※破屁年齢入れ替え









破天荒少年は、最近行動を共にするようになったヘッポコ丸という青年が気に入らなかった。端的に言えば、嫌いだった。特に彼から直接何かされたという訳ではない。それなのに彼は、ヘッポコ丸を快く思っていなかった。





ヘッポコ丸は二十四歳。ボーボボより三つ年下の青年だった。だが、見てくれは二十歳を超えているようには見えず、破天荒と変わらず少年で通じる容姿をしている。子供っぽさを残した顔をしているのもあるし、破天荒とほぼ同身長であることも要因の一つだった。ビュティも年齢の割に大人びている破天荒よりもヘッポコ丸の方が話しやすいのか、よく談笑しているのを見掛ける。








そんなヘッポコ丸の実力は、ボーボボとは比べるまでもなく、挙句の果てに破天荒にまで劣る始末だ。ヘッポコ丸が全く修行を積んでいないというわけではない。ただ、修行に費やした時間に見合った実力を手に入れられないだけだ。才能に乏しい、と言えば良いのだろうか。ヘッポコ丸もそれをもう長い事自覚している。それでも腐らず修行を続けているのは、ボーボボも素直に賞賛している部分でもある。







だが破天荒はそんなヘッポコ丸が気に入らないのだ。弱いくせに、自分より子供っぽいくせに、ただボーボボの強さに惹かれてホイホイ着いてきただけのくせに、自分を子供扱いしてくる彼が。





「嫌いなんだよ」
「言われなくても知ってるけど」





面と向かって悪態をつく破天荒に、悪態をつかれた本人は『何を今更』と言いたげに首を傾げただけだった。全然気にしていないらしい。『嫌い』という言葉に腹を立てた様子も、気分を害した様子も無い。そんな反応を返されて、却って気分を害したのは破天荒の方だった。




破天荒がヘッポコ丸を嫌っているのは周知の事実。初対面の時から破天荒は牙を剥き出しにし、ヘッポコ丸に食ってかかった。ヘッポコ丸も当初はそんな破天荒の態度を疎ましく思っていたが、だんだんとあしらい方を覚えたらしく最近ではあまり相手にもしない。今のように面と向かって悪態をつかれても、意に介さないようになっていた。いちいち相手にするのが面倒になった、と言うのが正しい。




そうしてあしらわれた破天荒が気分を害してヘッポコ丸への好感度をまた下げてしまうのだが、これについてはヘッポコ丸に非は無い。原因は寧ろ懲りもせず何度も執拗に絡んでくる破天荒にあるのだから。ヘッポコ丸は別に破天荒にどう思われていようと構わないので、嫌われているなら嫌われているままでよかった。無理に仲良くなろうとは思っていない。相手にその気が無いのなら、縮められる距離も縮まらない。ならば現状に甘んじておくのが最適だと、この人生の中で学んだ処世術だった。




「他に言うことねぇのかよ!」
「無いよ。良いから早く行くぞ。ボーボボさん達が待ってる」





尚も食ってかかる破天荒にそう促して、ヘッポコ丸はさっさと歩き出してしまう。破天荒はその背を追い掛ける。





「お前ムカつくなぁ」
「なんとでも。じゃあお前はなんて答えて欲しかったんだ? 俺も嫌いだって言って欲しいのか?」
「別にそんなんじゃねぇよ」
「あっそ。じゃあいちいち噛み付いてくるな。相手するのも面倒なんだから」
「なんだと!?」
「うるさいぞ破天荒。あんまりヘッポコ丸を困らせるな」





思わず胸ぐらを掴みそうになった所でボーボボに窘められ、破天荒は渋々とヘッポコ丸から距離を取った。ヘッポコ丸は気にする素振りも見せず、ボーボボに謝っていた。それがまた破天荒の癪に障った。だが、ここでこれ以上何を言ってもボーボボに止められるのは目に見えている。破天荒はヘッポコ丸から離れ、心のオアシスである首領パッチに近付きハジケに加えてもらった。心に蟠りが残った状態ではハジケに集中出来ないようで、キレが無いように見受けられるが。









破天荒の背を見送って、ヘッポコ丸は小さく溜め息をついた。意に介さないよう気を付けていても、やはりあそこまで嫌悪を剥き出しにされると気が滅入る。なんとか出来るものならなんとかしたいと考えたこともあったが、無駄な労力の消費にしかならないと悟ってからはそう考えることもやめた。面倒だ、という思いは隠しきれないが。それは先程の会話にも如実に表れている。








