「叔父さんっ」
「葛…城さん、よく来てくれたね」

(話せるんだ。少しは)

叔父は、日増しに回復していた。大抵の事は一人でできるし、やろうとする。彼は前向きだった。体が不自由になっても、自暴自棄にならない。

元からの精神力なのか、何か彼を奮い立たせる物事があるのか。どちらにしても、生きていたいという、強い意志を感じる。

「会いたかったよ」

この人がミサトは好きだ。心からそう言える。

「葛城さんが来ると、本当に嬉しそうね」

花束とケーキを持ってユイはにっこり微笑む。

「これ…加持君と私から」

(気に入ってくれるかな?)

一目でこれだ、と思った時計。ユイは丁寧に包みを開けた。重厚な感じのそれは、やはりこの部屋に合っているとは思う。

「…素敵」

ユイはそれを暫く眺めていた。喜んでくれたみたい…ミサトはホッとした。

「どれ。掛けてみるか」

加持が脚立を取りに行く。叔父もミサトを見て口を微かに開く"ありがとう"と、言ってくれた。

「ヨシ。おっ、良いな」

時計は予想以上に部屋の雰囲気に合っていた。掛けてみると、それが良く分かる。ミサトが叔父に近寄ると、彼の腕を両手で握った。

「…ありが、とう」
「いえ、私こそ、いっつもありがとうございます」

叔父と視線を合わせていると、何処かで会ったような、懐かしいような、それでいて悲しいような、不思議な感情が沸いてくる。特に、彼が事故に遭ってから、それが増した。

「私達、何処かで…前にも…」

何かを言おうとして、ミサトは止めた。不意に怖くなる…叔父に対してはなく、昔の何かを思い出しそうで。

手を離して叔父の顔を見る。彼は何処と無く寂しげだ。そして、ミサトを見ているのではなく、ミサトを通じて他の誰かを見ている…叔父の瞳に映っているのは自分ではない。奇妙な感覚に陥る。

(なんだろ?ヘンなの)



「好きだな、私」
「…とうとう言ってくれたか。いや、長期戦だったな」

駅まで加持に送ってもらっていた。ミサトがぽつりと呟やくと、加持はミサトの肩に手を回す。

「叔父さんの事だけども」

手の甲をつねると、加持はその場にしゃがみこむ。大袈裟なリアクションにミサトはおかしくなった。

「…叔父さんがライバルか」
「そういうんじゃないけど。分かってるでしょ…」

本気でがっかりしている訳ではない。ミサトの反応を見て楽しんでいるだけだ。

「置いてくよ。電車来るし」

スタスタ歩き始めると、背後から加持のいじけた声が耳に入ってくる。

「俺の手も握って」
「なんでそうなるのよ?」
「叔父さんばかりズルいからだ」

(…完全にからかわれてる)

キスなんてしてしまったのを、多少後悔している。でも、イヤだと思えなかった。拒もうとも思わなかった。あれは誕生日のプレゼントと、加持は言っていた。

実際、加持はやはり態度を変えない。でも、こんな事をしてミサトの一言…好きと言う言葉を待っている。それは伝わってくる。

(そうじゃなきゃ、しないよ…)

加持も分かっている筈だから、言わない。言葉にしなくても、伝われば良い。それに、やはり口にするのは恥ずかしかった。

「じゃあ、次の誕生日には期待してるぜ」

加持は立ち上がると、大きな声でミサトに向かって叫んだ。通行人が、何人か振り返る。イヤな予感がしてミサトは加持の元へ駆け寄った。

「長いな…後一年か。でも、楽しみに待ってるか。次はセ…」
「バカっ」

慌てて加持の口を手のひらで塞ぐ。ミサトは耳まで赤くなる。これ以上、言わせてはならない。左足を腕で掴み、素早く膝を加持の腰にぶつけ、右手で拳を固め、顔の前に掲げた。

「…それ以上喋ったら殴るわよ」
「調子に乗ってすみませんでした」

言葉とは逆で、加持は笑っている。本当に最近こんな事ばかりだ。対処の仕方は慣れていた。

(…全くもう)


