「ミサト、買う物ないの?」

旅行準備のため、リツコとミサトは学校帰りに買い物に来ていた。

「特に新しく買わなきゃいけないモンはないかな」

沢山の袋を両手にぶら下げているリツコとは逆に、ミサトは何も買わずにいた。

「寝る時は学校のジャージだよね?あ、鞄はいるよね」

ミサトは洋服や靴、下着も十分に持っている。なかなか似合っているし、センスも良い。無頓着そうに見えるし、買い物もあまりしない。それをリツコは常々不思議に思っていた。

「身の回りの物?新東京から送られてくるんだ」

リツコの問いにミサトはそう答えた。加持から聞いた話だと、四十前後の威圧感のある男。その人が女子高校生の洋服…ましてや下着を選んで送るとは考えにくい。

「奥さんか誰かじゃない?」

リツコの考えを悟ってミサトは返答する。

「…そう」

何だか引っ掛かる。サイズ等は検査を受けているから知っているとは思うが、ミサトの身に着けている物は、リツコの知る誰かの好みに似ていた。

(そうでもしないとずっと同じ服でも気にしなそうだものね)

四十男がそこまで気にかけるとは考えられない。金を渡して好きなようにしろ…そうするだろう。普通なら。

ミサトの言うように、男の妻か、職員の女性が気を利かせてしているのだろう。

(…保護者として、最低限の事は行っているのよね)

純粋な気持からではなく、ミサトの知る"何か"を必要としていても。困らせるような事はしてはいない。一先ず、この話は置いておく方が良い。リツコはそう判断し、話題を変えた。

「キャリーバッグにしたら?ラクよ、あれ」

必要だからしなくてはならない買い物はミサトは苦手だ。店内を何周もし、あれこれ悩み、選ぶのに苦労しているので、リツコはアドバイスをしてみる。

「うーん、ピンとくるのが見付からないかも。道場用ので間に合うかな」
「四泊もするのよ?あの鞄だと疲れるわよ」

肩に背負って、重たそうに登下校している姿を思い出す。あれは旅行には不向きだ。

「そっか。疲れちゃダメだしね」
「他も見てみましょうよ」

面倒そうなミサトを引っ張って店を出る。何軒か回り、リツコも一緒に探した。やっと丁度良い感じの物が見付かる。深い赤色のフェイクレザーのキャリーバッグ。ミサトは嬉しそうに車輪を転がしていた。

「ありがとね。おかげで良いのが買えたよ」
「良かったわ。お腹空かない?」
「ご飯にしよっか」

久しぶりにラーメンが食べたくなる。加持に教えてもらった店の。

(リツコは好きかな?)

食は細いが、意外にリツコは何でも好き嫌いなく食べる。そういう所も気が合うのかもしれない。誘ってみると、やはりリツコは頷いた。



「あら、美味しいわね」

一口啜るとリツコが驚いたように言う。ミサトも嬉しくなる。

「加持に聞いたの。餃子も美味しいよ」
「加持君、ねえ…」

何か思い出したように、リツコは含み笑いをした。

「どしたの?」
「…立ち入った話だけれど。聞いても良い?」
「なに?」

かなり前に、加持とは深い関係を持っていないと、ミサトから聞いた覚えがある。その時はとっくにそういう仲だとリツコは思っていた。勘違いだったが。

「傷の事を加持君は知っているのね」
「そっか。リツコに言った事、なかったっけ」

編入(実際はそうではないが)直後の出来事をミサトは話し始める。遅刻をして教室で着替えていた時の話だ。

「…あなた、面倒臭がりにも程があるわよ」

そう言いつつ、リツコは愉快そうに笑っている。いかにもミサトらしい…そんな風に思う。

「更衣室遠いし、あんなトコで誰か寝てるなんて思わなかったから」

サボって寝る…これまた加持らしい。

(あの頃は、こんな風になるとは考えもしなかったわね)

