薄桜鬼_現代 主は小説家

□『自由人』と書いて『不知火 匡』と読む
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「おはようございます、不知火さん」

ビルのエントランスにある受付横を通りすぎ、高層階用エレベータに乗り込むと隣にいた女性社員から挨拶をされた。

曜日はもちろん時間も不規則なせいか、テレビ局と同じで出版業界のあいさつも基本『おはよう』である。
昼夜逆転している人も少なくはないので、このほうが便利といえば便利だ。

「おう。今日も可愛いじゃねぇか。今日の昼は空いてるかよ」
「ごめんなさい。女性誌は今週はヤマなんですよぉ。来週末じゃダメですか? 金曜の夜とか」
「週末は結構先まで予約ありだ」
「えぇえーっ、残念」
「またな」

男女とも字面だけは残念そうだが、口調も反応もそうでもなさそうだ。いわゆる『いつもの会話』というヤツなのだろう。
ちょうど自分の所属部署がある階だったのでヒラヒラと振られる手に見送られてエレベータを下りる。

「おーっす」

「あ、おはようございます」
「よお。今日も時間通り出勤してんな」
「時間通りの出勤は当たり前じゃないですか。不知火さんこそ私の教育係なんですからちゃんと出勤してください」

彼女の名は雪村千鶴。今年入社の新米編集者で、名目上は不知火が教育係となっている。本来ならば『不知火先輩』と呼ぶところだが、本人により呼び捨てでいいと却下された結果、『さん』をつけることで折り合った。
このように呼び名一つとっても、どの社会人よりもビジネスマナーのない不知火が教えるべき一般常識はない。大概は自主的な学習で身につけることとなる。

「あー無理。俺の時間を管理するのは俺様だ。お嬢ちゃんの世話を焼くためにあるんじゃねぇからな」

とはいえ、自分のところに任されてしまった以上は面倒をみてはいる。
マニュアル等の用意はしていないが、『いかに楽をして仕事をこなすか』という点についてのレクチャーは完璧である。
それを生真面目な雪村が実行することは皆無であろうが。

このように不真面目が服を着ているような不知火だが、彼が教育係に任命されるのはこれが初めてではない。
実は過去に二度の経験があるのだ。そして、彼の元に来るものは通常の半分以下の時間で一人前の仕事のできる編集となるのである。……反面教師の効果が高いだけなのかもしれないが。

「今日のお嬢ちゃんの仕事は何をするんだ?」
「えっと、今日は立浪先生との打ち合わせです」
「それ以外は?」
「特に入っていないので、不知火さんのサポートです」

一応出勤後に仕事の確認というか予定の伝達をする。
しかし、これはお互いの業務を確認し合うためではなく、不知火が一方的に確認するためのものである。

「じゃ、よろしくな」
「ちょ、ちょっと。不知火さんのご予定はどうなってるんですか?」
「俺? ああ適当にな。とりあえずコーヒーでも飲んでくるわ」
「適当って! もう!」

そう言って不知火は部署を出て行った。
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