫!」
「・・・そうか」屈託ない表情で笑うガキを見ていると、じわじわと心が痛む。
思わず右目を抑える。
オフクロの衰弱と共に日に日に膨らんでいく黒い感情。
キラキラと輝く瞳が・・・うっとおしく思えてくる。
「じ・・えっと・・じゆう」
ガキの言葉が突然降るように心に留まる。
「おにいちゃん、かいぞくはじゆうって書いてある。わるいひとなのにじゆうなの?」
自由。いっそ海賊になれば――俺をとらえている全ての鎖から自由になれるんだろうか。
ふと浮かんだ考えを自嘲する。
「さーな。それは海賊になってみねーとわからねーな」「・・・〜!どこにいるの〜?」
女の声が遠くから聞こえてくる。
「あ、おねえちゃんだ!」
俺はくるりと背を向けた。
「あれ?おにいちゃん、もういっちゃうの?」
「ああ。俺は忙しい」「おにいちゃん、本・・・」
「お前にやる。転ばせた詫びの品だ。せいぜい海賊の事を勉強して、悪い海賊から姉貴を守るんだな」「ありがとう!」
宿舎に戻ると、ライルがニコニコした顔で俺を見ていた。
「女性には少し厳しいけれど、子供に優しいんだね、シン」
「フン。どっちも面倒な生き物だ」「へぇ・・・あの子のお姉さん、可愛い子だね。ヤマトには素敵なレディが多いなぁ」
ライルが門の方向を見つめて微笑んだ。
俺は振り返りもせずに歩き出した。
ライルも俺の隣に並んでついてくる。
「あのガキの姉なら、おそらく馬鹿みたいに真っ直ぐそうなヤツだろう。」さっきのガキは愛情をたっぷりと受けて育った、といった笑顔を見せた。
あんな小さな身体が、今の俺には眩しくも思え、煩わしくも感じた。
「ああ確かに。そんな印象だね」
「なら興味はない。そういう女は面倒だ。女は割り切って遊べるくらいでいい」「ははッ。手厳しいな。まだ幼いけどヤマトナデシコだろ。将来有望っぽいし、仲良くなっててもいいんじゃないの?」
「しつこいぞ。どーせガキだろ。遊び相手にもならねー」「そう?残念。でも、いつか見てみたい気もするね。」
「何を?」「シンが夢中になる女性を」「そんな女に出会うつもりはない」「未来のことなんて誰もわからないよ。シンは意外と世話焼きだから、ああいう真っ直ぐでちょっと鈍くさそうな子と縁があったりしてね」
「フン・・・余計な戯言はそれくらいにしておけ」ライルを軽く睨んでみるが―――
そう、未来なんて誰にもわからない。
エリート官僚を目指しているはずの俺が海賊になっていることだってあり得るかもしれない。
世界の海を統べるという、海賊王。
縦横無尽に広い世界を航海すれば、何かを変えることができるのだろうか?
オフクロの病を完全に治す薬が手に入ったり、ウルだのモルドーだのとこだわらずに済む生活を送れたり・・・?
「自由か。今の俺には深海の底に眠るお宝に思えるな」ヤマトの澄んだ空を見上げた。
何か滋養のある土産をオフクロに買って帰らねーとな。