決して長くはない時間を生きてきて、心の底から後悔したことなんて、どんなに記憶を探ってもほとんど心当たりが無い。三歳の時に故郷を滅ぼされ、それからはずっと一人で生きてきた。一人で生きていくにはあまりに幼すぎた俺は、ただ『明日』を迎えることだけに必死だった。だから、何かを悔いる余裕すらも俺には無かった。





成長して、大人と言われる年齢になってからは、ただただがむしゃらに生きてきた経験からのらりくらり適当に世の中を渡る術を習得し、余計に後悔する機会に巡り合わなかった。そんな中で唯一記憶にある後悔したことと言えば、ギョラ公に付き纏われることになった経緯ぐらいだ(やり直せるもんならやり直したい)。






どっかの誰かさんが『後悔しない生き方を選べ』と宣ってたが、人間、生きてりゃ少なからず後悔はするもんだ。そんな機会に遭遇しないためにも、厄介事に首を突っ込まず、人との関わりを最小限にして、一匹狼を貫くのが楽でいい。それを熟知していた俺は、ずっとそうしてきた。









──ボーボボと再会し、旅をしていく中で、アイツと恋人になるまでは。


















日当たりのいいベランダ付近に置かれたイスに腰掛け、ヘッポコ丸はボーッと空を眺めている。なんの感情もこもっていない目は、空や流れていく雲をしっかり認識しているかどうかも怪しい。その手はまるで慈しむかのように、膝掛けに覆われた自身の足を撫でている。それは最早癖と言っても良いほど、気が付けばアイツは足を撫でている。歪にくっついた骨の形を確かめるかのように、アイツの指は足を這う。










まるで、当たり前のように歩けていたあの頃に戻れるように、祈っているかの如く──











俺はそれを見ないフリをしながら、黙々と朝食の準備をこなす。流石に六ヶ月間毎日作り続けてきたら、手際だって良くなるし料理の質も上がる。さくさくとパンを切り、間に具を挟んでいってサンドイッチを作る。初めの頃はパンを均等な大きさに切り分けることも出来なかったのに、慣れというのは恐ろしいものだ。





その片手間にスクランブルエッグを作り終えた後、食器棚から皿を取り出す。作り終えたサンドイッチとスクランブルエッグを二つの皿に均等に盛り付け、色違いのカップにコーヒーを注ぐ。ヘッポコ丸のカップには砂糖とミルクをちょっぴり多目に入れて。昨日の夕飯の残りのサラダを冷蔵庫から取り出し、それらをリビングのテーブルに並べれば、朝食の準備は完了だ。





「飯、出来たぞ」





声を掛けながらヘッポコ丸に歩み寄る。ヘッポコ丸は無反応で、こっちを振り向きもしない。相変わらずその真紅の瞳は群青の空と、真っ白な雲ばかり眺めている。見上げてばかりいるヘッポコ丸を見て、俺は胸が締め付けられるような思いだった。ヘッポコ丸はここに来てから、空を眺めて過ごすことが本当に多くなった。それは、下を向きたくないからか。下を向けば、嫌でも現実を目の当たりにしなければならないからか。









──いつになったら。





──お前は前に進めるんだ。









「飯だっつってんだろシカトすんな」
「いてっ」






落ち込みそうになる心を奮い立たせるように、わざと強めにヘッポコ丸の頭を叩く。ようやく俺を見たヘッポコ丸は、叩かれたことに不服なようで、これみよがしに頬を膨らませてジト目で睨んでくる。




「いたい」
「呼んでも返事しねぇお前が悪いんだろうが。ほら、行くぞ」





少し屈んで、ヘッポコ丸の膝と脇の下に腕を通す。あの日以来食が細くなったヘッポコ丸は、運動する機会なんて皆無に等しいのに軽くなる一方だ。軽々と持ち上がるその身をスタスタとテーブルまで連れて行く。落とされる不安でもあるのか、はたまた無意識か、両腕は俺の首にしっかり回されている。だけど力は全然こもってなくて、ただ添えられているだけだ。




逆に俺の腕には力がこもる一方で、たった数歩の距離なのにえらく疲労が溜まる。ヘッポコ丸を運ぶのがしんどいからとかそういう疲労じゃなく、精神的な疲労。求めているのは俺だけなんじゃないかという、言い様の無い不安感。添えられているだけの腕。求められることが極端に減った触れ合い。最後にコイツが心から笑っているのを見たのは、いつだっただろう。





「……破天荒」
「なんだよ」
「……ごめんね」
「…バカ」





お前が謝ることなんて、何も無いのに。





どうしてお前は、いつもいつも謝ってばっかりなんだよ。


















一年という月日は、記憶を薄れさせるにはまだ足りない。俺にとってですらそうなのに、ヘッポコ丸からすればなんの慰めにもならない月日だろう。日々現実を突き付けられて、一体何を忘れさせてくれるというのか。