「ところで赤木、相当熱心だな」

急に話題を変える。加持は加持で、照れもあるのだろう。勿論、リツコの事も話しておきたいのを前提として。ミサトも気になる事だ。電車を一本遅らせて、話す事にした。

駅前の小さな古いベンチに並んで座った。

「まだ三ヶ月も先の話なのに」
「三ヶ月しかないって言い方もできるぜ。赤木はそう思ってるんだろ」

完璧主義のリツコだ。最初で最後のチャンス。絶対に逃さない…その為に、頭をフルに回転させている。

学校の休み時間も、昼休みも、何やら必至で調べている。話しかけるのもはばかられるくらいだ。

「あの建物を調べるのは、大変だけど、繋がりがあるなら学校を探ってみるのもアリじゃない?」

リツコに言われた言葉。自分達なら、無茶をしても大丈夫…それなら、ミサトが動く方が良い。建物の下調べはリツコに任せきりだ。

「やっとかないと後悔しそう…だな」

学校内なら、危険はないだろう。

「俺も協力するが」
「うーん、なるべく私が直接行動する。私なら、退学はないし」

ミサトの言う通りにする方が良いと思う。正直、加持は然程学校に拘りはない。退学になっても、他にいくらでも高校はある。

しかし、ここまで来たからには最後まで見届けたい。それに、自分が関わっている可能性もゼロではない。

「学校の先生って、何処まで知ってるんだろ?」

全員事情を知っていて、それを踏まえた上、教師をしているのか?

それとも、疑問を持ちながら言われた指示に従っているだけなのか…第一、あの建物と通じ合っている人間が、何人いるのか分からない。普通に考えるなら、学校で一番地位のある校長は確実に繋がりはあるだろう。

そんな事を二人は話し合う。

「校長先生って、どんな人だっけ?」
「そういや、顔忘れたな…集会とかないしな、この学校」

加持は、スマートフォンで、学校のHPを検索してみる。

「消えてんな。随分と露骨な事するな」
「前はあったんだよね?」

消えてる、という事は意図的にそうしたと考えられる。

「一応、受験する学校くらいは調べたし。その頃はあった。間違いなく」
「私達の学年は特種なのね」

一つ上と下は分からないが、今まで聞いた話や、色々と物事がおきたタイミングから推測すると、そう考えられる。

「帰ったら、リツコに連絡してみる」



(…出ないなぁ)

塾が終わった時間を見計らって、リツコに電話をした。程なくしてラインで返ってくる。

'今手が離せないの。明日学校で話しましょう。ごめんなさいね'

(…うーん)

心配だが、明日は話す時間をとってくれそうだ。今日は諦めよう…ミサトはそう思って'無理しないでね。おやすみ'と返事を送った。

(リツコの事だから、勉強は問題ないと思うけど)

もうすぐ期末だ。自分の事を心配するべきだ。リツコや加持はやる事はやる。仕方なく、ミサトは教科書を開いて試験勉強を始める。しかし、全く集中できずにいた。

「叔父さん、元気で良かったな」

彼を見る度、懐かしさと共に、切ないような、悲しいような気分になってくる。それが徐々に増してくる。

「…痛い」

頭痛がしてきて、ミサトはこめかみを押さえた。暫くすれば治まる。

(ダメだ…薬飲もう)

市販薬なら構わないだろう。リツコに指摘されてから、もらった薬は飲まないようにしていた。ふらつきながらしまっておいた薬を取りだし、口に放り込んだ。

机の上の水を喉に流し込むと、ミサトは横になる。

(右に向いて寝ると良いんだっけ)

それもリツコからの助言だ。本当に頼りになる友人。

(なんとかなるよね…きっと)



吹雪と爆音で、視界には何も見えない。傷を負っている自分を、誰かが抱き上げてくれている。痛みは感じない。

―もう少しだ。ミサト

(誰?誰なの…)

―おまえは生きろ。生きるんだ

(イヤっ…一緒に帰る)

