面倒な事は苦手なミサトでも、風呂だけは沸かして、ちゃんと湯船に浸かる。独り暮らしだとシャワーだけで済ませる人が多いと思う。

疲れを取るため…それもあるが、単に好きだから。それだけだ。風呂から上がると、自分の部屋を見てウンザリした。

(…散らかりすぎ)

気にならないが、拳立てや腹筋をするスペースがない。ミサトはその辺の物を手でよけて場所を確保した。片付けるという選択は最初から念頭にないのも問題だが、ミサトは気付いていない。

風呂上がりは、体が柔らかくなっている。柔軟をするにはもってこいだ。

「うーんっ、効くなあ」

体を伸ばすのは気持ちが良い。最近はやらない時もあったが、毎日は無理でも二日に一度はしようと思っている。鍛えておかないと鈍ってしまう…積み上げてきた物が、気を抜くと簡単に崩れてしまう。

武道とはそういうモノだ。

「これしか息抜きがないっていうのもどうなんだろ?」

気付くと、声に出していた。独り言を言う癖も抜けない。そんな事を考えていると、電話が鳴る。加持からかな、と思ったが、ユイだ。運転を教わった時、念のため番号を教えていたが、かかってきたのは初めてだ。

「"ユイさん?こんばんは"」
「"こんばんは。急にごめんなさいね。今大丈夫?"」
「"ヒマですよー。いつも"」

ミサトが言うと、ユイの笑い声が聞こえてくる。

「"元気そうね。良かったわ"」

免許を取った日に、お礼と報告に行った。ユイと話すのはその時以来だった。

(どしたのかな…)

緊急の用という感じでないし、ミサトに頼んで役立つ事なんてないと思う。

「"ミサトちゃんの入門している道場って、学校の近くよね?"」
「"そうですけど…なにか"」

'"ミサトちゃん"――ユイに初めて下の名で呼ばれ、なんとなく嬉しくなる。言い慣れているような感じがした。

もしかしたら、ミサトの話をする時、ユイは前からそう呼んでいたのかもしれない。言い方が自然だ。

「"ええ。ちょっとね。道場って少ないからそう思ったけれど、確認しておきたかったの"」

(なんだろ?)

あの近くに用事でもあるのか…そんなところだろうと、ミサトは思った。

「"そうだ。ユイさんの好きな物とか趣味とか教えてくれますか?"」

ちゃんとお礼をしていない。こんなに早く免許を取れたのは、他ならぬユイのおかげだ。しかし、それを察してユイは言う。

「"お礼なんて考えないでね。私も楽しかったし、気持だけもらっておくわ"」
「"でも…"」

それでは申し訳ない。ミサトが言いかけると、ユイが先に話し出す。

「"あの人の側にいれて、リョウジ君がいて、素敵なお友達がいる…それだけで本当に、他には何もいらないの"」

(…あんまり言うのも押し付けがましいかな?)

