修学旅行まで、後二週間あまり。周囲の生徒も、最近は浮き足立っている。旅行という物を経験する機会はなかなかない。初めての旅行が修学旅行という生徒も少なくなかった。

何であれ、教室の雰囲気が明るくなるのは悪くない。

「一通り準備はしたけれど」

昼休みに中庭で、三人は集まっていた。リツコの言う準備とは、怪しげな道具だろう。どこから調達してきたのかは、加持もミサトも聞かないでおく。暗黙の了解だ。

「セキュリティを潜れるかは賭けね」

リハーサルはできない。これだけはぶっつけ本番になる。

「うーん…私のも、時間帯によって使えるかどうか知らないしね」

ミサトの所持しているカード。これをそのまま偽造して、三人分用意はしてある。これが通ればなんとかなりそうだ。

「使えなきゃ使えないで、他の手段を考えるしかないわ。一応、用意はあるし」

これは考えても仕方がない。上手く潜入できたとしても、すぐに見付かってしまう可能性も高い。

「入りゃなんとかなるって」

加持は呑気に考えていた。とにかく建物の内部を見たい。まずはそれだ。

「それにさ、あの男にはバレバレだ。来る事は」
「そうよね。ある意味、招待されているようなモノね。慎ましく受けましょうか」

(…夜っていうより、深夜だよね)

夕方までしか居た事がなかった。昼間でも静か過ぎるあの建物。中に居ると時間の感覚が分からなくなる。外の景色が見えない長い廊下。

あそこの深夜。想像してみるとミサトは恐くなる。昼間ですら気味が悪い。

「どうかしたの?顔色が悪いわよ」
「う、うん…あの、広い建物ってなんかコワイよね」

リツコも加持も行った事も見た事すらない。想像がつかなくて当然だ。

「そんなに広いの?」
「廊下がすっごく長いんだ…歩いても歩いても出口が見えなくなりそうで」

ミサトが話し始めると、二人は好奇心に満ちた目で聞いている。

「大きな病院って感じかな…オバケでも出そうなトコも似てるよ」

そんな非化学的なモノの存在等、リツコは信じてはいないだろう。でも、あの建物を表現するに相応しい。幽霊とかオバケがいそうな場所だ。

「百聞は一見に…ね。楽しみだわ」

(…そういえば)

一度だけ見かけた少女の事をミサトは思い出す。足音もさせずに目の前に現れ、無表情で消え去った女の子。

ミサトは身震いがして、思わず自分の肩を抱きしめた。

「ミサト。そんな物より人間の方が何倍も恐ろしい存在よ」
「そうかな…」
「それに、オバケなら友達になれば良いんじゃないかしら?」
「…それは妖怪じゃ」
「似たようなモノでしょう」

弁当箱をしまうと、リツコは立ち上がった。

「午後は自由時間の行き場を決めるのよね?加持君」
「…適当に書いときゃ良いんだろ?やっとくよ」

リツコにつべこべ言われる前に、加持は自ら引き受けた。



日程によると、自由時間はシズオカで取る。新東京の一歩手前だ。交通の便はそこそこ良い。今時珍しい観光地でもある。

「これも楽しみだけど」
「まあな…こんなモンか」

さっさと書き上げて加持は教師に提出した。こういう事は苦手なミサトとしては、非常にありがたい。

学生らしく、歴史を学ぶようなルートを提出すれば許可される。見張りがつく訳でもないし、その通りに行動しなくてもバレない。後の感想文は書くが、それこそ何とでもなる。

「なんか美味しいものあるの?」
「魚が有名だ」

現在の日本で、数少ない漁ができる都市。

(どうせなら、楽しまないと)

リツコに言ったら怒鳴られそうだけれど、三人で旅行に行けるのは単純に嬉しい。こんな機会は滅多にない。もしかすると最初で最後かもしれない。

(…高校生活では最後だよね)