―言う事を聞きなさい。おまえに全てを託す。頼む…人類を、世界を救ってくれ

「そんなのイヤっ!私は…」

自分の叫び声で目を覚ました。身体中に汗をかいていて、気持ちが悪い。

「…夢か」

頭痛は治まっていた。それはありがたい。夢にしては、やけにはっきりとしている。

「誰?誰なの…」

汗で濡れた服を脱ぐと、ミサトは傷跡をそっと撫でた。夢じゃない。過去におきた事…その時についたのが、きっとこれだ。

勘でしかないが、ミサトはそう確信していた。



「あら。丁度良かったわ。あなたに頼もうと思っていたの」

翌日、学校に着くとリツコに昨日の案を話してみた。とっくに考えていたみたいだ。

「私はこっちに集中してるから、実行はあなたと加持君にお願いするわ」
「うん。手分けしよ」
「そうね。でも、試験期間に入るから職員室は出入りができなくなるのよ」
「そうなの?」

試験の問題を教師が作成するから、盗難防止のため、そうなるとリツコは説明した。

「夏休み前に、球技大会があるわ。その時がチャンスね。その前に準備をしておくわ」



昼休みになると、ミサトは加持を中庭に誘う。リツコといつも弁当を食べる場所だ。最近は昼食を食べる時間も惜しんでいるから、一人で来る事が多かった。

「赤木の言う通りにするか」
「だよね。試験明けまで大人しくしてよっか」

加持の弁当は見事だ。料理上手のユイが作ってくれているから、当然だけれど豪華だし量も多い。ミサトの視線に気付くと、加持は苦笑する。

「嬉しいが、確実に太るわ。俺」
「毎日こうなの?」
「ああ。食う?」

例によって、ミサトはパンだけだ。いつもなら喜んでもらうが、食欲がない。

「ありがと。今はいいや」
「珍しいな…体調悪い?」

心配そうな加持の顔。頭痛の事は黙っておこうとミサトは思った。

「ううん、大丈夫。あのさ、私…叔父さんと前に会った気がするんだよね」
「…叔父さんと?」
「うん。なんとなくだけど」

(分からない話ではないな)

叔父とミサトは分かり合っている。それを一番感じたのは、病院だ。言葉はなくても何かで繋がっているような雰囲気…加持も思った事がある。

「そうだとしても、悪い経験じゃない…そうだろ?」

嫌な過去ではない。ミサトは叔父が好きだ。それが何よりの証明だと思う。

「うん。懐かしくて温かいよ」
「なら、気にするな」

そう言いつつ、加持は気になる。徐々に記憶を取り戻していくミサト。良い事ばかりではない。全て思い出した時、どうなってしまうのか心配だった。

「そうするよ。先に進みたいから、あの建物の謎を知りたいし。過去は関係ないよね」

自分に言い聞かせるようにミサトは言った。自分が何処の誰でも構わないと、言ってくれる人がいる。それは心強い。

加持のためにも、リツコのためにも、未来だけを見て歩く。それくらいしか、自分にはできない。

「でも、何でも話せよ。無理はするな」
「ありがと。多少の無茶はするかもだけどね」



(アイツも変わったな)

良い意味で、加持はそう思った。心配ではあるが、過去には触れないでおく。ミサトが助けを求めたら、手を差し伸べれば良い。余計なお世話は焼かない。

(一体、叔父さんと葛城はどういう繋がりがあるんだ?)

大切にしろ…何度か叔父に言われた言葉と、ミサトの話。辻褄が合う。二人は以前に何処かで会っている。それも、何か重大な関わりだ。

叔父に聞いてみたいが、今はその時ではない。やっと退院できて、ユイもいる。穏やかな時間を過ごしていた。深い話をする気になれない。

(いつか話してくれるよな)

必要なら、叔父はそうしてくれる。彼を信じてその時を待とう…加持はそう決めた。

「リョウジくーん、ご飯よ。勉強中かしら?」

勉強なんて手につかないし、腹も減っていないが、ユイに呼ばれ、加持は返事をした。できるだけ明るく。

「一息入れたトコ。今行く」


「我が子ながら優秀だわ」
「君に似たんだろう」

ナオコが満足そうに微笑み、タバコに火を点ける。男は黙って話を聞いていた。

「でも所詮コドモね。まだまだ甘いわ」

煙りを眺めながら、ナオコは呟く。

「あのコが勉強以外の事に夢中になるのは見てて悪い気分じゃないわね」
「君も母親だな…友人のために動く彼女が健気で可愛い…そんな感じか」

リツコが嫌いな訳ではない。大切な娘…それは変わらない。大切だからこそ、将来の事を考えている。歪んだ形ではあるが。

「思い出しかけているわね。ミサトちゃんは」
「そう仕向けているのは我々だ。そろそろ良い頃合いだ」
「復讐の鬼になれるのかしら?あの娘」
「なってもらわないと困る。逆らう事はできないだろう…"彼"という切り札がある限り」
「切り札?人質じゃなくて?」