今度、何らかの形でユイにお礼になる事をしよう…物ではなく。どういう風にすれば良いのかは、考えつかないけれど。ミサトはそう考えるようにした。


中間テストが迫っている。学校の勉強をする時間がなかったから、仕方がないと言えばそうだが、ミサトは困り果てていた。

「授業で教わった範囲から出るだけよ」

リツコが宣言通り、勉強を教えてくれている。範囲は決まっていても、授業中は眠くて全く耳に入っていなかった。ミサトは半ば諦めている。

「諦めたらそこで試合終了よ。尊敬する先生も言ってたわ」
「へー。良い言葉だね。でもさ、試合に出る段階に到ってないって感じ…」

その前の段階だ。こんな事授業で習ったっけ…そんな問題ばかりだ。それでも、リツコは時間を割いて、必死にミサトに教授する。相当気にかけてくれているみたいだ。

「ところで、どの先生が言ってたの?」
「それは…い、今は関係ないでしょ。集中しなさい」

加持はヤマを教えるタイプだけれど、リツコは習った事を全て丁寧に説明してくれる。赤点だけは避けたい。再試に時間を取られてしまう。

「ミサトはやればできるのに。今回は申し訳なかったわ」
「良いよ。そんなの分かってたし」

本当はテストの事はまるで忘れていた。しかし、そう言うとリツコは余計に気にする。ミサトは黙っていた。

「そろそろ帰りましょう。遅くなるわ」

集中していたので、時間の経過が分からなかったが、日が暮れ始めている。見回りの教師に促される前に、リツコとミサトは学校を後にした。

「それじゃ、家でも頑張って」
「ありがとね。なんとかするよ」

リツコには悪いが、どうしようもなさそうだ。一応、試験まではしっかり勉強しようとは思う。

後三日あるし、加持の真似をして、自分なりにヤマを張ってみよう。ミサトはそう考えていた。



「赤木はマジメだからな」

昨夜は結構、頑張ったと思う。ミサトなりにだけれど。

「英語は新しい単語は覚えた。国語は新しい漢字は覚えたよ」
「最低限の事はやってるじゃん(ホントに最低限だが)」
「加持にコツを教わったからね」

電車の中でもノートを片手に暗記をする。これさえ終われば、いよいよ本格的に修学旅行が近付いてくる。今となっては、ミサトもある意味、楽しみになっていた。

「これ、やるよ」

加持はそう言うと、何枚かの用紙を手渡す。ミサトはそれをペラペラと捲った。適格に出そうな箇所が教科毎に書かれていた。

「助かるよ…ありがと」
「いや、俺も申し訳なく思ってるし」

リツコ同様、加持も責任を感じているみたいだ。

(なんとかなりそうかな)



「うーん…」

四日間のテストが終わり、一息はつける。本命が待ち構えてはいるが。

「どう?」

心配そうにリツコがミサトに聞いてくる。

「リツコに習ったトコは良かったかも。日本史と生物がちょっと…」

リツコは世界史と物理を選択していた。加持も。その二科目は教科書の暗記だけはしたつもりだった。あくまでも、つもりだ。

「あ、赤点は免れそうだよ…たぶん」

本当に申し訳なさそうなリツコの表情を見て、ミサトは慌てて言った。

「過ぎた事はしょうがないし。終わってホッとしたよ」
「食事に行かない?奢るわ」

気を遣ってくれているのが良く分かる。ミサトは誘いにありがたく乗る。このところ、ろくな食事をしていなかったし、試験明けにリツコと喋れるのは楽しい。

「行く行くっ。いつものとこ?」

リツコの誘いに、手を叩いてミサトは喜ぶ。二人は嬉々としてカフェへと向かった。



「加持君にも話しておきたかったんだけれど」

早速、修学旅行の話題になりそうだ。テスト終了早々、悪いとは思っているらしく遠慮がちにリツコは切り出す。

「加持ね…今日はリハビリに付き合うって言ってたよ」

叔父は言葉も出るようになったし、少しだけれど歩く事もできる。進み具合が良いし、手の空いた時は、一緒に行きたいみたいだった。

「叔父さま…そ、そう」

(…なんだろ?)

気のせいかリツコの顔が赤い。

「ああ、そうね…それじゃ加持君には後から伝えましょう。叔父さまが優先なのは当然ね」

頼んだピザが机に置かれても、リツコは手を付けずにいた。

「食欲ない?」

ミサトに勉強を教え、自分の勉強もやっていたから、リツコの方が疲れてしまったのではないかと、ミサトは案ずる。

「そんな事ないわよ。色々突破しなくてはならない事はあるけれど、一つだけ案がでないのよね」

具がルーに溶け込んでいるチキンバターカレーをご飯にかけながら、ミサトはリツコの言葉を待つ。

(美味しいなあ。こってり感がたまらない)


