神さまの言うとおり|あらすじ
「神さまの言うとおり」1巻の表紙を見たことがあるだろうか?
「達磨」である。
他の漫画作品の単行本表紙を見たことのある方は、当然いるだろう。
無論、この記事を挙げた「筆者」も沢山の漫画表紙は見たことはある。
必ず、その作品に「重要なキャラクター(主に人間)」を表紙に描き、なるべく笑顔(作品のジャンルにもよる)、目線はその作品を見ている「読者」に向けていることが大切である(特に、漫画出版業界で守らなければいけないルールではないが、せめて、その作品を買ってくれるかもしれない「消費者」へのアピール?)。
しかし、この作品の単行本1巻は「達磨」なのだ。
しかも、「目が死んでいる(達磨だからあたりまえか)」、「ムスッとした表情」だ。
「注意してほしい」が、「筆者」はこの作品の表紙を「非難しているわけではない、絶対に。」
逆に、「この描き方がいいのだ。」
この作品の内容は、突然主人公が通っている高校の教室で、いきなり「謎の殺人ゲーム」に巻き込まれて行く。
「謎が謎を呼ぶ」漫画作品だ。
表紙に描かれている「達磨」も重要なモノである。
あえて、「達磨」を表紙に描くことでこの漫画の奇妙差を表している。
また、あえて、この「達磨」を表紙にすることで「書店」の「漫画新刊コーナー」で、他の綺麗なキャラクターたちの表紙が描かれた数々の単行本の中に、紛れていく事なく、独立して新刊の漫画を買いに来た「読者」こと「消費者」の目に留まるように計算されて描かれたのではないだろうか?
※この記事は、あくまでこの記事を挙げた「筆者個人の考え」である。