愉快そうにナオコは声をあげて笑う。

「葛城君は一つ勘違いをしてるな」
「記憶の事ね」
「封じているのは彼女自身だというのに」

全てを知って、耐えられるようになる時は来る。一度に背負う事は不可能だと、脳が判断している。

「ヒトの体は巧く作られているのね」



(あれ?なんだかスラスラ頭に入るかも)

薬を飲まなくなったので、眠気はなくなった。新東京に行かなくなってから、数ヵ月が過ぎている。

(やっぱ、精神的に安定してると勉強もはかどるのかな)

中間試験も、ミサトにしてはまあまあの結果だった。期末もなんとかなりそうだ。

(加持からコツを教わったっけ)

それも大きいのかも。分かるようになってくると、勉強も楽しくなってくる。

「ヨシっ。頑張るぞ」

試験明けには大仕事が待っている。それもミサトを奮い立たせた。



「テスト前だってのに、元気だな」

通学電車の中。加持は眠そうだ。

「ちょっと調子良いんだ」

ミサトが元気だと、一先ず安心だし、嬉しくもなる。加持も眠気は覚めてきた。

「おまえ、大学どうすんの?」

進路を決める時期だ。こういう話はした事がなかったので、ふと気になり加持は聞いてみた。

「行くつもりはないよ。第一、この成績じゃね…」

多少ましになっても、大学へ行けるような成績ではない。それに、早く働いて"あの人"から離れて自立したい。ミサトはそう考えていた。

「就職するのか。どんな仕事するか決めてんの?」
「それはまだ…」

考えた事がなかった。働くとは、漠然と思っていたけれど、具体的に何をしたいのか分からない。

「加持は大学行くんでしょ?」
「ああ。どっちでも良いんだが、進学する事は叔父さんが譲らないからな」

国立に進む事が、加持の中では前提だ。あの事件以来、人口が減り、少子化に拍車がかかっているのもあり、授業料はかからないからだ。

「就職も難しいぞ。選ばなきゃなんとかなるがな」
「私を雇ってくれるなら、何でも良いよ。あるか分からないけど」

これと言った特技も、やりたい事もない。残念な事に。

「まだ時間はある。そのうち見付かると良いな」

(…見付かるのかな)

武道は好きだから、続けたい。しかし、それを仕事にするのは困難だ。それだけで食べていくのは無理だ。仕事をしながら、指導もできるようになれば良いな、とミサトは思った。



「終わったわね」
「ああ」
「さぁて、まずどっから行こっか」

流石にリツコ抜きで実行するのは不安がある。意見を聞いておく事にする。

「然り気無く何人かの教師と接触してみたんだけれど…」
「え?本当に?」

リツコなら疑われる事はないだろう。自分が適役だと考え、先手を打っていた。その行動力にひたすらミサトは感心する。

「がっかりさせてしまうけど、先に言っておくわ」

教師…彼等も何かに脅えている。恐らく、生徒同様に余計な事を話せない…もしかすると、何も知らない。そんな印象だとリツコは言う。

「誰か一人が牛耳っている…そうだと思うの」


球技大会と言っても、女子は少ない…リツコとミサトだけだ。男子と混合で行う。普段は勉強ばかりの生徒も、意外に真剣に取り組む。

特に二年生は、何が進級を左右しているのか分からない。一年の時より、真面目にならざる終えない。リツコとミサト、そして大して気にしていない加持を覗いて。

「俺、バスケになっちまった」
「私もバスケ。ちゃっちゃと終わらそうか」
「頼んだわよ。じゃあ、説明するわ」

目標は校長室一つに絞った。学校のトップである校長が知らない訳はない。情報を得るのに最適だ。

「これを仕掛けてきて。半径五メートル以内なら届くはず」

手のひらに収まる程の小さな丸い機具をリツコは差し出す。

「なにこれ?」

渡された物をミサトはマジマジと見た。

「盗聴器よ。たいした物は手に入らなかったけど」

さも当然、というリツコの態度。

「ちょ、ちょっとリツコ…これって犯罪なんじゃ」
「バレなきゃ罪も罪じゃなくなるわ。バレたらバレたで、デメリットはないし。疑われるような事をする方が悪いのよ」
「正論のような、言い訳のような…」