「車の手配に困っているのよ」
「車?レンタカーで良いんじゃない?」
「足が着いちゃうでしょう」
「今更関係なくない?」

どうせ色々とバレているし、車を借りるくらい、リツコなら朝飯前だと思う。

「クレジットカードがないと貸してくれないのよ」

そうなのか…確かに犯罪に使用される事が多々ある。レンタカー会社自体、需要が少ないから数も限られてもいる。

「カードの偽造は困難なのよ。時間がかかりすぎるわ」

それこそ、正真正銘の犯罪行為だ。今までしてきた事と桁が違う。さすがにリツコもそれはやりたくないようだ。

「誰かに借りる訳にもいかないしね」

その人まで巻き込むハメになる。ナンバーから身元は簡単に割れてしまう。

「うーん…買うしかないかな。安いの」
「やはりそうすべきよね」

それはそれで、面倒な事も多い。保険加入、駐車場の確保と車庫証明。実印も必要だ。これはリツコが偽造するだろう。

「ナンバーも偽らないといけないし…アテはあるから良いけれど」

恐らく、ミサトの免許を取る時に作った偽造の書類。その方面にリツコはツテがある。同じ人に頼む予定だろう。どういう風に見付けたのかは、聞くこの際、聞かないでおく。

「車がなんとかなったとして、どうやってホテルの側に置きに行くの?」

それはミサトも気になっていた。新東京付近は警備が厳しい。限られた人間しか入る事を許されない。

「そこはなんとかなりそうよ」

自作の地図を広げてリツコは説明を始める。三つのホテルに丸が着けてある。これは以前に見た。その手前に赤い線が引かれていた。

「この線付近から警戒区域になるの。ホテルから一キロくらいよ」
「ふぅん。あの建物からは遠いケド、新東京の端なんだね」

新東京自体、然程広くはない。無理矢理首都にする人工都市の特徴だ。

「一キロなら歩く事は難しくないわ」
「この辺りなら、車一台隠す場所は幾らでもあるね」

山の中だ。少し入れば見えなくなる。

「でも、どうやってここから帰るの?」

置きに行くのは良いとして、帰りは足がなくなる。

「タクシーに頼むしかないわね。危険はあるけれど、個人で口の固そうな人を探してもらうわ。多目に握らせれば大丈夫でしょ」

握らせれるとは、当然、現金の事だろう。ミサトはその話も、追究するのは止めておく。

「修学旅行の一週間前くらいがベストだと思うの」

何か起こった場合を想定すると、手の打てる時間が欲しい。リツコの言う通りで、そのくらいが良いとミサトも思う。

「それは私一人で行くよ」
「…そうしてくれると、ありがたいけれど」

三人では目立つ。ミサトなら、顔も知れているだろうし見付かった場合、言い訳はできる。

「任せて。アタマは使えないケド、体は使えるし」

リツコは悩んでいるようだが、それが一番良いと思っていた。ミサトに頼むのは気が引ける…そう考えているのを察して、ミサトは自分から言い出した。

「お願いしても良いのかしら…」
「大丈夫。任せて」

(仕方がないわよね)

運転ができるのはミサトだけだし、新東京に直接関わりを持っている。適役だ。心配ではあるが、そう言ってくれるのは助かるし、ありがたい。リツコは提案を受ける事にした。



「"しょうがないか"」

帰宅して、加持に電話でリツコとの話を報告する。反対されるかな、と考えていたけれど、渋々した口調だが、やはりそれがベストだと加持も思ったみたいだ。

「"危険はなさそうだが…"」
「"大丈夫でしょ。車置きに行くだけだしさ"」

大きな危険は確かにないとは思う。あの辺りなら、車で駅まで送り迎えしてもらっていたから、不案内ではない。ほぼ一本道だし、迷う事もない。

「"もう少し運転習え。ユイさんに頼んどくから"」

そうした方が良いとミサトも考えていた。免許を取った後も、練習させてくれるとユイは言ってくれている。またお世話になるのも悪いが、頼むしかない。

「"私からお願いするよ"」

自分が言ったからには、自分で頼むのが筋だ。

「"それじゃ、近いうちに連絡するね"」

そう言って、電話を切った途端に電話が鳴り出す。リツコからだと思ってボタンを押した。耳に入ってきたのは、低い、男の声…久しぶりに聞く"あの人"の声だった。

「"体調はどうだ?"」

最高です…とは言えない。肩凝りが酷いです…と一々報告する必要性もなさそうだし、ミサトは当たり障りなく話そうと考える。

「"問題ありません"」

(一体、なんだろ?)

"あの人"から電話がかかってきた事はない。定期的に連絡があるかと思っていたが、何もなかった。ミサトから連絡する事もしなかった。そうしなければならない状況にはならなかったから。

「"次の日曜に来い"」
「"日曜ですか"」

逆らう事はしない方が良いだろう。

「"…分かりました"」
「"そう恐がらなくても良い。健診を受けてもらうだけだ"」

用件だけの電話。それだけ告げると、すぐに電話は切れた。

(校長室の件かな…)

健診とは口実で、加持の話をされるのかもしれない。

(でも、それは"あの人"っぽくないかも)

他人から聞き出すより、直接本人に話をすると思う。加持の顔も名も知っている。当然、連絡先も分かる筈だ。

(下見って、考えたら良いかもね)