どうして自分が破天荒に嫌われているのか、その理由はヘッポコ丸も分かっているつもりだ。だが、分かっているからと言って、そう易々と直せる部分でもないのであり、結局現状を受け容れるしかないのであった。そんな現状を歯痒く思うのだが、形振り構わず足掻ける程子供でもないし、突っ撥ねた言い方をすれば破天荒一人に嫌われていようと生きるのに支障は無い。









だから、納得出来ない部分はあれど、今は甘んじておくのがベストだと割り切っている。いつか、全てが変わるキッカケが掴めると信じて。そんな日が来ると信じて。




















それから数日後。ボーボボ一行は毛狩り隊から襲撃を受けていた。ただ、いつもより数が多い。いつもは多くても二十人程の一兵卒達なのに、今日は見た限りでは五十を軽く超えている。それに怖気付くような面々ではないのだけれど。





ハジケを繰り広げつつバッサバッサと敵を凪いでいくボーボボと首領パッチ。堅実に、且つ確実に敵を戦闘不能に陥らせるヘッポコ丸。お得意のカギ真拳で敵の動きを停止させていく破天荒。戦況は明らかにボーボボ達が有利だった。





それを裏付けるように、まだ倒されていなかった四人の一兵卒の面々が散り散りに逃げていく。既に戦意は無いようで、ボーボボはそれを追い掛けようとは思わなかった。あの隊員達がどこのブロックの傘下に居るのか知らないが、そのまま隊長格を引き連れて来てくれれば潰しに行く手間がはぶける、と考えていた。






ボーボボが追わないのだから、首領パッチとヘッポコ丸にも追う意思は無かった。首領パッチはいつの間にやら作った泥団子を秘めたる腕力で逃げる隊員達にぶつけたりしていたが、それだけだった。…しかし。





「逃がすかよ!」





残念ながら一人、ボーボボの意向に沿わない少年が居たが。





「破天荒! 深追いするな!」





追い掛ける破天荒の背にヘッポコ丸が制止の声をぶつけたが、その足が止まることはなかった。既に聞こえていないのか、敢えて無視したのか。後者の可能性が高いな、とボーボボは小さくなる背中を見送りながら思った。



制止の声を掛けたのが首領パッチであったなら、破天荒は大人しくその言葉に従っただろう。ヘッポコ丸が発したからこそ、それに歯向かったように思われた。ボーボボは嘆息する。私情を戦闘に持ち込むようでは、破天荒もまだまだ甘いな、と。





「あのバカ」





額に手を当てながら呟かれたそれに、ボーボボは頷く。ヘッポコ丸は未だ破天荒が消えた方向を見ている。短絡的な行動に呆れているのだろう、その目はどことなく失望の色が混ざっているように思える。





「どうしますか? ボーボボさん」
「放っておけ。奴らは何かしら足を用意してるだろう。追い付けず帰ってくるさ」





ここで言う『足』は、二輪駆動もしくは四輪駆動の移動手段のことだ。あの人数が徒歩でここまで来たとは思えない。目に見える範囲に基地らしき建物が見えない以上、なにかしら用意している可能性が高い。




だから、どれだけ破天荒が息巻いて追い掛けようが徒労だろう。ボーボボはそう当たりをつけ、破天荒が戻るまで休憩を取ることにした。各々が思い思いに羽を伸ばしている中、ヘッポコ丸だけは尚も、破天荒が消えた方向を眺めていた。

























「(なーにが『深追いするな』だ小心者め)」





心の中でそう毒づきながら、破天荒はひたすら足を動かしていた。ボーボボが懸念していた通り(破天荒はその事実を知らないが)逃げた隊員達は用意していたらしい四輪駆動車を使用したようで、その姿はすでに見当たらない。破天荒は現在、地面に残された車輪の跡をひたすら辿っている。逃げた者達を捕まえられなくとも、拠点だけでも明らかにして戻ろうと考えているのだ。




本来ならそんなことせず諦めて戻るべきなのだが、ヘッポコ丸の制止の声が脳裏にちらつき、反抗心が芽生え、このまま大人しく引き下がれなくなっているのだった。端的に言えば、意地になっていた。