知らず知らずのうちに、心の何処かで、何か予感めいた物を感じていた。平和な時間を過ごせるのも長くはない。ミサト自身もはっきりとは気付いてはいなかった。


「車なんて、安全に動けば良いのよ。気にしないでね」

車を擦っても、ぶつけても、人様に危害を与えなければ良い。そんな風にユイは言ってくれた。気を遣わせない言い方だ。

人身事故と、器物破損には気を付けて…それだけは、繰り返し言われる。どんなに頑張って安全運転をしても、起きてしまう事はあるが、けして気を抜いてはいけない。

「無事に帰って来てくれたら、それだけで良いから」
「ありがとうございます」

一人で運転するのも慣れてはきた。今日は加持とリツコを初めて乗せる。

(緊張するなあ…)

「いってらっしゃい。気を付けてね」
「い、いってきます」
「ありがと、ユイさん。じゃあ行きますか」

三人で仲良くドライブ…そんな気分にはなれずにいた。加持は助手席に乗り込む。ミサトとは違い楽しそうだ。

「お手並み拝見っと」
「そう言われると滅茶苦茶緊張するんだけども…」
「気楽にな。最初は横にいるから」

咄嗟の時を考えると、横に加持がいてくれるのは気分的に安心だ。

「う、うん…」

リツコの家まで迎えに行く事になっている。何度かあの付近までユイと行ったので道は覚えていた。

「上手いじゃん」
「…知ってる道だし」

順調に車を走らせているミサト。乗っていて恐怖はない。妨げにならないように、加持はなるべく話しかけないでいた。

(短期間で良くやったモンだ)

ミサトもユイ同様、運転には向いていると加持は思う。視線の方向や、確認の仕方、ブレーキのかけ方に出やすい。免許を持っていないが、車は好きだ。少し見ていれば分かる。

「ええと、次の信号を右だね」
「ああ」

右折すると、いつもの店が見えてきた。ここから先は行った事がなかった。道なりに進むと、左側にリツコの姿が見える。ミサトは慎重に車を寄せた。

「おはよう。なんだか違和感あるわね」
「はは…ヘンな感じだよね」

窓を開けてミサトは苦笑いをする。自分でも妙な気分…車でリツコを迎えに来る事なんて考えられなかった。ほんの半年前なら。

「どうぞ」

加持が車から降りてドアを開けると、リツコは後部座席に乗った。隣に加持も座る。

「気が利くわね」
「そりゃ、素敵な女性のためなら男は動くさ」

リツコの機嫌は取っておいた方が良い。今日はあれこれ言われるのは勘弁してもらいたい所だ。

「行き先は決まってるの?」
「まだ。リツコはどっか行きたいトコ、ある?」

運転するのが目的だから、何も考えていなかった。

「それなら行って欲しい場所があるわ」
「どこ?そう言ってくれると助かるよ」

自分の知らない道を走るのは練習になるし、目的地を定めるのは良いと思う。リツコが行きたい場所なら特に。

「第二東大…見ておきたいわ。そろそろ」
「あ、俺も。一応志望してるしな」

(…東大)

おかしな話ではない。二人の成績なら当然だ。しかし、自分には敷居が高すぎる、全く無関係な大学。それを二人はさも当然のように志望している。リツコも加持も別世界の人間に見えてくる。

