(なんで私、怒ってんだろ?)
家に着くとミサトは着替えもせず、布団の上に寝転んだ。買ってきたプレゼントは机の上に置いた。それを見ながら、ため息をつく。選らんていた時は楽しかった…こんな風に帰宅するとは思いもよらなかった。
(綺麗だったな…やっぱり)
ミサトに対する態度は気分が良いものではなかったが、彼女と会うのは二度目だ。それも、かなり前に一度、会話をしただけだ。良く知りもしない人を悪く言うのは良い事ではない。それなのに、彼女の一言一言に心が揺さぶられた。
(加持に言い過ぎちゃった…)
転校生なのは事実だし、彼女も悪気があってミサトをそう呼んだ訳ではないかもしれない。しかも、それは加持の責任ではない。八つ当たりだ。
(でも、リョウちゃんじゃ不満とか、そんな言い方しなくても)
良く考えてみると、彼女にそう言わせたのは加持だ。片想いだとかなんとか、言わなくても良い事を言ったのも。
加持からすると、彼女は過去の人間という事を、はっきり強調したかったから言ったまでだ。しかし、ミサトはそんな事に気付く程、人の心を察する能力はない。
(やっぱアタマきた…)
サンドバッグが恋しい。道場へ行って思いきり回し蹴りをしたい。感情をぶつける道具にしては駄目なのは分かりつつ、心のモヤモヤを晴らすには、そのくらいしかミサトには思い付かない。
(そうだ)
布団を丸めて、壁に立て掛けてみる。古いアパートで、他に誰も住人はいないから、苦情がくる事はない。ミサトは何発か、布団に蹴りを食らわせた。全くスッキリしない。寧ろ余計に虚しくなる。
(何やってんだろ、私)
布団を元に戻して、再び寝転がる。考えたくないのに、加持の事を考えてしまう。
(酷い態度しちゃったな…)
逃げるように電車に乗ってしまった…あれはやり過ぎだ。置いていかれた方の気持をまるきり考えていない、卑怯な行動だ。
しかし、そう考える余裕がミサトにはなかった。後悔しても遅い。やってしまった事は仕方がない。
(謝らなきゃ…)
枕を抱いてゴロゴロしながら、ミサトは腹を立てている自分に腹が立つ。
(でも、加持もあんな事言わなくたって)
自分が悪いとか、加持が悪いとか、色々と考え、堂々巡りだ。悶々とした夜をミサトは過ごしていた。
(アイツも意地っ張りだよな)
一方加持も、同様に眠れない夜を過ごしていた。
(しかし、俺の態度も問題アリか…)
なんとも思っていないし、今となってはただの知り合いだ。無視するのも変な話だし、普通に会話をしただけ。加持からすればそれだけの事。
(でも、あんなに怒るコトか?)
今まで付き合ってきた女性から、あんな態度をされた経験がなかった。みんな年上だったし、彼女達にはプライドがあった。年下の加持に、余裕ある態度を見せていた…例え、嫉妬という感情にかられても。それを加持は分かっていなかった。
女性の気持を理解しているようで、していない。高校生の男子には無理な話だ。特にミサトのような、恋愛経験がない、自分の気持すら分かっていない女の子の複雑な心を理解するのは無理難題。
ミサトが怒る理由がイマイチ分からない。自分は、はっきりと好きだと伝えてある。態度にも示している(つもりだ)。それなのに、信じてもらえていない。もどかしさから苛々となる。
(葛城がニブイんだよ)
今思えば、最初に話した時…というか、初めて見た時から、たぶん気になっていたんだと思う。変な時期に転校してきたから印象に残るのを差し引いても。
(初めて話たのは確か、電車の中だったな…)
つり革にもたれ、熟睡していた女の子。なんだか放っておけない、見ていてヒヤヒヤさせられた。容量が悪く、成績も良くない。すぐに落ち込むが、立ち直りも早い。
おとなしそうに見えて、男子を殴ったり、自暴自棄になっていた自分を、体を張って慰めてくれた…
(って、俺のためにしてくれたコトじゃん…全部)
ミサトが突拍子もない行動をする時。それは加持が絡んでいた。必ず。
(…やっぱイヤだよな)
ただの友人としか思われていないとしても、二人で居る時に、いきなり前に付き合っていた彼女が現れ、ズケズケした物言いをされたら愉快ではないだろう。