加持は盗聴器をミサトの手のひらから摘まんで、興味深げに眺めている。

「受信機は?」
「これに繋げてみたの」

携帯を取りだし、リツコは何やらいじっている。

「加持君、少し離れて。盗聴器は廊下に置いてくれる?」

言われた通り、加持は二、三歩下がって、盗聴器とやらを下に置いた。

「もう少し離れて…ええ、その辺。何か小声で話してみて」
「オーケー」

携帯に表示された文字を見て、リツコは加持を睨み付けた。

「なんですって!?」
「え、マジ?聞こえたのか?」

加持とミサトが同時にリツコの携帯を覗く。加持は多少、バツが悪そうだが、尊敬の眼差しでリツコを見た。

'赤木少し太ったな'

「すごっ…喋った事が文字になるの?」
「音声だと拾いにくいでしょう。ところでこれはどういう意味かしら?」

もう一度、先程の位置より離れて加持は何かを喋った。

'冗談だよ。赤木天才'

満足そうに頷くリツコ。実験が成功したのが嬉しいのか、加持の言葉に納得したのかは良く分からないが。

(リツコ…)

ミサトは言葉も出ない。半信半疑でリツコの行動を見ていたが、目の当たりにすると、加持の言う通り、天才としか表現ができない。

リツコは将来、凄い人になるのではないか…誰もがそう思うだろう。道を外さなければ。

「それと、念のため加持君は変装して」
「…俺?」

学校の廊下にカメラがあるとは思えない。あったとしても、そんな物を着ける学校側が悪い。しかし、校長室に重大な秘密があるなら可能性はある。

それに、見張り役はミサトの方が良い。誰かに見られた場合、ミサトなら退学になる事はまずない。

忍び込むのは加持。リツコはそう主張した。加持は従うしかなかった。



「(…加持)」

何度見ても吹き出しそうになり、ミサトは口を押さえていた。ニット帽に大きなサングラスとマスク。黒いブカブカのジャージ。如何にも泥棒という格好。

「(笑うな。しかし、赤木のセンスは理解し難い)」

正体がバレなきゃ何でも構わない。足がつかないように、何処かで拾ってきたらしく、カビ臭い。

「(別にリツコのセンスってワケじゃ…)」
「(人にこんな格好させられる思考が分からん)」

利には叶っているから、文句は言えないが、いつの時代の流行りなのか見当もつかない服だ。

「(ここか。静かだな)」

"校長室"と書かれた部屋の前に二人はいた。多少ウロウロしていても、ミサトなら問題はない。加持が忍び込み、ミサトは見張りをする。リツコの案だ。

「(取り合えず私がノックするよ)」

校長が居た場合、ミサトの方が都合が良い。あの建物の関係者という事は、知っている筈だ。なんとでも言える。返事があったら、逃げるのは前提として、万が一見付かった場合を想定する。

「(返事ないよ)」

手招きをして加持を呼ぶ。リツコから渡された道具を慎重に取りだし、ドアノブを確かめた。

キーピック。ちょっとした鍵なら開けられる。針を太くしたような道具だ。何種類か用意されていた。

「(鍵はかかってるね)」
「(仕方ない…使うか)」

薄手の手袋を着けているから、作業はしにくい。一番適していそうな物を差し込み、左右に捻ってみると、呆気ないくらい簡単にドアは開いた。

暗証式とか、二重でロックされていたらと懸念したが、そんな如何にも怪しい設備はある訳ない…リツコの言った通りだ。

「(じゃあ、行ってくるわ)」

加持は目で合図をして部屋に入って行く。

(…至ってフツーの校長室って感じだな)