「(絶対尻尾掴んでやる…!)」





逃げた者を見逃してやるような甘さなど、破天荒は元より持ち合わせていない。故郷を滅ぼされて十数年、毛狩り隊に抱く憎しみはボーボボやヘッポコ丸の比ではない。当時の記憶なんてほとんど無いのに、破天荒の憎悪はあまりに大きい。今破天荒の足を動かす動力には、意地以外の別の力も加わっていた。







何が彼をそこまで駆り立てるのか…それは同郷であるボーボボにも、全貌は見えない。幼き眼に焼き付いた過去は、その心にどれだけの闇を植え付けたのだろう。







ヘッポコ丸への反抗心と毛狩り隊への憎しみ。それだけを糧に破天荒は進む。とっくに見えなくなった敵の背を求めて。どこにあるかも知れない敵の拠点を探して。





「(……ん?)」





破天荒は不意に足を止めた。向かう先に何かがあったからだ。目を凝らして見ると、それは逃げた隊員達が使っていた四輪駆動車だった。破天荒はそれに急いで駆け寄る。すでに車内に人気は無かったが、辺りを見回してみると近くの茂みが踏み荒らされているのが確認出来た。複数人で踏み越えたような、そんな荒らされ方だった。






車を捨てた理由は分からない。ただ、隊員達が茂みの向こうに逃げたらしいと算段をつけた破天荒は、なんの疑いもなく自らも茂みを踏み越えた。意地と憎しみに蝕まれた破天荒に、最早冷静な判断力など無い。もし彼が冷静であったなら、それが罠であると気付けただろう。明らかに自分が誘導されていると見抜けただろう。いくつの『もし』を重ねてももう戻れない。破天荒は無我夢中で突き進んだ。





「(どこだ…どこにいやがる…!)」






尚も続く荒れた茂みを踏み越えて、破天荒は進む。木々に日光を遮られた森の中は多少薄暗く、先が見通せない。破天荒はそれに苛立ちを募らせながら懸命に足を動かした。──その時だった。






「うわっ!?」





急に左足が地面に沈み、バランスを崩し倒れ込んでしまった。見ると、左足が見事に穴にハマっている。どうやら古典的な罠、落とし穴に引っ掛かってしまったようだ。



誰が仕掛けたかなど…熟考するまでもなく、






「掛かった掛かった」





犯人自ら茂みから姿を現してきた。案の定、現れたのは逃げた隊員達だった。




ザッ、と足並み揃えて出て来た隊員達は、そのまま破天荒を見下ろす。八つの眼は一様に歪んだ笑みを称えていた。破天荒はそれを鋭い眼光で対抗するが、動きを制限された現状では、効果はあまり無い。





「こんなんに掛かるのか不安だったが、無駄にならなくてよかったぜ」
「こんなもんに引っ掛かるとは思わなかったけど」
「引っ掛かってくれてありがとな」
「こんな即席トラップでも効果ある時はあるんだな」
「その上から目線やめやがれテメェ等!!」






心底バカにされているのは明らかで、破天荒はそれが気に入らなくてたまらなかった。すぐさま穴から足を引き抜き、その歪んだ笑みを絶望に変えてやろうと目論んだ。…だが、それは失敗に終わった。






破天荒は気付いた。穴の中で足が引っ掛かり、抜けなくなっていることに。なんとか無理矢理にでも引き抜こうと足掻くが、抜ける気配は皆無であった。





「抜けねぇだろ?」





足掻く破天荒を見て、隊員の一人が楽しそうに笑う。





「ちょっと細工をしててな、ちょっとやそっとじゃ抜けなくなってんだよ」
「隊長直伝の落とし穴トラップがこんなところで発揮出来るとは思わなかったぜ」
「あぁ。そんで…こっからはアドリブだ」





破天荒の目の前に立っていた隊員が、懐から大振りのサバイバルナイフを取り出した。ほんの僅かに差し込む日光に照らされた刃はキラリと光り、刃毀れ一つ見当たらない。丁寧に手入れされていたことが伺える。だがそれは破天荒にとっては感嘆するところではなく、逆に身震いするところだ。そのナイフが誰に、なんのために向けられるのか…想像するのは簡単だ。



その想像を具現化するかの如く、刃先が破天荒に向けられる。それだけで体がビクついてしまうことが、破天荒は悔しかった。彼は今、絶対的な恐怖を感じている。動きを制限され、刃を向けられていることに。それが自身の命を脅かす絶大な脅威であることに。それで身体が竦むのは人間の本能に埋め込まれた絶対的な恐怖心からで、破天荒自身に非があるわけじゃない。