変な時期にやって来た、編入生の世話役を押し付けられて、少々うんざりしていた。それなのに、いつの間にか仲良くなっていたリツコとミサト。

始まりは新東京の事だけれど、それも運命というか、ただの切っ掛けに過ぎない。合わない人間同士は何が起きても絡み合う事にはならない。

少くともリツコの考えはそうだ。

加持も同じだと思う。そのような事があったのなら、相手の女の子を意識するようになる。しかし、それも単なる切っ掛けだ。

大体、加持の性格からすると、そんな簡単なモノではない筈だ。彼はそこまで単純ではない。色々な事が積み重なり、徐々にミサトを想うようになった…そうだと思う。

「…こんな高校生活を送るなんてね」
「こんなって?あ、替え玉下さい。堅めで」

隣でラーメンを食べ続けているミサト。一見すると、極々普通の女の子だ。複雑な事情を抱えているとは思えない。彼女の態度も言動も。

「いいえ、何でもないわ」

食べるのに夢中で、ミサトはリツコが感慨に耽っているのに全く気付かない。

(…このコと居ると退屈しなくて良いわね)

一人で学校生活を過ごすのは苦痛ではなかった。進学校だし、周りは皆ライバルになると考えていた。事実、ミサトがやって来るまでリツコはそうしていた。

出会えて良かったとか、仲良くなれて嬉しい…そんな事はリツコには言えない。自分らしくないから。

それでもミサトには伝わっていると思う。言葉にはしなくても。だから、敢えてする必要もない。

『今更なに言ってるのよ』

リツコが言ったとしたら、ミサトはそう言って少し照れながら笑うだろう…だから、言わなくても良い。言葉なんていらない。感謝なんてしない。

ただ、友達になっただけ。特別な事ではない。

(…それだけの話よ)



「リョウジ君。修学旅行の支度は整った?何かいる物ある?」
「特にはないな。あ、お土産はあんま期待しないで」

夕食の席だ。叔父もいる。あの話とは別で、単に旅行の事をユイは聞いているのだろう。

「リョウジを旅行に連れて行った事がなかったな…」

申し訳なさそうに叔父は言う。

「俺が好き勝手してたし。冬休みにでもどっか行こうか…三人で」

叔父はだいぶ良くなったし、近場なら大丈夫だろう。何気なしに"三人で"と言っただけだが、ユイは嬉しそうだ。

妙な家族関係だけれど、すっかり慣れていた。一定の距離を保ちつつ、お互い相手を尊重している。この関係は加持にとって居心地が良い。

叔父に隠し事をしているのは多少、罪悪感はあるが、ユイが来る前から二人そんな感じだった。話したい事があればそうするし、余計な干渉はしない。

「そうね。行きたいわね」

ユイも叔父も笑ってくれた。叔父は少し驚いていたようだが。加持がそんな提案をするのは初めてだった。

(…変だよな)

言っておきながら違和感がある。やはり昔の自分とは違う。叔父もそう感じているみたいだ。気付かぬうちに人は変化していく。良い方にも悪い方にも。

流されるまま、ラクな方に進むのも悪くはなかったが、今は困難な事を乗り越えて行きたい…加持はそう思うようになっていた。



「ホント、迷惑かけっぱなしですみません」

一人で入浴できるまで、叔父は回復している。それさえ分かっていなかった。夕食の片付けをしながら加持はユイに謝る。

「そんなのは良いのよ。リョウジ君が元気でいてくれるだけで、あの人は十分よ」

何回も聞いたセリフ。車の事も何も聞かないでくれた。無事に帰って来てくれたから全く構わない…そう言って笑ってくれた。ユイは本当にそう思ってくれている。

加持に対する想いだけではないのは知っていた。ユイはミサトに、正確に言うとミサトの父親に対する想いがある。

「…好きなのね」

独り言のようにユイは呟く。

「へ?」
「ミサトちゃんの事」

隠す事でもないし、分かりきっている事だ。ただ、ユイが突っ込んでくるとは思わなかった。それに、今更という感じだ。

「まあ、そんなトコ」

ユイは少しからかうように上目遣いで加持を見る。小柄だから自然にそうなっただけだが、計算のない、女性のこういう仕草は可愛らしい。特に普段はこんな表情はしないので、余計にそう思える。