一年経った今でも、あの日のことは鮮明に思い出せる。時折夢を見る程だ。拉致されたヘッポコ丸。攫われたのは毛狩り隊が保有するとある施設。辿り着いた最深部に、拉致した張本人とヘッポコ丸は居た。ヘッポコ丸と俺達の間を隔てる鉄格子。そいつは実験だと称し、拘束されたヘッポコ丸をボコボコに殴りつけていった。俺達はそれを止められず、ヘッポコ丸を助けてやれなかった。鉄格子を壊そうと躍起になるがやけに頑丈な鉄格子はビクともせず、ヘッポコ丸がだんだんとボロ雑巾のようになっていくのをただ見ているしか出来なかった。










そんな俺達を嘲笑うかのように、そいつは仕上げと言わんばかりに、ヘッポコ丸の足を──へし折った。








殴られすぎて意識が朦朧としていたヘッポコ丸は、その痛みに無理矢理覚醒させられ、そして一拍置いて室内はヘッポコ丸の絶叫に満たされた。当たり前だ。普通では有り得ない角度まで全体重を掛けて曲げられた末の骨折なんだ。尋常じゃない痛みがヘッポコ丸を襲ったことだろう。絶叫は、途切れるところを知らなかった。







もう片方の足も同様にへし折った後、そいつは傍らに用意していたハンマーで、力任せに、妙な方向に曲がってしまったヘッポコ丸の足を殴打した。俺達に見せ付けるかのように、わざわざ殴る場所を指定するという下衆なアピールをしながら。










ハンマーが振り下ろされる度、バキ、バキ、と骨が折られ、砕ける音が響いた。そいつはずっと笑っていた。そいつの目的は、最初からヘッポコ丸を壊す様を俺達に見物させることだったのだと、この時ようやく気付いた。ヘッポコ丸はあまりの激痛に意識を失っていて、嬢ちゃんはあまりの仕打ちに見ていられなくなったのか、目を覆って蹲って泣いていた。俺は怒りのあまり、ここから先の記憶が飛んでいる。










気付いた時には鉄格子は無くなっていて、そいつは見るも無惨な姿に変貌していた。自分の拳は真っ赤に染まっていて、そいつを殴り殺したのは自分なのだと遅まきながら理解した。全然スッキリなんてしなかった。寧ろまだ足りなかったから、もう二十発程ぶん殴っておいた。止める奴は誰も居なかった。






ヘッポコ丸は……惨いという言葉では到底言い表せられないほど、酷い有り様だった。両足は妙な方向にねじ曲がって、殴打された際の内出血で真っ青だった。その前に殴られた箇所も酷く、血が滲んでいる所も多々あった。









へし折られ、ハンマーで追撃された足は、骨どころか筋組織、果てには神経までも多大なダメージを負っていた。医者ですら匙を投げ、完治はおろか一生歩けないだろうと宣告された。告げられた時のヘッポコ丸の涙は、未だに忘れられない。










あの日を思い出す度、はたまた夢に見る度に思う。あの時どんな行動を取っていれば、ヘッポコ丸は助かったのか。アイツを一人にしなければ、攫われることは無かったんじゃないか。鉄格子をすぐ壊せていれば、足を折られずに済んだんじゃないか。もっと早く最深部に着いていれば、違う結果が待っていたんじゃないか。





もしも、なんて考えは考えたところで無意味なのは百も承知だ。それでも、思考が止まらない。未だにこんなに苦しんでいるヘッポコ丸を見ては、余計に。





「たすけて…いやだ…やだよ…」





夜。隣で寝ていたヘッポコ丸が泣き始めた。あの日の夢を見たせいなのは分かってる。ただ見ているしか出来なかった俺とは違い、ヘッポコ丸にとっては自身が体験したことだ。あの日の光景はフラッシュバックし、悪夢となってヘッポコ丸を苛む。何度も何度も足を壊される光景を夢に見て、ヘッポコ丸は助けを求める。鉄格子の向こうで自分を助けようと躍起になっている仲間達に。……そして、俺に。





あの日ついに口にしなかった『助けて』を叫ぶのだ。






ほぼ毎日、ヘッポコ丸はあの日の夢を見る。だからヘッポコ丸は夜を嫌うようになった。眠るのを拒むようになった。睡眠導入剤を使って無理矢理眠りを促すけれど、結局悪夢を見て泣きながら起きる。そうして泣きじゃくるヘッポコ丸を俺は抱き締め、悪夢が消え去ることを祈りながら背を撫でてやることしか出来ない。