せっかく叔父のために時間を割いて、プレゼントを選びに行ってくれたのに。不器用ながらも、真剣に考えていつも一生懸命だ。それがミサトという人間だ。
(謝るべきだ…よなぁ)
次の日、いつもの電車にミサトは乗っていなかった。
(まだ怒ってるよな…)
多少心配になるが、昨日の経緯からして加持に会うのを躊躇い、電車をずらしたのだろう。案の定、ミサトは遅刻ギリギリで教室に入ってきた。
「おはよ、なあ…昨日は」
「…おはよ」
こういう時、隣の席というのは不便だ。加持が言いかけた言葉をミサトは遮り、ソッポを向く。そのまま教科書とノートを揃えだすと、教師が入ってくる。時折、横目でミサトを見る。真剣に授業を聞いているように見えるが、フリをしているだけだ。結構長い付き合いだ。それくらいは分かる。
しかし、ミサトが本気で腹を立てているのか、それとも、どうして良いものか分からず、結果的に素っ気ない態度をとられているのか加持は判断できずにいた。
(ごめんって言うのも変だよね)
ミサトはミサトで、考えが二転三転する。謝らなきゃ…とは思いつつ、腑に落ちない部分もある。さっきは咄嗟に加持の言葉を遮ってしまった。素直に聞いておけば良かった。
(でも、なんか謝られるのも…)
加持が悪い訳ではない。置き去りにしたのは自分だ。それは悪かったと思う。それに関しては、だ。
(どうしよ…)
どうする事もできずに、休み時間になるとすぐに席を離れ、加持と話さないようにしていた。学校が終わると、逃げるように帰った。丁度、道場に行く日だったから助かった。
(…怒ってんな、完全に)
取りつく島もないとはこの事だ。腹が立たないと言えばウソになる。しかし、ミサトは前の彼女を気にしていた。加持が考えていた以上に。
(どうすりゃ良いんだよ…)
切っ掛けが掴めない。ミサトの怒りが冷めるまで、黙って待つのが最善策だ。加持はそう考えた。
「珍しく喧嘩かしら?」
放課後、椅子に座ったらまま頭を抱えていると、リツコがやって来た。
「お察しの通り。女心ってヤツは難しいな」
リツコなら余計なお節介を焼かない。話しやすい人間だ。加持も素直に話す。
「あら。加持君でもそうなの。今までの経験を活かせば良いでしょう」
「葛城みたいな女の子は今までいなかったからな」
(惚れた弱味ってコトね)
本気で困り果てている様子の加持を見て、リツコはおかしくなる。
「大体、アイツも頑固なんだよ」
「今更何を言ってるの?それがミサトの美点でも欠点でもあるのよ。で、原因は何なの?」
少々考えたが、リツコになら話しても良いだろうと思い、昨日の事を加持は簡単に説明した。
「それは意固地にもなるわね」
「そうか?そんなに気にするコトか?」
やはりリツコも女だからミサトを庇うのか…加持はそう思ったが、そんな単純な話ではないらしい。至って冷静にリツコは自分の考えを述べ始めた。
「逆に考えてみたら?絶対に自分が敵わない程の容姿をした人が、ミサトの元の彼氏だったらどうかしら」
「俺が好きなのは葛城だ。前の彼女は関係ない」
リツコになら、照れもなく言える。
「関係なくても私が言った事を考えてみなさい」
(…葛城の前の彼氏か)
逆の立場で考える…ミサトに自分が言った事だ。いざ、自分がそれを試みると、なかなか難しい。たぶん、いなかったと思うから、想像してみた。性格は抜きにして完璧に近い容姿だとしたら。
「全く気にならないってワケにはいかないな…」
男性の方が女性より、前の恋人(二人はそういう関係ではないが)を気にする傾向がある。
「ミサトはそういう所が男性的なのよね」
確かにそうだ。自分の事となると、弱気になる。過去の記憶がないという理由もあるかもしれないが、そういう性格なのだろう。
「まあ、誰が悪い訳でもないけれど、タイミングが悪かったわね」
リツコには敵わないと心底加持は思った。恋愛経験もそれなりにあるのかもしれない。もし、リツコが男でライバルとなったとしたら、それこそ勝ち目はない。
「ありがとな。赤木」
情けない話だが、リツコの意見を聞いて色々気付かされた。そして、自分がどうすれば良いかも。
「別に。思った事を述べたまでよ。それじゃ、塾の時間だから」
そう言うと、リツコは教室を後にした。
(…ん?)