それでも、破天荒は悔しさを隠しきれなかった。





「動けないガキ相手にみっともねぇとか思うか? だが、お前は我ら毛狩り隊に仇名すボーボボ一味、その一人なんだ。何もやり過ぎじゃない。寧ろお前をこのナイフで刺すことによって賞賛されるぐらいだ」
「知ってるか? お前らの首には賞金が掛かってんだぜ? しかもしばらくは遊んで暮らせる程の額だ」
「ボーボボはやはり別格だが、ボーボボ以外ならどいつの首でも額は同じ。だったら殺りやすいガキの首取るのは打算的だ」






ナイフが振りかぶられる。どこを狙われるのだろう。目か、口か、首か。よくても肩か腕か。急所を一突きで絶命させられるのか、一突きでは殺さず、じわじわと様々な場所を刺され殺されるのか。甚振るだけ甚振られ、最後に命を奪われるのだろうか。





破天荒の背筋に冷たいものが伝った。恐怖が身体を包み、最早足を引き抜くことすら忘れていた。ナイフの尖端を凝視し、それが今から自分の血に濡れることに悲嘆した。





「お前個人になんの恨みもねぇが…悪く思うなよ!」





刹那、振り下ろされるナイフ。破天荒は反射的に目を固く閉じ、来る痛みと衝撃に備えた。──けれど。





「『皐月』ぃ!!」






聞き慣れた声。聞き慣れた技の名前。吹き荒ぶ衝撃波と臭い。さっきまで自分を見下ろしていた隊員達と思しき悲鳴が鼓膜を揺さぶる。破天荒は気付いた。やってきたのが誰なのかに…それが自分が最も嫌っている人物だということに。





破天荒は閉じていた目を開けた。自分と隊員達を隔てるかのように、ヘッポコ丸が立ちはだかっていた。隙間から見える隊員達はみんな一様に地面に倒れ伏している。気を失っているのか、誰もピクリとも動かない。





「よかった…」





隊員達が気絶していることを確認したヘッポコ丸が、振り返ってそう呟いた。その表情は安堵に満ちている。間に合ったことに本気でホッとしているようだ。初めて向けられる優しい眼差しに、破天荒はどう反応していいのか分からない。だがすぐにいつもの調子で何しにきたんだ、と噛み付いた。




お礼もまともに言わない破天荒に分かりきっていたと言わんばかりの苦笑を漏らしつつ、ヘッポコ丸はしゃがみ込んでハマったままの破天荒の足を抜き出しに掛かる。その傍ら、投げ掛けられた疑問に答えてやる。





「誰かさんが一人で突っ走っていったからな。追い掛けてきたんだよ」






ボーボボは放っておけと言ったが、元来のお人好しな性分がそれを黙認出来ず、破天荒を連れ戻してくるという名目で追い掛けてきたのである。そしてようやく追い付けば、今まさにナイフで刺されてしまいかねない場面だった。間一髪、本当にギリギリだった。





「……余計なことしやがって」
「俺に助けられたのが気に入らないのは分かるが、俺は余計なことをしたとは思ってない。お前がケガしなくて良かったって、俺は心の底から思ってるよ」




間に合って良かったってね──いつにも増して真摯な言葉だった。そして、普段ならば絶対に向けられることの無い、優しさに満ちた言葉だった。破天荒は瞠目し、心なしか顔が赤くなっていた。ボーボボから向けられるのとは違う種類の優麗に、破天荒は最早いつもの憎まれ口も叩けない。




押し黙ったままの破天荒など眼中に無いのか、はたまた入れている余裕も無いのか、ヘッポコ丸は「あれー?」とか「もうちょっとなのに…」とぶつくさ呟きながら破天荒の足を右に傾け左に傾け、時折引っ張ったり回したりしていた。二人が思っている以上に、足が抜けにくい構造になっているらしい。一体どんな細工を施されているのだろう。










だから、それに気付いたのが破天荒だけだったのは必然だった。ヘッポコ丸は穴ばかり見て下を向いていて、破天荒はなんとなくヘッポコ丸を視界に入れておくのが気恥ずかしくて視線をさ迷わせていたから。