「いきなり呼び出しか」
「行ってくるよ。なんだか知らないけどさ」

昼休みに中庭で、ミサトは二人に昨夜の電話の事を話した。口外するなとは言われていなし、向こうも加持とリツコと繋がりがある事は知っている。耳に入るのは承知の上だ。

「今まで放っておいて、急に来いねえ。お偉い方は、何を考えていらっしゃるのか理解できないわ。随分と勝手だこと」

リツコは嫌味ったらしく言った。

「変なコトはされないと思うし。それに、一応保護者だし」
「本当に"一応"よね」

ミサトの生活は、全て知られている筈だ。誰かが報告しているだろう…学校の中の。特に心配がないならば、口は出さない人だ。

(…悩みがあったとしても"あの人"に相談しようとは思えないし。向こうもそんな気はないだろうしね)

「未成年の女の子を、長い間放っておくなんて保護者とは言えないわ」

自分の事のように、リツコは怒っている…というより、苛々しているみたいだ。

「…リツコ?」

多分、ミサトの保護者と自分の母親を重ねている。放っておかれているのはリツコも同じだ。しかも、実の母親に。

「気にしないで。ごめんなさいね。注意して行くのよ」



リツコは塾があると言って、放課後になると急いで帰って行った。あまり人と話す気分ではないみたいだ。気を遣わせてしまうと、思っているようにも見える。

「母さんか」

加持もミサトと同じで、リツコの母親の事を考えているらしい。

「俺には正直なハナシ、良く分かんないが、赤木にとって母さんは特別な存在なんだよな」
「なんとなくだけど、分かるかも」

ミサトが言うと、加持は不思議そうな顔をした。保護者の事を言っているとは思えない。

「"あの人"じゃないよ。分かってると思うケド。何て言うか…うーん」

言葉にして説明するのは難しい。ミサトが考えていると、加持が口を開く。

「現在はどうであれ、子供の頃を思い出すとってカンジかもな」

子供にとって、母親は全てだ。お腹の中から一緒で、いつも身の回りにいて世話をしてくれる。何よりも大切でかけがえのない存在。

世界が広がるにつれて、段々と友人と遊ぶ方が楽しくなってくる。鬱陶しい時もある。それでも、いざとなったら命を懸けても自分を守ってくれる。絶対的な味方。

あくまで一般的な母親像。母親だって人間だ。それぞれの家庭の事情もあるし、これが正解…とは言えない。

子供と呼ばれる年令じゃなくなっても、小さい時に貰った愛情…それを思い出すと、気恥ずかしくも、嬉しい。特に女の子だと、母娘の関係は深い。

「母さんが憎いんじゃなくて、母さんを変えた新東京が憎いんだよな。赤木は」

ミサトも全く加持と同じ考えだ。

「自分もそうだった気がするんだよね。私の場合はお父さんだけど。嫌いじゃなかった。お母さんは分からないけど」

断片的に出てくる、父親の記憶。自分を見てくれない父親が嫌いだった…心の底では彼に好かれたかった。愛情の裏返しだ。

「お母さんに側に居て欲しいんだね。リツコは」
「前から思ってたが、高校生を独りにさせとくのもな…おまえもそうだけど」
「私は仕方ないじゃない。親いないし。リツコはね…だから、やってるんだけど。ま、住む家があるだけ幸せだよ」

同世代で、高校どころか中学ですらまともに行けない人間もいる。それを考えたら、自分達は恵まれている。

しかし、いないなら諦めもつくが、母親が生きていて、事情もないのに帰って来ない。これはこれで、辛いと思う。

「なんとかなる…するさ」
「だね。しないと」

新東京に行くからには、何か一つでも役立つ情報を手に入れたい。あの建物へ入ると、さっさと帰りたくなるが"あの人"と話をしてみよう…ミサトはそう思っていた。



「ありがとうございました」

試験中は通えなかったので、久しぶりの稽古だった。酷く汗をかいたのでミサトはシャワーを浴びる事にする。このままでは風邪をひきそうだ。体調を崩しているヒマはない。

(髪が長いと面倒だな)

備え付けのドライヤーではパワーが足りない。贅沢は言えないが、乾かすのに時間がかかってしまう。

帰り支度が終わり、道場の前を通ると既に一般部の稽古が始まっていた。年令層は幅広い。二十歳前後の人から、白髪の人までいる。やはり、大人の稽古は迫力があるな…とミサトは暫く見とれていた。

(綺麗な型…)