「付き合ってはいないんでしょ?」

(…鋭いな)

ユイの言う事は当たっている。言葉にした事はなかった。加持は時には冗談混じりに、それに真剣に告げてはいた。

ミサトの気持は伝わってはくるが、不安になる事もある。

「恥ずかしがりなのは昔と同じね」

懐かしそうな顔でユイは遠くを見ていた。小さな三歳の女の子を思い出しているらしく、母親のような温かい表情だ。

「やっぱ、葛城は最初から強かった?」

武道以外は何も続かなかった…そう言っていたミサト。何気なしに加持は聞いてみると、ユイはクスッと笑い、首を横に振った。

「無理矢理お母さんに連れてこられて、いつも泣いていたわよ」

ミサトの母親の話が出たのは初めてだ。加持は耳を傾ける。

「それでもね、稽古が始まるとベソかきながらもやっていたの。大半の子供はそうだけど」

加持でさえ、道場の雰囲気は独特で一種の恐怖を感じた。子供なら泣き出すのは当たり前だと思う。

「私が他に移る時まで、しょっちゅう泣いてたけどね。でも、最後まで稽古を抜けずにしてたの」
「母親が厳しかったから?」
「そうね…直接お話をした事はないけれど…」

ユイは言いづらそうだ。多分、娘に過剰な期待をするタイプ…以前にミサトから聞いた話だと。あくまで加持の予測だが。

「人生って面白いわ」

急に話が飛んだので、加持はユイの言葉を待つ。

「あの小さな女の子にまた会って、別れて…そして今は話もする仲になるなんてね」

深く考えた事はなかったが、ユイからすると、ミサトと三度目の再会をした…これはとても驚くべき不思議な縁だ。

「強くなって、恋をする年頃になったのね」

ミサトが自分に恋心を抱いている。ユイにはそう見えるらしい。加持としては喜ぶというか、多少の自信に繋がる話だが、今聞きたいのは他の事だ。

「葛城の母親は、今は…」

加持の考えている事をユイは悟った。一転して表情が曇る。

「任務に行く前に別れたって聞いたわ。後の事は分からないけれど、恐らくあの事件で…」

亡くなっているのは、今までの話からすると、明らかだったが、両親が離婚していたのは意外だ。

「葛城は忘れてる…よな」
「分からないけれど、何となくは覚えているかもしれないわね」

ミサトの母親は教育熱心だった。おぼろ気ながらも記憶にあるようだった。

「仕事はとてもできる方で、信頼は厚かったのよ」

ユイは躊躇しながら言う。敬愛する仲間であり、命を救われた人間を悪くは言いたくないようだ。

(仕事に執着してて、家庭は省みないタイプ、か)

言葉の節々から出てくるミサトの過去の話は、父親の事ばかりだ。夫婦関係が良くなかった故に、母親は娘に期待をかけていた。

それがミサトには重たかった。父親を憎みたくてもできずに、愛されている実感がなく、葛藤があった。増愛めいた感情。

それで、父親の記憶が強く残っている。加持の考えというか、一般的な心理から推測すると、そんな感じだろう。

「…大切に想っていたよな。親父さん」

今度は加持がぽつりと呟いた。

「ほんの少しの間しか一緒にいなかったけれど、お嬢さんを想っているのは良く分かったわよ」

本人が忘れてしまっているから、仕方がないが、断片的な記憶から、ミサトの心は父親の存在が大きく占めている。

愛されていた…記憶が戻る日が来たら、真っ先に伝えたい、そうしなくてはならない。加持はそう考えた。


(…ユイさん、本当に優しい)

過剰な親切をされると、逆に申し訳なく感じてしまう事もあるが、ユイはそう思わせない。相手に気を遣わせない人だ。

考えてしているのではなく、ユイの持つ雰囲気がそうさせてくれる。これは、持って生まれてきた物かもしれないし、数々の経験を重ねて行くうちに、そうなったのかもしれない。