だから──視界に入った。





さっきヘッポコ丸に倒された筈の隊員が起き上がって、ナイフをヘッポコ丸に向けて振り上げている姿が。





「ヘッポコ丸っ!! 後ろ!!」





破天荒は咄嗟に叫んだ。ヘッポコ丸が振り返るのとナイフが振り下ろされるのは、ほぼ同時だった。しかし、相手の意識はあまりハッキリしていないようで、そのナイフの切っ先はブレている。端的に言えば狙いが上手く定まっていない状態だ。意識混濁を起こしながらも毛狩り隊としての責務を全うしようとした、やぶれかぶれの反撃、と言ったところか。






確かにそれは不意打ちではあった。けれど破天荒は、ヘッポコ丸がそのナイフを避けられると当然のように思い込んでいた。普段からどれだけ見下している相手であろうとも、その力量を見誤っていたわけではない。いくらヘッポコ丸が破天荒より実力が劣っていると言っても、これくらいの攻撃を避ける実力はあると知っていた。







…けれど、その予想は悪い方向に外れた。あろうことか彼は、刃を避ける素振りも、ましてや弾き落とす素振りも見せなかった。彼は、自分に向かってくる刃を、その手で強く掴んで受け止めたのである。





「ぐ、ぅ…!!」
「ヘッポコ丸!」





ナイフはヘッポコ丸の眼前で止まり、ヘッポコ丸の呻き声と破天荒の悲鳴のような叫びが重なった。ナイフを直に握り込んだヘッポコ丸の手の平は裂け、血が滴り落ちていく。刃を血が伝い、それがヘッポコ丸の頬を汚す。隊員はまさかそんな受け方をされるとは思っていなかったらしく、追撃は無かった。ヘッポコ丸はその隙を逃さなかった。




ナイフを握ったまま、ヘッポコ丸は半身を捻ってオナラ真拳を発動させる。敵はヘッポコ丸のただならぬ気迫を感じ取ったようだが、如何せん元から意識が判然としていなかったのだ、そんな状態でありながら機微を感じ取れたところまでは賞賛に値するが、それを回避する術がないのなら意味がない。





「オナラ真拳奥義『神無月』!」





隊員の顔面に炸裂する『神無月』。衝撃でナイフを手放した隊員はそのまま数メートル後方に声も上げず吹き飛び、他の隊員同様地面に転がった。今度こそ完全に気絶したらしい、白目を剥いて泡を吹いていた。





「うっ…」





それを見届けたヘッポコ丸は、握り込んだままだったナイフを手放し、地面に落とした。刃に付着した血が、手の平から滴り落ちる血が、地面に吸い込まれていくのを、破天荒は青ざめた顔で見ていた。冷や汗を流しながら破天荒に向き直ったヘッポコ丸は、その表情を見て苦笑いを零した。






裂傷の大部分は手の平で、指も何本かやられていた。だが、そこまで深く切られたわけでもない。とりあえずハンカチを丸めて強く握り込むことで止血する。そして再び破天荒の足を抜き出す作業に戻った。それを破天荒は慌てて止めた。





「ちょ、何やってんだよ!」
「何って…このままじゃ動けないだろ?」
「そ、うだけど! けど、お前自分のケガ分かってんのか!?」
「見た目程、大した傷じゃない…気にするな」
「だからって…!」
「…あ、いけそう」





立って、と促され、破天荒は渋々従う。ヘッポコ丸は破天荒の足を少し左に傾けて上へ引っ張った。少々つっかかったりもしたが、破天荒の泥まみれになった足は無事に穴から抜き出すことが出来た。





「よかった、ケガは無いみたいだな」
「あ、あぁ…って、そうじゃねぇよ!」





危うく流されそうになって、破天荒は慌てて自我を保つ。足に付着した泥を払うことも忘れ、破天荒はヘッポコ丸に詰め寄った。幼さ故の浅薄さに付け込んでなあなあに事を終わらせようと目論んでいた──かどうかは定かではないが、とにかく、ヘッポコ丸はあっという間に逃げるタイミングを逸してしまった。





「なんであんなことした!? あれくらい、お前でも簡単に避けられた筈なのに!!」
「…俺の後ろには、お前がいたから」





言おうか言わまいか、ヘッポコ丸は僅かに逡巡した。けれど、変に隠しだてしても破天荒が容易く引き下がらないであろうことは目に見えていた。だからヘッポコ丸は素直に白状することにした。それで更に反感を買う結果となろうとも、自分の行動の意味を、理由を、知っていてもらう事は大したデメリットではなかった。