「行こっか。ナビ入れるね」

ここから一時間位。地図をスクロールさせると、山道もある。練習にも丁度良さそうだ。

「じゃあ、出発」



運転には全く問題なさそうだ…そう判断をしたリツコは、大きな鞄から色々取り出す。加持は敢えて突っ込まない事にした。

「加持君。どうかしら…隠れてる?」

座席の下に潜り、黒い布を被っているリツコ。ミサトなら見付かってもなんとかなる…考えは一致していたし、悪い方法ではないが、加持は思わず吹き出した。

「何がおかしいのかしら?」
「い、いや…カンペキだな」
「そうでしょう。加持君もやってみて頂戴」
「…分かった」

バカらしいと言えばそうだが、リツコは至って真剣だ。逆らう訳にも行かず、加持も同じ姿勢を取る。

「…そうねえ。もっと頭を低くしてくれる?」
「これで限界だよ。体が痛い」
「無駄にデカいのよね、あなた。逆に目立つような…」

腕組みをしてリツコは何か考え込んでいた。顔は見えないが、気配で加持は悟る。

「まあ良いわ。考えておくから」

加持はため息をついて座り直した。ヘンな格好をしたせいで首が痛む。

「然程、距離はないし、大丈夫よね。後は…」

リツコはまた何か考え始める。念を入れるのは良い事だが、本当に大した距離ではない。考え過ぎな気もするが、加持はやはり黙っている事にした。



「あれがそう?」

ナビの音声が示す場所。高い塔のような物が見えてくる。その脇には何度か改装されたらしい建物で囲まれていた。

「ええ、そうよ。外見は知っているわ。有名だもの」

進学等、考えた事がないミサト。当然、大学がどういう物なのか知らない。だだっ広い…それが第一印象。

「入っちゃっても平気かな?」
「大丈夫。出入り自由だから。基本的には」

(…高校とは全然違うんだ)

学生用の駐車場まである。これも相当な広さだ。車を降りるとミサトは腕をあげて背中を伸ばした。

「お疲れ。頑張ったな」

加持に肩を叩かれ、ミサトは振り向く。自分が行きたい学校だ。加持は興味津々といった様子で、視線をあちこちに移す。

「さあ、ちょっと中で休憩しましょう」
「追い出されたりしない?」
「さっき言ったでしょ。自由だって。それに、私達位の年令なら目立たないわ」

キャンパスを歩いて行く。リツコの言った通りで誰も三人に気を止めない。

「結構、普通の人ばかりなんだ…」

日本で最高級レベルの大学…それはミサトも知っていた。物凄く頭の良さそうな人ばかりだと思っていたが、そんな事もない。

「大学に入学すると変わるのよ。服装も好きにするし、扱いは大人になるからね」
「…へえ」

最初は戸惑っていたミサトも、周囲から浮いていないのを感じ、気が楽になってくる。高校での三人は、かなり異質な存在だと思われている。気付いていないだけで。

ここはとても居心地が良く感じる。

(…ま、私には関係ないけどね)

せっかくだから、堪能しよう…そうミサトは思った。



「それにしても、本当に広いね」

この中だけで一つの街みたいだ。大袈裟に言うと。

「お腹すいた」

運転の緊張感から開放されると、空腹なのを感じた。

「食堂に行ってみましょうか」

リツコが提案すると、加持も賛成した。とはいっても、とにかく広い。食堂も幾つかある筈だ。歩くのも疲れてきたので、一番近い所を目指す。案内板を頼りに進むと、すぐに見付かった。

「凄いっ、美味しそうなものがいっぱい」

和食、洋食、その他。ファミレスみたいに充実したメニュー。デザートも豊富だ。しかも、値段が安い。

「葛城も受けてみるか?」
「入れるワケないでしょ」

食堂には惹かれるし、生き生きとした雰囲気。一人で本を読みながら食事をしている人、華やかな女子学生のグループ、カップルも見かける。

みんなそれぞれだ。周囲の目など気にせず、自分のしたいようにしている。ミサトには眩しく見えた。

「加持、絶対合格してよ」
「そりゃ、そのつもりだが。何でだよ?」
「遊びに来れるじゃない」

リツコもトレイを持って席に着く。やはり、ミサトと同じように浮かれているみたいだ。

「何の話?」
「加持が落ちてもリツコがいるか。遊びに来たいなって言ってたの」
「…酷いなあ。まあ、確かに赤木なら確実だ」

リツコは話が見えていない。

「大学なんて似たようなものよ。わざわざここに遊びに来なくても…」
「あれ?言ってないっけ。私は就職するんだ」
「え…そうなの?」

(…良いのかしら)

保護者の男は承諾しているのかリツコは疑問に思う。理由はあれど、進学高にいる。金銭的には困っていないだろう。

単なる予測だが、ミサトを手離さない…進学にも口を出しそうなモノだ。今までの経緯からすると。

(…ミサトは管理下に置いておきたいのよね"何か"を持っているから)