俺は無力だ。あの日も……そして、これからも。






「ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい、破天荒、俺…」
「良いから…良いから、謝るな…」
「もうやだ…もう捨ててよ俺なんて…俺なんて、邪魔なだけじゃんか…なんで、なんで一緒にいてくれるのさ…なんで…なんで…!!」






わあっと声を上げて、まるで子供のように泣きじゃくりながら叫ぶヘッポコ丸に、何を言っても届かない気がして、俺は痩せた体を抱き締めてやるだけしか出来なくて。溢れ続ける涙を受け止めてやることしか出来なくて。無力な自分自身が情けなくて、歯痒かった。






布団越しに触れた足は、少し移動させれば不自然に隆起した骨にぶつかる。これがヘッポコ丸を縛る枷。あの日押し付けられたトラウマ。消し去る術は、未だ無い。消せるものなら消してやりたい。代われるものなら代わってやりたい。









どうしてあの日、攫われたのが俺じゃなかったんだろう。



コイツが泣かなくて済むなら…泣かなくて済むなら…俺の足ぐらい、いつだって差し出してやるのに。





「俺はお前を捨てない」




抱き締める腕は緩めないまま、俺は耳元で囁く。届かないであろう事を、百も承知で。




「お前が何を言ったって、俺はお前から離れねぇ。最初に言っただろ? お前と住むのは俺の自己満足だって。お前の意志なんか関係ねぇよ。俺がお前と居たいから居る。それ以外に理由なんかいらねぇんだよ」





お前の慟哭を受け止めることしか出来ないけれど…俺はお前と居たい。何もしてやれない無力な俺だけど、それでも…共にありたいと願う。




「迷惑だとかしんどいとか、そんなの少しも思ってない。寧ろ甘えてもらえて万々歳だ。だからいい加減泣き止め。な?」





もう何度も何度も口にして、言い聞かせていること。未だヘッポコ丸は信じてくれない。俺がヘッポコ丸を慰めるために心にも思っていないことを言っていると決め付けているようで、信じさせるのはなかなか骨が折れる。何をそんなに不安になることがあるんだろうか。恋人の言う事くらい、鵜呑みにしてしまえばいいのに。






…いや…恋人の俺が言う事だからこそ、拒むのかもしれない…。





「ごめんなさい…」




結局、ヘッポコ丸は謝るばかりで、泣き止むことも、俺の言葉を信じてくれることも無かった。ずっとずっと泣き続けて、泣くことに疲れ果ててようやく、ヘッポコ丸は深い眠りにつく。夢を見ることもないくらい、深く。誰にも邪魔されない、瞼の奥の暗闇の世界へ。







その身をゆっくりシーツに沈めてやって、その寝顔を堪能しながらも、俺の心を占めるのは悔恨の念。今日もヘッポコ丸を楽にしてやれなかったと、今日も届かなかったと、無力な自分自身を恨むのだ。









後悔なんて知りたくなかった。こんな後ろ暗い感情なんて、知らないままで生きていたかった。苦しむぐらいなら、見たくなんてなかった。…なんて、都合の良い逃避だが。





「お前が心から笑える日が、早く来ればいいのにな…」




寝顔を眺めながら、俺はポツリと呟く。それは心の底からの本音だった。自分の後悔に蓋をして、想うのはヘッポコ丸のことばかり。そう、俺のことなんて二の次で良い。コイツが笑ってくれるなら、俺はなんだっていいんだ。





「早く前を向け、ヘッポコ丸。お前だけが、背負ってるんじゃねぇんだから」







だけど今は……今だけは、安らかな眠りの中で安息を噛み締めていてほしかった。



















Hallo,GOD
(これがあんたが科した運命か?)
(あんたを殺せば、何かが変わるだろうか)




前にツイッターで『 今日はめっちゃ強い敵にへっくんが足へし折られて二度と歩けなくなって旅続けられなくなって破天荒が一生面倒見るって言って一軒家買ってへっくんと二人で暮らすんだけど歩けないことや破天荒に迷惑掛けてるのが辛くて泣いちゃってそんなへっくんをただ抱き締めてあげるしか出来ない破天荒ってのを妄想』と呟いた。それを文にしてみた感じ。呟いた内容と若干変わってるのは栞葉がクズだからですイエーイ\(℃゜)/←


色々と細かい設定もあるんだけど本編に入れれなかった。
●破天荒とへっくんは街から離れた場所に住んでる。
●一軒家住み。破天荒がなんかのコネで安く買った。
●破天荒の仕事はお家で出来る何か(特に決めてない)。
●へっくんの移動手段は姫抱っこ一択。車椅子あるけど使われてない。
●二人は同じベッドで寝てる。
とかね! 誰得だって話だよすんません! 好きな子はとことん泣かせたくなる奴なんでへっくんホントごめんな!!


最近幸せな破屁書いてない気がするから次は幸せなの書く。



栞葉 朱那

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