傘屋
□世界が静かに輝いた
1ページ/1ページ
「こんにちは、レディ」
そう言い放った男性の後ろで、爆発音や銃声、叫び声が飛び交っていた。
とある島のとある町に君臨している横暴な領主…もとい私の主人はすぐ側にうつ伏せで倒れていた。腕は変な方向に曲がり、必死な顔は唾液や血液でべちょべちょだった。
そんな状況でも私を離す気は無かったようで、私の首に着いている枷の鎖をしっかり掴んでいた。ひやり、と冷たいこれは、どれだけ外そうとしても一切取れる事はなかった。
いつからだろう。これを取ることを諦めたのは。ここから逃げようと考えなくなったのは。
「…あなたは?」
「ただの海賊さ。ちょっと、こいつに用があって」
領主の頭を、靴の先で小突いた。
「どうやら、少々手荒な奴だと聞いてね。おまけにレディを大切にしねぇときた。
…そこで提案ですが、ここから逃げませんか?」
そう言った男性の手には、小さな鍵。
それが何かなんて、私は説明が無くても分かった。
「…でも、私はもうここから離れちゃいけない」
私は元々、この領主が買収した村に住んでいた。住民の命を奪わない代わり、若者は皆服従することを言い渡された。
逃げ出そうとしたり自殺をした者が後を絶たず、仲間は少なくなっていくばかりで。
だから、と続けようとした私の前に差し出されたのは、数枚の紙。その紙に記された文字に、見覚えがあった。
「これは、このくそ野郎と君たちの誓約書だ。ちょっと忍び込んでぶん取ってきた」
紙の端に手をかけた瞬間、男性はそれを真っ二つに引き裂いた。
粉々に破って放り投げたそれは、辺りの火に焼かれて焦げ落ちた。
「これで、コイツと君は無関係だ。自由さ。
もう、自分の思うままに生きていいんだ。…で、どうしたい?」
きら、と光った鍵が滲んだ。
ああ、私泣いてるんだ。ここから逃げてもいいんだ。
目の前の、助けてくれた男性に抱きついて、私を逃がしてと嗚咽混じりに伝えた。
「オーケイ。お姫様」
かし、と金属が嵌まる音と共に、私を縛り続けていたそれは地面に落ちる。
乾いた頬を涙が伝った。
私は、やっと上を向いてこれからを過ごせることに安堵した。
ーーーーー
「…懐かしいなあ」
タンスの整理をしていた時に、ボロボロのワンピースが出てきて広げたら不意にそう言っていた。
落ちきっていない血のシミも、泥汚れも今となっては一つの勲章だ。
あれから、私は私を助けてくれた海賊…麦わらの一味として仲間に入れてもらえた。正直言って海賊には怖いイメージしかなかったが、それは出会い頭に崩れ去った。
毎日が楽しい。賑やかで、いつも笑顔に囲まれていて、あの頃とは何もかも違った。
こんなに幸せでいられるのは、あの時私を逃がしてくれたサンジのおかげだ。
彼が来てくれなかったら、私は今もあそこに居たに違いない。
ワンピースを畳み直してタンスの奥へ入れておく。ふと、自分が次の不寝番だったことを思い出して女部屋を飛び出した。
今日はとても冷えるから、大きな羽織と膝掛けを持って向かう。と、そこにはココアを飲んで待っていたウソップとサンジがいた。
「ウソップ、ごめん。不寝番代わるね」
「おー。頼んだぞー」
マグカップの中身を啜りながら船の中に戻っていくウソップを見届けて腰を下ろした。
「こんばんは、レディ。
よろしければ温かいココアをどうぞ?」
「ありがとう、サンジ」
受け取って、まだ熱そうなそれを少しずつ飲む。ほわ、と体の内から温かくなって幸せな気持ちだ。
「…ありがとうね、サンジ」
「はは、お礼ならさっき貰ったよ」
「違うよ。…いや、ココアのお礼は違くなくて…その、私を助けてくれてってこと」
今、こうして幸せでいられるのはサンジのおかげ。
助けてくれてありがとう。
生き方を教えてくれてありがとう。
私を自由にしてくれてありがとう。
私に手を差し伸べてくれてありがとう。
「あの時さ、私にお姫様って言ってくれたよね」
「ん?あー、確かに言ったな」
「じゃあ、サンジは私を助けてくれた王子様だね」
私、実はあの時、本当に王子様が来たって思った。爆発の閃光を受けて、太陽の光を浴びて、今みたいに月の光を受け止めて光る金色の髪に、軽やかな身のこなしは王子様そのもので。
「あーあ、サンジの彼女になる人はきっと幸せだね」
「…そうかな」
「うん。私がそう思ってるんだから、自信持ちなよ」
ちら、と横目で見たサンジは、いつもより綺麗だった。どこか真剣な顔で、私の方を向いていて心臓が跳ねた。
「…サンジ?」
「名前ちゃん。信じてくれるかどうかは分からねぇけど、君が言うとおり自信を持って言うよ」
君が好きだよ。
その言葉がとてつもなく嬉しくて、私は思いきり抱きついた。答えなんて、当に決まっている。