真紅の瞳は、真摯に破天荒を射抜く。傷の痛みを感づかせない、気丈な振る舞い。破天荒は、その雰囲気に呑まれ、吐き出された言葉に噛み付くことも忘れていた。破天荒の反論を待たないまま、ヘッポコ丸は続ける。





「あのナイフがどれだけ芯を持たない攻撃であろうと、俺が避ければお前に当たる可能性は捨てきれなかった。だから、俺は避けなかったんだ」
「…俺を…守るため…?」






その理由は完全に盲点であったらしく、破天荒は目を白黒させている。それは、破天荒にとっては信じられない理由だったからだ。







ヘッポコ丸の優しさ──甘さは、知っている。それは破天荒がヘッポコ丸を忌み嫌う理由の一つでもあったから。だが、その優しさが破天荒に向けられる機会はなかなかに少ない。これはヘッポコ丸が意図的に破天荒を避けているから…というわけではなく、破天荒自身がヘッポコ丸から距離を取っていたからだ。気に入らない相手に、気に入らない世話を焼かれるのが嫌だったから…なんて、なんとも幼稚な理由だった。ヘッポコ丸が破天荒に優しさの矛先を向けようとすると、それを敏感に察知して回避する。彼は普段、そんなことばかり繰り返していた。





だからと言ってヘッポコ丸が破天荒を気に掛けなくなるかと言えば、特にそんなことは無かった。ただ、どこか一歩引いてしまっていたのは確かだった。嫌われているのは分かっていたし、食って掛かってくる破天荒をあしらうのも慣れてしまった故に、近付くのを躊躇うようになってしまったのだ。破天荒だけを蔑ろにするつもりなんて無いのに、結果的にはそう見えてしまうような状況が、最近の二人にはよく見られた。







だからこそ、破天荒はヘッポコ丸の行動が信じられなかったし、その理由も信じられなかった。『ケガが無くてよかった』と言って、心底安心したようだったし…何より、独断で毛狩り隊を追い掛けてしまった破天荒をいの一番に追ってきたのもヘッポコ丸だ。あれだけギスギスした関係であったのに…。





「…なんで」





破天荒には分からなかった。どうしてヘッポコ丸がそんなケガをしてまで、自分を守ろうとしてくれたのかが。自分を嫌っている相手を、どうして身を呈してまで守ろうとするのかが。





「俺を助けようなんて思ったんだよ…自分のこと嫌ってる奴なんか、どうなったっていいだろ…?」
「好かれてるとか嫌われてるとか、俺はそんなのどうだっていいんだ」





ケガをしていない手で破天荒の頭をぐしゃぐしゃに撫でるヘッポコ丸。微笑を称え、それはまるで幼子を宥めるかのような手付きだった。普段こんなことをされればすぐさまその手を払い除けて文句の一つや二つ飛ばしてくる破天荒なのに、今日はされるがままだ。




そうしながら、ヘッポコ丸は言う。おそらく、破天荒が一番理解出来ないであろう理由を。





「子供を守るのは、大人の役目だろ?」





その言葉にハッとして、破天荒はヘッポコ丸を見た。ヘッポコ丸は視線を受け止め、ただ笑っている。





「お前が俺を嫌っててもいい。俺がお前より弱いのも事実で、だから今回はこんな守り方しか出来なくて、お前を苛立たせた。でも俺は、俺がケガをすることでお前を…誰かを守れるなら、それでいいんだ」
「……分かんねぇよ、俺には」





弱々しい破天荒の呟き。ヘッポコ丸は撫でるのを止め、膝をついて下から破天荒の目を覗き込む。いつも強い意志を持って光っている金色の瞳は、小さく揺れていた。いつもは見られない、珍しく弱気になっている破天荒に、ヘッポコ丸は苦笑を漏らす。



こういう所は、子供らしいのに…なんて、破天荒が聞いたら怒り出しそうなことを考えながら、ヘッポコ丸は続ける。





「理解してくれなくていい。そもそも、これは俺が弱いことが原因なんだ。自分もケガせずに誰かを守るのが、難しいから」
「…だから、ケガすんのは仕方無いってのか?」
「まぁ、そうかな」
「…バカじゃねぇの?」





