記憶の蓋

□名前呼び
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工学部の講義が多く行われる講義棟の近くで、少し落ち着きのない胸を抑えるように、胸に手を当てる

アトラに押されるがままに来てしまったが、工学部棟に来たことなんてほとんどないし、ましてや工学部に知り合いなんていなかったのに



どうしよう、と不安な気持ちになっていると、ざわざわと声が聞こえてくるようになった

それに弾かれるように顔を上げると、目的の人が出て来たところだった







『オルガ、さん』



おそるおそるそう声を発すると、講義棟から出てきたばかりの彼は私に気づき、少し驚いたような顔をした





「もう大丈夫なのか?」

『はい、あの、何度も何度もご迷惑をおかけしてすみません

医務室まで運んでくれたのがオルガさんだって聞いたので、お礼を言おうと思って待ってました

ありがとうございました』


深く頭を下げ、それじゃあ、とその場を後にしようとした

けれどまた、くん、と後ろに身体が引かれた





「送っていく」

『え?』

「あんた、ほっとけないから

もう講義はないんだろ?」

『そう、だけど、そこまでご迷惑をおかけするわけには』


手首を軽く掴まれ、後ろを振り向いて彼と目線を合わせる

遠慮しようとする私に彼は顔をしかめ、迷惑じゃない、と断言した



「迷惑だったら最初から話しかけない

行こうぜ」

『………お願い、します』



不思議と嫌な気持ちはしなかった

この手の文言でナンパのようなことをされた事があるから、男性はある程度疑ってかかっていたが、この人は大丈夫だという安心感があった





***




いつもの帰り道が少し違って見える

それは、隣に彼がいるからだろう





「敬語はやめてくれ、あとさん付けも」


歩き出すなり、すぐにそう言った彼に思わず笑ってしまった


大学の構内を出て、静かな住宅街を歩く



そう言う彼に、じゃあ、と口を開いた






『なんて呼べば良い?』

「オルガで良い」

『分かった、オルガ』

「!」




ふわりと微笑んでそう名前を呼ばれると、どき、と胸が高鳴る

笑う彼女の笑顔が、自分の知る彼女と重なった





彼女との話は尽きなかった

ほとんど初対面に近いはずなのに気があうのは、やはりあの頃も気が合っていたからなのだろう


長い間離れていても、根底では繋がっているような気がして、柄にもなく嬉しかった




話している間に色々と聞けたが、彼女は出身地も遠いしこの大学に来た経緯も自分とは違う

俺は地元が近かったという理由が大きいが、彼女は遠方から進学して一人暮らしをしている


出会えた確率は限りなく低かったのに、こうして出会う事が出来たのか


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