「どしたの?ぼんやりして」

不思議そうにミサトはリツコを見ている。箸は休めずに。

「…いいえ。仕事のアテはあるの?」
「雇ってくれるなら何でも良いよ。旅行が終わったら考えなくちゃね」



ミサトがトイレに立った隙に、リツコは加持に尋ねる。

「あのコ、就職するつもりなのね」
「…かなり前に聞いたが」

あの頃は何も知らなかった。ミサトが就職するなら、頑張れ…そう言えた。自分で決めたのなら、それで良い。しかし、今は事情が違う。加持もリツコと同じ考えだ。

「丸め込んで、自分の都合の良い用に扱うわよね。あの保護者とやらに」
「たぶんな。どうするつもりか全く予想つかないが」

リツコにも、これは答えが出ない。勉強とは異なり、明確な答えは浮かばない。

「妙な事をされないと良いんだけれど」

一度だけ会ったあの男。全てを自由自在に扱おうとしている…実際、それが可能だ。

「何があっても守るよ。俺が」
「なかなか頼もしい言葉ね。信じるわ」

リツコにしては素直だ。加持も正直、自信はないが、約束したからには絶対に守り通す。何よりミサトが自分から離れてしまうのが恐い。

(自分勝手な考えだよな)

それでも、そうしたい。ミサトもあの男から離れたがっている。迷う事はない。何が起きても守る。自分だけは味方だ。どんな状況になっても。

(…ならないのが一番だが)

避けられそうもない。けりが着くまで後少し…乗り切れる。一人では困難でも、リツコという頼もしい友人もいる。それに、ユイも。

(やるしかない。やってみせるさ)


「昨日はお疲れ」

月曜日の朝。憂鬱な日だが、そんな気分も吹っ飛ぶ。無事に二人を送り届ける事ができたし、ユイも安心して喜んでくれた。

旅行も目前だ。車を置きに行くという、ミサトにとっては最大の仕事が待っている。それが終われば、一息つけそうだ。

「ありがと。こう言うのもヘンだけど、楽しかったな」
「良いじゃん。楽しいのは良い事さ。俺も…赤木も嬉しそうだったな」

志望大学を見学できたのも理由の一つだとは思うが、旅行の準備が着々と進んでいるので満足している…そんな感じだ。

「そうだ、今日ユイさんが少年部に来てくれるんだ」

時間の都合で少年部の稽古に参加すると、ユイは昨日言っていた。

「一緒に稽古できるの楽しみ」
「大人が混じっても良いモンなのか」
「それは全く。本当なら私も一般部だし」

ミサトの話だと高校生以上は、一般部に分けられるらしい。小さい子供の先輩になる中学生が少いので、ミサトは先生に頼まれて少年部に参加している。

「どっちでも内容は変わらないしね。大人に囲まれるのも、刺激にはなるけど」

(大人に囲まれる、か…)

ユイから聞いた話を思い出す。父親と共に行った任務先。何処にいたのか見当もつかないが、十四歳の女の子がいたら、場違いだしミサトも萎縮していただろう。

(ユイさんは葛城の腕前を見たい…そんなトコか)

特に用事なんてない筈だ。単に、昔会った小さい女の子の成長を見てみたい…そんな気がする。

「加持も来る?」
「冗談はよせ。怪我するワケにいかないだろ?今」
「やれとは言ってないって。ユイさんの稽古姿、興味ない?」

確かに興味が沸いてくる。普段のユイからは想像ができない。

「興味あるな、そいつは」

今日を終えると、暫くミサトは稽古に行けなくなる。旅行とその準備で慌ただしくなるから。加持も行く事にした。



「お願いします」

先生に挨拶を終えた後、ユイに挨拶に行く。二人共、知り合いではあるが、道場で関係なくなる。

ユイは加持に気付くと、ほんの少し驚いたようだが、表情は引き締まったままだ。

(…へえ。本当に別人みたいだ)