ふと、ミサトの席を見ると大きな荷物が掛かっていた。胴着だろう。慌てて帰って行ったから、忘れたらしい。
(そんなに顔を会わせるのが嫌だったのかよ…)
「あああっ、胴着忘れた…」
道場に着いてから気付く。急いで学校へ戻れば、少しくらいは参加できる。先生に訳を話しにミサトは行った。
「それでもかまいませんが、何かありましたか?」
今日はどうしても稽古がしたい。しかし、それは純粋な動機ではない。無茶苦茶に体を動かしたかった。苛々を吹き飛ばすために。
先生にそれを見透かされている。そんな気がしてミサトは申し訳なくなる。
「すみません、明日来ます…」
「その方が良いでしょう」
項垂れながら道場から出ていく。こんな気持ちのまま、稽古をしてはいけない。唯一の居場所を今日は失い、虚しくなる。
(はぁ…ダメだ)
もう一つ、ミサトにとっての大切な場所。加持の家。叔父とユイ。退院した叔父には会いたかった。
彼女の言動で悲しくなった。良く考えてみると、加持に対する怒りではない。自分勝手だ。一人で拗ねて、いじけている。
(ちゃんと謝ろう)
加持にどういう反応をされても仕方がない。昨日からのミサトの態度はあまりにも酷い。取り合えず胴着を取りに学校へ戻る。どうやって謝るか、ミサトは走りながら考えていた。
「あった…良かった」
机の横の鞄を見て、ミサトは安堵する。今朝からボーッとしていたから、電車にでも置き忘れたのではないかと心配だった。
走ってきた疲れもあり、ミサトはなんとなく加持の椅子に座った。
「昨日はごめん…で良いよね?」
果たして、加持の前でこのセリフを言えるのか。素直になれなるのか…自分でも分からない。
「なんて言われるかな…」
無視されるかもしれない。自分がしたように。そう考えたら悲しくなる。
「不愉快だったよね」
机の上に突っ伏して、考え込む。何故、こんな気持になるのかミサトは分からないでいた。走ってきたし、昨夜眠れなかったから、睡魔に襲われる。
「普段使わないアタマを使うと…眠くなる…」
少しだけ休んで帰ろう…目を閉じると、加持の声が聞こえてくる。夢を見ているのだろう。
「葛城」
(ごめんね、加持)
夢の中ではちゃんと言えた。加持は笑っている。ちょっと意地悪な笑顔。人をからかうような、いつもの顔。
「素直だな。意地を張るのも疲れるだろ?」
(…うん。こんな気分になるのはもうイヤ。ごめんね)
「ホント、素直だな」
やたら声がリアルだ。目の前で会話をしているみたいに。頭の上に温かさまで感じる。加持の手のひらみたい。ミサトの頭を軽く叩く、加持の癖。
(安心するんだ。いつも)
加持は自分を守ると言ってくれた。彼はウソは言わない。意地悪な所もあるけれど、ミサトに対しては、いつも誠実だ。だから、調子に乗っていた…たぶん。
「私が加持を守るよ」
「それじゃ逆じゃん。まあ、確かに葛城には敵わないかもしれないが」
ミサトの髪の毛を撫でながら加持は言う。やっぱり安心する…不思議と。
「…弱いよ。自分は。もっと強くなりたい」
いきなり手首を掴まれた。ミサトは咄嗟に腕を返し、上に捻り上げた。夢の中でも反応できる。なかなかのモンだと自分でも感心した。
「痛えっ…ちょっと待て、参ったって」
(ホントにリアルだな…あれ?)
目を開けると、痛そうな顔をした加持がいる。急激に眠気は吹っ飛んだ。
「加持…い、いつから居たのよ?」
「いてて…取り合えず手を離してくれ。マジで動けねぇ」
「あ、ごめん」
手を離すと、加持は顔をしかめて肩を押さえている。
「ホント、馬鹿力だな」
「い、いきなり掴まれると勝手に反応しちゃうのよ」
暫く茫然と加持を眺めていた。夢ではない。現実だ。そうすると、独り言を全部聞かれていた…そう考えるのが自然だ。
「悪い悪い…聞くつもりはなかったんだが」
痛みが治まると、加持は笑みを浮かべて前の席に腰を降ろした。
「荷物忘れてるから、戻ってくるかなって」
「隠れてなくても良いじゃないっ」
死角になる窓際。転校したばかりの時、加持が寝ていた場所。恐らくあそこに居たのだろう。
「俺の顔見りゃ逃げるだろ?」
そんな事ない…と言おうとしたが、昨日からのミサトの態度を考えると加持がそう思うのは当然だ。
それに、自分も心の整理ができていない。急に会ったら、加持の言う通り咄嗟に逃げたかもしれない。
「でもっ、立ち聞きする事ないじゃないのっ」
「立ってない。寝転んでた」
「…同じでしょ」
「そうカッカするなって。出ていくタイミングを逃したってダケ」
加持の言う事も分かるが、独り言を聞かれていた…それはとてつもなく恥ずかしい。思い出すと顔が赤くなる。
「ま、座ったら?」
どうしたら良いか迷ったが、ミサトは言われた通りにした。
「俺こそ悪かった。ごめんな」
あっさりと素直に謝られ、ミサトは戸惑う。自分もこんな風にできたらな、と思った。
(俺"こそ"?)