飛び抜けて上手い女性に目を惹かれた。小柄で白帯なのに、周囲の誰よりも動きが凄かった。武道経験者だろう。

「…あれ?」

みんな胴着だし、顔まで良く見えなかったが、どことなく見覚えのある女性だ。ミサトは目で追い続けた。顔付きは普段とまるで違うが、どこからどう見ても、ユイに間違いなかった。

(ユイさん?なんで…)



「驚かせちゃった?」

先生の許可を得て、ミサトは一般部が終わるまで見学していた。

「そりゃもう、びっくりしましたよー。まさかユイさんがいるなんて。しかも滅茶苦茶上手いし」
「若い頃、やっていただけ。少し時間が空くようになったから、入門したの。週一回くらいしか通えないけどね」

ユイも武道をしていて、同じ道場に通うのは嬉しい。電車で来ているとの事で、ミサトは一緒に帰った。

「あの人には言ってあるけど、リョウジ君には言ってないのよね」

なんとなく、言いそびれている…ユイは照れながら答えた。

「加持…君も驚きますよね。ユイさんがこんなに上手いなんて」
「そ、そんなでもないわよ。長く習っていたから…」

ユイのイメージと武道は似合わないが、強い人は優しい…そう考えると、納得がいく。

「ミサトちゃん…ご飯食べてって」
「え、嬉しいけど…」
「リョウジ君に言う切っ掛けになるし…お願い」

ミサトの両手を握り、ユイは懇願する。断る訳にはいかない。正直、ありがたい話でもある。

「ええと、じゃあ、お言葉に甘えますね」

ユイはホッとしたように、にっこりとする。先程見た、稽古中の彼女とは別人みたいだ。明るくて優しいく家庭的。それに加え格好いい。ミサトは益々ユイが好きになった。



「女性にはいつも驚かされるな」

食事が終わって加持の部屋に行くと、まだ信じられないといった表情をしている加持。ミサトにリツコ、そしてユイまでも、色々と突拍子もない事をしてくれる。

驚きはするが、面白い。周囲の女性達は加持を退屈させない。

「ほんっと、格好いいよ」
「…想像できないな」

加持がそう言うのも当然だ。ミサトも、聞いただけなら信じられなかったと思う。

「動きが違うんだよ。こうね…」

ミサトがユイのしていた型を真似る。加持から見ると、充分に素晴らしい動きだ。腰も落ちているし、手足もしっかり止まっている。

「葛城だって相当なレベルだろ?」
「長年やってきた人の型は全然違うよ」

(そんなに凄いのか)

ミサトが興奮気味に喋り続けているので、ユイの武道はかなりのモノだろう。加持には全く分からないが。

「見たいな。是非」
「来なよ。こっそり」

ユイの性格からすると、加持が見学に行くと言ったら、恥ずかしがると思う。言わずに行った方が良い。

「だな…お、携帯鳴ってるぞ」

'今日はごめんなさいね。母の事で感情的になってしまって。もう大丈夫だから。宜しくね'

「…気なんて遣う必要ないのに」
「そういうヤツなんだよ」

無関係な人間には冷たい態度をとる事もあるが、心を許した人間には感情的な面も見せるし、素直にもなる。

'全然っ。リツコのそんなとこが好きだし。無理に元気出すコトもないよ。もっと八つ当たりしてくれてもオッケー!(加持に)'

重くならないように、楽観的な返信をした。下手な励ましは余計に気を遣うとミサトは思ったからだ。

「なんだよ"加持に"って」
「良いじゃない。リツコにイジメられるのは慣れてるでしょ」

加持はリツコが本音を晒せる、数少ない人間の中の一人だ。弄られるのも、とばっちりを受けるのも、構わない。少々、恐い時もあるが。

(赤木はやる事はやるしな)

人に何かを頼む時は、それ以上の事を自分でやる。やり過ぎる事も多々あるが。加持はそんなリツコを凄いと思う。

「赤木はあまり触れて欲しくないみたいだな。母さんの事」
「かもね…言いたい時は自分から言ってくれるよ。きっと」



(久しぶりだな。ホント)

日曜日。新東京駅に着くと、迎えの車が来ていた。黒いセダン。運転手の車いスーツ。前と変わらない。

「こんにちはー。宜しくお願いします。良い天気ですね」

ミサトなりに精一杯、愛想良くしてみたが、運転手は軽く頷いただけだ。

(相変わらずだな…)

"あの人"もそうだろう。けれど、ちゃんと話をしてみよう…ミサトはそう決意を固めていた。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