格好や顔付きだけではない。稽古が進んでいくと、詳しくはない加持にも良く分かってくる。ユイとミサトだけ別格だ。

「大人の方が来ていますので、普段はしない型をしてもらいましょう」

先生が言うと、ユイが一人で道場に立つ。他の道場生は脇に寄り、正座をした。

(あんな風に動けるモンなのか)

機敏な動作だ。次の動きに入る前にピタッと足が止まる。腰も落ちている。一見、簡単に見えるが、鍛えられた筋肉を持っていないと、よろけてしまう。

「葛城さん、一緒にやってみて下さい」
「はい、先生」

ユイの横にミサトが並ぶ。ミサトができる最上位の型を指示された。

(一緒にやると分かるな)

やはり、ユイの方が動きが良い。柔軟性と若さ特有の勢いがあるから、綺麗に見えるが動作が荒い。ミサト自身も差を感じていた。

(カッコいいな…叔父さんの恋人は)

誇らしくなってくる。ミサトが以前、言っていた通りだ。小柄な体なのに、凄い迫力だ。可愛らしい、普通の女性なのに、重大な任務に就いていた…選ばれたのに納得できる。

ユイと叔父。それにミサトの父親。彼等は相当重要な任務に抜擢されていた。何なのかは加持には分からないが、重要で危険な事だった…それは想像ができる。

(…いずれ分かるよな)



「リョウジ君、来るなら来るって言ってよ」

稽古が終わって、三人で駅に向かう。ユイは普通に戻っている。何処にでもいそうな、普通の女性に。

「言ったらユイさん、逃げるだろ?」
「に、逃げはしないけど…」

緊張した…そんな風ような事をユイはブツブツツ呟いている。

「ね、凄いでしょ?」

ミサトが大声で話す。ユイと一緒に稽古をしたので興奮気味だ。

「ホント、葛城が言ってた通りだな。滅茶苦茶カッコいいわ」
「…もう止めましょうよ。ミサトちゃん、今日は寄れるわよね?」

ミサトは少し考えていた。旅行の支度もしなくてはならないのに、全然手を付けていない。今日は断る事にした。

「残念だけど、今は忙しいのよね。落ち着いたらみんなで食事しましょう」

顔を見せないと心配だろう。ミサトは頷いた。

「ありがとうございます。後は…」
「明後日、ね」
「はい」

車を置きに行く日だ。ユイは余計な口出しをしない、何も聞かない…そんな態度をとってくれている。降りる駅まで、他愛ない話題をして過ごしていた。



家に着いて携帯を見ると、リツコから着信があった。加持はすぐにボタンを押す。

「"もしもし、赤木?"」

リツコもすぐに電話に出る。

「"何処をほっつき歩いていたの?もう間近なんだから電話に出れるようにしておきなさいよ"」
「"すまん、ちょっと…で、どうかした?"」
「"やっぱりミサト一人で行かせるのは不安なのよ"」

リツコにしては、やけに弱気な発言だ。加持もそうは思っていたが、やたらな事は言えない…リツコに任せる事にしていたから。

「"そりゃ、俺も全く同意だが…"」
「"できるだけ近くまで私達も行きましょう。良いわね?"」

それが可能なら加持もそうしたい。リツコの案を聞いてみた。

「"ゴテンバで私達は車を降りるの。それから…"」

そこから新東京までなら、然程距離はない。それに、タクシーで長距離移動すると、足が着きやすい。どんなに口止めしても、他人だ。話が漏れる可能性は高い。

「"なるほどな。了解"」
「"詳しくはその時に。ミサトには私から話しておくわ"」

(…赤木も、いざとなると不安なんだな)

恐らく、そこは引っ掛かっていた…一人でミサトを行かせる事。不安な要素は取り除いた方が良いに決まっている。それで、練り直してみた結果だ。加持もその案は大賛成だ。

電話を切ると、程なくしてラインが入る。またリツコからだ。

'高校生に見えない格好をしてきてね'

当然と言えばそうだ。深夜に動き回るから警察にでも目をつけられたら厄介だ。

'了解'