大きな机に椅子。トロフィーが幾つかと、何枚かの写真や絵が飾ってある。何処に着けるべきか悩んだが、このくらいの広さなら、音声は拾えそうだ。

『手の届かない所にね』

いつかは見付かる。時間稼ぎになれば良い。その間にどのくらいの情報を得られるか、一種の賭けだ。

出入りする時に目がつかない所…何往復かして、加持は椅子を動かし、天井にいくつかある照明の一つに取り付けた。

「(準備オッケー。聞こえるか?)」

すぐにリツコからラインが入る。

'バッチリよ。お疲れ様'



トイレで服を脱ぎ、ビニール袋に入れて硬く縛ると、加持は出てきた。

「終わったら一気に疲れたな…ラクな仕事ではあったが」
「でも、リツコがいなきゃ無理だったよね…」

確かにそうだ。しかし、相手はリツコがいる事を知っている。彼女ならこれくらいはする…それも分かっていると思う。

「良いんじゃない?ちょっとでも何か分かればめっけもんって感じで」
「そういう事にしとくか」

'バスケ始まるわよ。急いで'

「あ、忘れてた…」

簡単とは言っても、やはり神経を遣い、疲れた。しかし、サボるのはまずい。少しでも疑われる事は避ける方が良い。

やる事はやった。後は考えても仕方がない。

「じゃあ行きますか」

加持とミサトは、急いで体育館に向かって走り出した。



「二人共良くやってくれたわ。本当にお疲れ様」

三人で体育館の壁に寄りかかって、休んでいた。賑やかだから、会話を聞かれる心配はない。リツコは上機嫌だ。

「リツコのおかげとしか…て言うか、私なんにもしてないような…」
「さすが赤木としか…」

二人が同時に口を開く。リツコはそんな大した事はしていない…そんな風に右手を顔の前で振った。

「これ、捨てて良いよな?」

変装道具が入っている袋を加持が鞄から取り出す。

「適当に破棄するのも…念を入れて私が処理するわ」

リツコは袋を預り、自分の鞄に入れた。

「じゃあ私は、あっちの続きをするから。何か分かったらすぐに連絡するわ」
「あんま、無理しないでね…」

言っても無駄なのは承知の上でミサトは言っておく。

「俺も夏休みはバイトあんまり入れてないし、何かあったら言ってくれよ」
「ありがとう。今は平気よ。修学旅行では頼むわよ」



慣れない事をすると、思っていた以上に疲労するモノだ。考えて見れば犯罪行為。承知の上でやった事だから、後悔はない。しかし、緊張していたらしく帰り道、加持はぐったりしていた。

「大丈夫?」

ミサトが心配そうに顔を覗くと、加持は軽く頷いた。

「いやはや…なんつーか、疲れたけど楽しみだな」

校長室で、どんな情報を得られるのか。恐さもあるが、好奇心が勝る。

「ま、一仕事終えたし。夏休みは少しのんびりするか」

加持は両手をあげて、大きく背中を伸ばした。

「平日はずっと稽古?」
「土日もやってるから。一般部と別れたし。週五は通いたいけど」
「なら、どっか行けるな」

ずっと前にした約束をミサトは思い出した。何だかんだあり、延びていた。

「うん。どこ行こっか?」

ミサトが答えると、疲れも吹っ飛んだという感じで加持は大袈裟に手を叩いて喜ぶ。

「やったぜ。葛城はどこ行きたい?」
「うーん…」

そう言われてみると、この都市に来て一年と少し経つが、殆んど何も知らない。松代駅と、学校と加持の家、道場。そして、叔父が入院していた病院くらいだ。行った事があるのは。

「行った事がないとこに行ってみたい」

加持も、何となくミサトが考えている事が分かったらしい。

「考えとくわ」
「ありがと。じゃ、私道場行くから。ここで」
「ああ。気を付けてな」

テスト期間中は休んでいたので、久しぶりだ。急がないと遅れそうだ…ミサトは走り出した。

曲がり角で振り返ると、加持はまだ、先程の場所にいた。ミサトが手をあげると加持は笑って軽く手をあげ、それに答える。

ただ、それだけ…特別な事じゃない。それなのに、自分を見送ってくれる加持の行為が、ミサトにはとても嬉しく思えた。

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