車の事を言った時、ユイは笑い飛ばした。

『訳は聞かないけど、随分カゲキな事をするのね』

面白くて仕方がない…文字通り、腹を抱えて笑っていた。

「ホント、良い人だよね。何度も言ったけど」
「ああ。人間ができてるっつーか、凄いよな」

ミサトに特別な感情がある事は言えない。しかし、それを抜きにしてもユイは尊敬する大人だ。

「稽古姿がまた、カッコいいんだよね」

そう言いながらミサトは右手を引いて正面に突き出す。

「鈍っちゃうな。暫く通えてないから」
「今日体育あるじゃん。それで発散させろよ」

体を動かしていないと落ち着かない。家でできるトレーニングは限られる。

「葛城が羨ましいな」
「私が?」

そんな事を言われ慣れていない。何をやっても上手くないし、目立つタイプでもない。それは自覚している。その上、努力する訳でもないし、向上心がない。

ないないづくしだ。しかも不器用。

「加持は何でもできるじゃない」
「こなしているように見せてるダケ。言い替えりゃ、全て中途半端だ。一つのモンに打ち込めるのは凄いよ」

加持は要領が良い。所謂、世渡りが上手い人。世間一般から見れば。でも、ミサトが知っている違う部分もある。

意外に寂しがりだ。それに意地っ張り。近くにいても、完全に分かり合うのは不可能だと思う。それでも、加持の内面は少しずつだけど理解している。

(…たぶんだけどね)



「明日、最終の打ち合わせをしたいと思うの」

学校に着くと、リツコが少々興奮気味に、加持とミサトが登校するなり駆け寄ってくる。いよいよとなると、冷静沈着な彼女も浮き足立つみたいだ。

「オッケーだよ。私の家で良い?」
「助かるわ。お邪魔するわね」

リツコはそう言うと、何か考えているようだ。眉間に皺を寄せている。加持は、また何か怒られるのかと、一瞬身構えた。

「ミサト。余計なお世話だけれと、もう少し部屋を片付けたら?」

ミサトに矛先が向いているので、加持は安堵した。

「…努力はしとくよ」

旅行の荷物で、部屋は更に散らかっている。帰ったらできるだけ綺麗にしておこう…ミサトは渋々頷いた。

「大した話はしないけれどね。念のためよ」

機嫌良くリツコは席に戻って行く。その後ろ姿を見て、加持はホッと胸を撫で下ろす。

「あった、加持が苦手なモノ」

隣に立っている加持を覗き込む。加持はミサトと目を合わせて、ため息混じりに肩をすくめた。

「お察しの通り。赤木…じゃない、ご機嫌斜めの赤木が何より恐ろしい」

(…部屋片付けよ)

リツコの機嫌を損ねてはならない。ミサトにはいつも穏やかだが、何故か加持には厳しい。気を許しているからとは分かってはいるが。

「しかしな…旅行中に話す機会ならいくらでもありそうだが」
「そう言えばそうだよね。新東京に着く前に、自由時間もあるし…」

それはそれで、楽しもうとリツコは考えてくれている…新東京の事は抜きに。ミサトは呑気に思っていた。

(…イヤな予感がするな)

やたら機嫌の良いリツコ。また妙な事を企んでいるのではないか…今までの経験上。

「勘繰り過ぎだよな」
「何が?」
「…いや、独り言」



(なんとか片付いたかな)