ごめん…と言っていたのを、やはり加持は聞いていたみたいだ。ここに来てからのミサトの一連の行動と独り言。全て見られていたし、聞かれていた。そう解釈できる。
「な、なんて言うか、その…」
半分寝ぼけていたので、自分が何を言ったのか覚えていない。しどろもどろしているミサトの様子が、加持はおかしかった。
「"加持が好き"…とかなんとか言ってたなぁ」
「言うかバカっ」
からかわれている。完全に加持のペースに持っていかれた。これはこれで、アタマにくる。余裕綽々といった加持の態度。ミサトは真剣に悩んでいた事がバカらしくなってくる。
「加持はいっつも…」
飄々としている。自分だけ慌てたり、悩んだりして振り回されているみたいだ。そう言いたいけれど、加持をこれ以上、優位に立たせたくない。ミサトは恥ずかしさと悔しさが入り雑じり、再び机の上に突っ伏した。
「…余裕があるよね」
「そう見えるのか。全くないんだぜ?葛城に対しては」
「ウソばっか」
顔をあげる事ができずにいた。なんだか泣きそうだ…加持の顔を見たら。伏せたままミサトは話す。
「叔父さんの退院のお祝いもだけど」
「ありがとな。選んでくれて。喜ぶぜ」
「加持にも、何かあげたかった…」
「俺に?そりゃ嬉しいが、唐突だな」
加持からすれば、唐突に聞こえるだろう。ミサトはずっと、助けられっぱなしだった。何かしたいと思っていたのに、できずにいた。
「誕生日、いつ?」
聞きそびれていた事。それこそ唐突だけど、思い出したから聞いてみた。さっきから会話が飛ぶけれど。
「なんだよ、急に。もう過ぎたが」
「え?なんで言ってくれなかったのよ」
「言うのもヘンじゃん。なんかくれってアピールしてるみたいだしな」
思わず勢い良くミサトは顔をあげた。逆向きに前の席に座っている加持と、間近で目が合ってしまい、ミサトはまた顔を伏せた。
「…空回りばっか」
「なんかくれるつもりだったの?」
からかうような、それでいてちょっと嬉しそうな加持の口調。それにつられ、ミサトは軽く頷いた。
「…ええと、まあ。そんなとこ」
「そんな事しなくて良いって。変な気を遣うなよ」
「自分がしたかっただけだし」
「俺はおまえと会えただけで幸せだ」
(…言えない。フツー)
こんな言葉を言ってのける加持に、素直に感心した。しかし、こういう事を平然と言われるから、信じて良いのか分からなくなる。
「葛城」
「なに?」
「…じゃ、遠慮なく」
加持がどんな表情なのか気になり、ゆっくりと顔をあげる。それと同時に、唇に柔らかいものが触れる。ミサトは目を開けたままだ。近すぎて視界に入らない加持。彼は首を軽く傾けていたから、黒板が見える。ミサトの思考も体も停止していた。
ほんの一瞬の出来事。すぐに唇からそれは離される。
「な、なにを…」
なんだったのか、あっと言う間の事でミサトは理解できていなかった。
「分かんなかったか?それじゃ、分からせてやる」
頬が加持の手に包まれ、逆の腕は肩を優しく掴む。ミサトは思わず目を閉じた。
今度ははっきりと、何をしているのか分かっている。唇と唇が重なる。さっきより長い時間、そうしていた。肩と頬と唇。加持が触れている部分が熱い。
唇を離すと、加持は肩を自分の方に寄せる。自動的にミサトは加持に抱きしめられる形になる。
「投げ飛ばしたりすんなよ?イヤじゃなけりゃ」
イヤだとかなんとか考える事ができない。でも、イヤだと感じたら加持の言う通り、投げ飛ばすか、蹴りと飛ばすか、していると思う。
「プレゼントとして受け取っとく。深く考えるなよ?」
一層力強くなる加持の腕。前にもこんな風にされたような感じがした。誰かに。その時は、とても悲しかった…今は、ただ温かくて心地よかった。
(誰だったの?でも…)
誰でも良い…ミサトを強く抱く腕は、確かに加持だ。それだけで充分だと感じた。