忙しくなりそうだ。でも、黙って待っているより、行動できる方が遥かに良い。加持も準備を始めた。



旅行の一週間前。約束の日が来た。三人は、松代の二駅前で待ち合わせをしていた。この辺りは人も疎らで、人目に付きにくい。

「…加持君」

淡い水色のツーピース。胸元にはゴールドのネックレスを着けていた。大小の真珠が幾つも揺れている。高い品だという事は加持にも分かった。

「赤木か。一瞬、誰かと思ったよ」

そう言った途端、リツコに睨まれる。加持にはその理由が全く分からない。

「大人っぽい格好で…って言ったわよね?」
「高校生に見えないようにって言ってたじゃん」

普段、あまり着ない黒系のTシャツの上に、グレーのストライプのシャツを羽織った。下はキャメル色のパンツ。頭には薄手のニットキャップを被っていた。

「大学生風にしてみたんだが」
「学生に見られてどうするのよ?」

リツコの言う通りにしたつもりだったが、お互い言葉足らずだったみたいだ。高校生に見えなければ良いと加持は考えていたが、リツコの考えとは異なるらしい。

「別におかしくはないだろ?」

リツコはやはり、気に入らないみたいだ。訝しげな表情で加持の頭の天辺から、足までジロジロ眺めている。

「やっぱりね。持ってきて良かったわ」

そう言うと、リツコは紙袋を加持に押し付けた。こうなると、嫌な予感しかしない。

「トイレで着替えてきて頂戴」

逆らえる筈もなく、加持は渋々、袋を受け取り着替えに走った。のろのろしていたらリツコに一喝されそうだ。



(なんだよ…これ)

紙袋の中にはダークグレーのスーツと、Yシャツにネクタイ、革靴まで用意されている。リツコの言う"高校生に見えない格好"とは、スーツの事らしい。

いくらなんでも大袈裟だ。万が一の事態を考慮するのは大事だが、ここまでしなくても…と加持は思う。

(…まあ、良いか)

着てみると、新品ではない事が分かった。皺もなく綺麗ではあるが、何度か袖を通してある。いかにも"買ったばかりです"という雰囲気にはしたくなかったのだろう。

「あれ、加持…だよね?」

振り向くと、ノースリーブの黒いタンクトップに膝丈のタイトスカート姿をしたミサトが立っていた。

「…そっちこそ葛城だよな?随分、変わるな」
「昨日、渡されんだよ。明日はこれを着てねって」

ミサトには最初から期待していなかったらしく、手を回していたようだ。

「似合ってはいるが…ペンダントも映えるな」

普段は制服の下に、隠すように着けられていた。それが表に出ると、綺麗に輝いている。

「加持も、なかなか似合ってるじゃない」
「…そうか?」

褒められているのか、なんだか良く分からないが、ヘンだと思えば、ミサトなら吹き出すだろう。加持は素直に言葉を受け止める事にした。

「トイレ行ってくるね」
「ああ。じゃ、先行ってるわ」

さっさと戻らないとリツコに文句を言われそうだ。加持は行きと同じく急いで先程の場所へ走っていった。



「社会人に見えるわね…なんとか」
「やけにサイズが合ってるのはどういうワケ?」
「ネットオークションであなたと同じような体型の人から譲って貰ったのよ」

(そういう事か)

「言ってくれりゃ用意しといたのに」
「今日使う予定じゃなかったのよ。まあ、良いわ」

満足そうに頷いているリツコを見て加持は安堵した。揉め事は勘弁してもらいたい。

「お待たせー」

戻って来たミサトを改めて見ると、いつもと雰囲気が違う。服装に気を取られていたが、良く見れば化粧までしている。当然、リツコの指示だろう。

「それにしても暑いな」
「上着は脱いでも構わないわ。ミサトは寒くない?」
「大丈夫。運転すると緊張して暑くなるんだよね」

緊張…ミサトがその言葉を口にすると、リツコも表情を引き締める。三人が交互に視線を合わせ、同時に頷いた。

「行きましょう」

リツコの合図に三人は車に乗り込んだ。いよいよ作戦開始。意気込みと少しの不安の中、新東京に向かって出発した。

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