物で溢れていた部屋がすっきりすると、なかなか悪くない気分だ。ミサトは座ってあちこち眺めて満足した。

とは言っても、押入れに散乱していた物体を詰め込んだだけ。二人が帰ったら元通りになる予定だ。

「布団は良いや」

どうせ寝るのに、しまうのは不合理だ。あくまでミサトの考え方だが。

慣れない事をして疲れたし、他にする事もない。ミサトは風呂を沸かし、早めに寝るようにした。



「あら、綺麗になってるわね」

部屋に入るなり、リツコは感心したように何度も頷いた。

「い、一応ね」
「あなたはやると決めたら行動に移すのは早いわ。良いところよ」

言われなくてはやる事すら考えない。つまり、自分から行動に移した訳ではない。

大体、押入れに詰め込んだだけだ。しかし、リツコは満足そうだ。褒められているのか何だか分からない…というか、騙しているようでミサトは複雑な気分になる。

「加持君は何時頃になるのかしら?」

家に寄ってから来ると、加持は言っていた。二駅しか離れていないし、すぐに来るだろう。

「もう来ると思うよ」
「早く来て欲しいわ」

(…どうしたんだろ?)

昨日も思ったが、リツコはやたらと浮かれている。加持に言われても、別に気にならなかったが、今日も引き続きご機嫌だ。

程無くして玄関の扉を叩く音がした。ミサトが扉を開けると、重たそうに紙袋を持っている加持が顔を出す。

「よっ、お待たせ」
「…何?その荷物」

靴を脱ごうとしている加持から荷物を受けとる。ずっしりと、見た目通り重たい。

「晩メシ。ユイさんから差し入れ」
「ホント?嬉しいっ」

ミサトは机の上にそれを置いた。言われてみると、美味しそうな匂いがする。

「気配りをして頂いて…何だか申し訳ない位だわ」

リツコがそう言って袋を見つめる。三人分となると、かなりの量だ。

「料理は趣味だしな。食べてくれりゃ喜ぶさ」

加持が袋から取り出すと、三段もある重箱が見えた。袋を開けてみると、見た目も鮮やかな食べ物が並んでいる。

「素晴らしいわ。今度ぜひ、習いたいわね。お茶を淹れましょうか」
「あ、日本茶はないや」

コーヒーと紅茶しかミサトの家には用意がない。

「そこの自販機で買ってくる」

サイフを出すと、ミサトは猛スピードで外へ走って行く。

「気付かなかったな。ついでに買ってくりゃ良かった」
「その荷物じゃ大変でしょう」

確かに肩が痛い。日頃の運動不足を感じつつ、加持は座って一息つこうと、勢い良く押入れに寄りかかる。その反動で、押入れの扉が外れてしまう。

「きゃーっ!」
「うわっ!」

反射的に加持は頭を押さえた。その上に、次から次へと物が降りかかっていく。驚きの方が大きく、痛みは感じない…加持は何が起こっているのか、理解できないでいた。

「加持君…」

押入れの扉の下敷きになり、物の中に埋もれて、茫然としている加持。リツコは慌てて扉をどかした。

「…何だったんだ?」
「だ、大丈夫?かしら…」

事態を把握していない加持。一見すると怪我はなさそうだ。

「ただいまー」

元気良く玄関を開けてミサトが帰ってくる。

「…片付いているワケだわ」



「ごめんなさい…」

昨日より余計に散らかる羽目になる。三人で物を角に避けて居場所を作る…以前と同じだ。

「加持、どっか痛くない?」
「何ともない。気にするな」
「こんな事だろうと思ったわ。時間もないし、夕御飯を頂きましょう」

幸い、ユイから貰った食事は無事だ。被害に遭ったのが自分で良かった…加持は内心そう思う。

(しかし、機嫌良いな)

説教の一つでもしそうなモノだが、リツコは慣れた手付きで、浮き浮きと皿や箸を机の上に並べていた。



「ね、見せたい物があるの」

満面の笑みでリツコが言うと、食事をしていた加持の手が止まった。

「何?」

鞄をごそごそ弄っているリツコを見て、ミサトは身を乗り出す。

「潜入する時のお洋服よ」

その言葉を聞いてミサトも動きが止まる。加持が校長室へ忍び込んだ時の格好と、それに対するリツコへの愚痴と、二人のやり取りを思い出した。

「こういうのはカタチから入るのも大切よね。モチベーションも上がるわ」

思いきり下がったよ…ゲンナリした表情の加持を無視して、リツコは変装用の服を床に広げた。コワイモノ見たさで、ミサトは手に取ってみる。

「ええと、リツコ…これは」

伸縮性のある黒い上下揃いの服。一言で現すと水着を長袖にしたような妙な服だ。

「ルパン三世をお手本にしてみたの」

にっこりきっぱりリツコが言う。さすがにミサトも言葉が出てこない。

(…コイツ、バカだ)

