その他
□無い物ねだり。
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とある曇りの日に、私は体質のせいで憂鬱になっていた。
そんなときに、親からは通じ合わない私達の心も知らずに保健室の先生から心無いことを言われて、拗ねていた。
私の事をまるで知っているかのように言い放つ両親と保健室の先生の存在が許せなかった。
そんなとき、私の事をわかった気でいる保健室の先生が何かの説教を言い出した。
『私は親に捨てられたの。』
それは、同情を誘っているのだろうか。
『私は、両親がいなかった。だから、あなたが羨ましいし、大切にしなきゃ。』
私はその答えが満足いかなかった。
両親を持っていない人に羨ましいと言われても、その価値は私にはわからなかった。
私の気持ちなんて知らないくせに。そんな気持ちが勝っていた。
親の持たないお前に何がわかるんだ。と言いたかった。
でも、それを言えばきっと面倒なことになるから。グッとこらえる。
『私の人生は親がいなかったから、不幸だったわ。』
そう言い訳をかます保健室の先生を見た。
その考え方は極端過ぎるといささか思う。
私はよく、実現しないことを空想にふける時がある。
イメージトレーニングみたく。
その中で私は保健室の先生にこう言っていた。
「先生、人生の幸・不幸は自分で決めるものです。
親がいる・いないで人生を決めないでください。
そんな風に言うのなら、まるでお金のある人生が幸なのか・不幸なのかと言っているようなものですよ。」
親を金に例えてしまう私もどうかと思うが、私にとってはそう考えてしまうのだ。
だって、先生は先生の人生があるのだし。
私は別にお金のない人生が不幸だとは思わない。
お金がないことは不自由なことかもしれない。
それでも、楽しもうと思えば楽しめる。この人生は。
最終的に人生を決めるのはあなた自身なのだから。
親のいない先生は親のいる生徒の気持ちがわからない。
この苛立ちも。離婚しそうな勢いで喧嘩している原因が私だったことも。
お酒を飲めば聞きたくもない罵倒する怒鳴り声が聞こえて来ることも。
同じ家にいるのに、孤独に感じる寂しさも。
きっと、わからない。
離婚しないから、幸せな家庭がそこにあるわけがない。
私は、親の大切さがわからない。
そして、私は親のない先生が羨ましかった。