ポロリ、ポロリ、破天荒の瞳から雫が零れ落ちる。それは、何を偲んだ涙なのだろうか。ヘッポコ丸には分からなかったし、泣いている本人も分かっていなかった。





「そうやって自分を犠牲にすんのが、お前の戦い方なのかよ…」
「矛になれないなら盾になる…というのが適切かな。その方が守れる確率が高いし」
「そんな守られ方、俺はごめんだ!」





みっともない泣き声ではあったけれど、破天荒の慟哭はしっかりとヘッポコ丸の耳に届いていた。やっぱり怒らせたな、と肩をすくめ、ヘッポコ丸は立ち上がる。再び二人の目線は同じになった。破天荒は涙を隠すことなくヘッポコ丸を見据える。怒りにも似た何かが、その瞳には宿っていた。





その瞳から逃れるようにヘッポコ丸が「戻ろう」と破天荒を促し、先に歩き出す。その腕を、破天荒が強く掴んで止めた。突然のことにバランスを崩したがすぐに立て直し、ヘッポコ丸は振り返る。振り返った先で、破天荒は涙を拭っていた。そしてすぐ、赤くなった目元が現れた。相変わらず、その瞳には強い意思が宿っている。





「破天荒…?」
「だったら、俺がお前を守る」
「…え?」





今度はヘッポコ丸が目を白黒させる番だった。その宣言はあまりにも、破天荒らしくないものだったから。





「いや、でも…子供に守られるのは…」
「その子供より弱い自覚あるんなら問題無いだろ」





決め付けられた。有無も言わさず決め付けられた。年上の威厳が形無しである。元からそんなもの、破天荒には通じていなかったのだけれど。





掴んだ腕に力が込められ、小さな痛みが走る。それでもヘッポコ丸は離せとは言わなかった。その痛みを甘受し、破天荒の言葉に耳を傾ける。





「子供だから守られるとか冗談じゃねぇ。俺より弱いお前は、俺に守られてればいいんだよ」
「…なんだよ、その理屈…」
「理に適ってると思うけど?」
「……バーカ」





あまりに不遜な態度に、ヘッポコ丸はどんな表情をしたらいいのか分からなかった。年下に守られるなんて冗談じゃない、というのがヘッポコ丸の本音だ。けれど破天荒の言う通り、それは理に適っている。確かにヘッポコ丸の実力は破天荒に劣っていて、それはヘッポコ丸も痛感していることであり、だからこそあんな守り方しか出来ないとさっき話したばかりだ。






だからって、破天荒に守ってもらわなければならない程弱いつもりは無い。けれど、その気持ち自体は、嬉しく思うのだ。あんなに距離を取っていた破天荒が、自ら歩み寄るようなことを言ってきてくれているのだ。それを嬉しく思わないのは無理な話で。





「子供に守られる程、弱くねぇよ」






それでも、その申し出を受け入れるつもりは無かった。不敵に笑って血塗れの手で破天荒の手を払った。勿論血が破天荒に付かないように細心の注意を払いながら、だが。そして再び破天荒に背を向けて歩き出した。その後を、手を払い除けられたことと申し出を断られたことにムッとした破天荒が続く。





「やっぱお前ムカつく」
「なんとでも。それより、なんかいいケガの言い訳考えてくれよ。出来ればビュティに怒られないやつ」
「ケガした時点で怒られるの確定なんだから考えるだけ無駄だろ」
「あっそ。じゃあ正直に『敵の作った落とし穴に嵌った破天荒を庇ってケガしました』って言うよ」
「ちょっと待てなんか考える」





ほんの数時間前より、二人の間の距離は縮まっている。二人はそれに気付いていて、気付かないフリをしている。縮まった距離は決して近すぎるものではないけれど…今までが離れすぎていたから。だから、少し縮まっただけなのに、二人は妙な照れ臭さを覚えている。






だから二人揃って雄弁だし、全然お互いの顔を見ようとしない。見当違いの方ばかり見て、赤くなった頬がバレてしまわないかヒヤヒヤしている。たったこれだけのことでこうでは…この先に進むのは、とても遠い未来になりそうだ。












この先──そう、恋人になるまで。










繋がっていく
(これは二人の分岐点)
(お互いを知るための一ページ)


だーいぶ前にツイッターで年齢逆転破屁の話でみんなが盛り上がってて。それに便乗出来なかった俺が書いたらなんか違うぜ…ってなりますね死にたい←


色々設定盛り込んでるのですがそれは明かさずにいこう。皆さんの脳内補完でお願いします。





栞葉 朱那

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