それを言葉にする事はしない方が良い。加持は身の保身のため、言葉を選びながらリツコの説得を始めた。

「その格好だと滅茶苦茶目立つんじゃないか?」
「ルパンはこの格好で侵入するでしょう?なら…」
「それは正しい。赤木の考えはとても凄いよ。ただな、ルパンの職業は何だ?」

リツコは素直に考え始めているようだ。実は詳しい内容は知らない。有名なアニメだが、観た事はなかった。

「泥棒だったかしら?」
「正解。んじゃ、俺達は?」
「スパイ…とでも言うのかしらね」

その差が何なのか加持も分からない。物を盗むか情報を盗むか…それが合っているかどうかはどうでも良い。

「な。だったら泥棒の真似なんかしちゃ良くないよな?」
「そうねえ…」

ミサトも加勢する。加持の言う通り、逆に目立つし、何より着たくない。

「カタチから入るのって大事だよ。けど、アレは漫画だし。観る方を楽しませるための演出じゃない?」

実際、あんな格好の泥棒はいない(少なくとも聞いた事はない)。リツコも段々、そう思い始めたみたいだ。

「普通の格好で行こうぜ。それは、またの機会に」

そんな機会はないと思うが、取り合えず言っておく。相手を尊重する事は説得の基本だ。

「そう言われると、そうかもしれないわね」

リツコは納得したらしく、服を紙袋に戻した。加持とミサトは胸を撫で下ろす。

「コーヒーでも淹れるか」

加持が席を立つ。この話は終わり…そういう合図。ミサトも話題を変える。



「あのね、リツコ。旅行から帰ったらユイさんと食事に行かない?」

落ち着いたら食事でも…誘われていたのを思い出した。

「そうしましょう。嬉しいわ。お礼と報告も兼ねてね」

詳しくは話せない…もしかしたら、話す事になるかもしれない。ユイには心配をかけているし、沢山の恩がある。リツコも気にしていたようだ。

「それじゃ、私はお先に」
「帰っちゃうの?」

やはり変装服を着るべきだったのか。せっかくリツコが用意をしていたのに…ミサトは少々申し訳なくなる。

しかし、気を悪くしている様子はない。玄関前で立ち止まると、リツコは振り向いた。

「いざとなると緊張するわね」

リツコにしては弱気な発言だ。表情には出さないが、彼女は彼女で、色々な思いがある。

「俺は一応、男だし、赤木の友人は申し分ない位、強いだろ?」

安心しろ…そんな風に加持はリツコに向かって力強く頷いた。

「…ありがとう。頼りにしているわ」



「私が守らないと…ううん、絶対に守ってみせる」

リツコの華奢な背中が、より小さく見えた。群を抜いた天才で、冷静沈着だが、それ以外は普通の弱い女の子だ。

自分も強くはない。本当に強い人にはなれない。そんな人は、広い世の中でも、ほんの僅かだ。それでもミサトは出きる限りの事はする。二人のためなら。

「頼もしい言葉だな」

加持は背後からミサトを抱きしめた。気持は良く理解できるが、自分が守ると決めていた。

それを言葉にするのは今は止めておく。ミサトの言葉に水を差すような真似は、しない方が良い。

(でもな、葛城も女の子だぞ)

それも、初めて本気で失いたくないと思った女の子だ。

「帰って来ようね。ここに」

何となく含みのある言い方だ。腕を掴み、力を抜いて加持に寄りかかる。加持は目を閉じて、ミサトの温かさを全身で受け止める。

「帰って来れるさ…必ず」

古びたアパート。ここに来るのは何度目か数えきれない位、訪れていた。

この場所が二人にとって特別な場所になる…この時は、そんな事は思っていなかった。

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