真波くんと自転車ダイエット
□03 平和な生活が
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今日から二学期、のんびり過ごせた夏休みも終わり。久しぶりの制服を着た七海はため息混じりに家を出た。
学校がイヤなわけではない。七海は朝の通学が苦手なのだ。
七海の通学は毎朝、小田原駅まで自転車で行くところから始まる。そこからは電車だ。自転車に乗るのはたいした距離じゃない。歩いても自宅から駅までは10分くらいなのだが、ちょっとでも楽をしたいがゆえに七海は毎日ママチャリに乗っている。
この季節、ただ立っているだけで汗が出てくるのに5分とはいえ自転車に乗り、そのあと満員電車だ。
七海は太めなせいか汗かきなので、自転車を降りた瞬間から汗が吹き出してしまうのだ。
汗ダラダラの可愛くない女子高生なんて誰も見たくないだろうとは思うものの、七海にはそれを抑えるすべもなく、電車の中でうつむいて汗をぬぐうしかない。
今日も本当に暑い。七海は恨めしそうに空を仰いでから自転車にまたがった。
住宅街の中をのんびり走ると、風を受けて少しだけ気持ちいい。もっと速く走れたらきっともっと気持ちいいのだろう。
自転車を降り、満員電車に揺られながら、七海はインターハイで見た光景を思い出していた。
ゴールのある富士山五号目まで登ってきた選手達は、ほとんどがそのまま自走して山をくだって行った。すごいスピードで。
登るのは無理だけど下るだけなら自分にもできるかも。七海は呑気に憧れを抱いていた。
「おっはよう!久しぶり〜!」
「おはよう!元気にしてた?」
「夏休みの宿題全部終わった?」
教室中に生徒達の元気な声が響く。
「七海ちゃん!私達の白ぶたちゃん!」
「白ぶたちゃん逢いたかったよ〜!」
ドンと七海に抱きついて来たのは亜美ちゃんとレナちゃん。不本意ながら、七海は白ぶたのあだ名をつけられている。理由はもちろん太っていて色白だからだ。
「亜美ちゃん、髪型変えたんだ!レナちゃん、ちょっと日焼けした?」
「七海ちゃんの手、相変わらずモチモチで気持ちいい」
「ほっぺたもやわらか〜い」
「ん〜、暑いよぅ」
友達とじゃれるのは楽しい。多少オモチャにされている感はあるけど、そんなのいつものことだ。七海は笑っていた。
「わぁ〜、ホントだぁ!七海さんの手ってやわらかいねぇ〜」
「へっ?」
七海は、急に女の子にあるまじき大きくて硬い手に自分の手を握られているのに気付き、のけぞった。
「あれ!真波くんじゃん」
「オハヨ、清水さん、加藤さん……倉林さん」
「やだ真波くん、七海ちゃんの手ニギニギしちゃって」
「えー?清水さん達が気持ち良さそうに触ってたから」
「男子が触ったらセクハラだよ〜」
「エヘヘ、ごめ〜ん」
真波の行動ははいつも突拍子もない。小学生みたいなことをしては先生や幼馴染みの宮原に怒られるのだ。
にしても、なにも七海の手を触ってくることはないだろう。七海は体育のフォークダンス以外で男子の手を握ることなんてないのに。
「山岳!こんなところにいた!ねぇ夏休みの宿題はちゃんとやってきたんでしょうね?」
教室中でガミガミと真波を叱るのは、いつも宮原の役目だ。
「先輩達にも散々注意されたからやったよ〜、宿題全部」
「ホントに?」
「ホントだってば、委員長」
そんな真波と宮原の会話を聞いていれば、七海にも学校始まったんだという実感がわいてくる。あとでまた、宮原は七海のところに愚痴を言いに来るのだろう。
「ほら!お前達速く体育館に行け!始業式だぞ!」
先生の大きな声。担任の先生に会うのも久しぶりだ。七海は新学期の始まりに胸を高ぶらせて教室を出た。
すると、背中から七海の制服を引っ張る気配。クラスメイト達は先を争うように体育館へと駆けていくというのに。
走るのが苦手な七海は得体の知れないものに捕まってしまった。
七海が歩みを止めずに振り返ってみれば、ニッコリ微笑む真波が七海のブラウスをつかんでいた。
天使の笑顔。
真波の笑顔をそう呼ぶ子達もいる。でも、七海はただ可愛い顔をした男の子が笑っているだけじゃないことを知っている。
真波がそうしてニコニコ笑う時、たいてい何か目的があるのだ。中学のときからそうだ。掃除をサボりたいとか、早退したいとか。
友達の宮原から聞かされ続けてきた真波情報のせいで、逆に冷めた目で彼を見てきた七海は正直、真波とはあまりかかわり合いたくないと思っていた。
なぜって、七海にとって真波と仲良くなることで良いことは何もないのだから。
遅刻魔、サボり魔の真波に、宮原があんなに世話をやけるのは、宮原が彼を好きだから。
その一方で、真波は昔からやたらとモテる。顔がいいからだ。そのせいで一番親しい女の子である宮原は、実は真波のファンから陰口を叩かれているのも七海は知っている。
「あのさ、あの事、委員長には言ってないよね?」
声変わりもとっくに終えた男子高校生としては可愛すぎる声だ。真波の大きな瞳が七海をまっすぐに見つめている。
「あの事?」
七海は聞き返してから思い出した。忘れてたけど、真波が号泣してるところに運悪く鉢合わせしちゃったんだった。空を見上げて泣いている姿は、真波に興味のない七海も綺麗だと思ったのだった。
「言ってない、別に誰かに話したいと思わなかったし。……真波くん、心配いらないよ」
そりゃ、気まずかったのだろう。それを気にしてたのかと思った七海は、真波に大丈夫とばかりにうなずいた。
「ありがと。あのさ、オレこないだ倉林さんに面倒かけちゃったからお詫びしたいんだけど、学校終わってからちょっと時間ある?」
「別にいいよ、お詫びなんて。真波くん部活あるでしょ?」
「ううん、今日は始業式だけだから部活ないんだ。じゃあ、いいんだね!わぁい、やったぁ!あとで駅の改札で待ってるね、一緒に帰ろう!」
真波は七海の答えも待たずに、自分の言いたいことだけ言うと、体育館へ向けて走り出した。
『なに?どういう流れ?宮原ちゃんに報告すべき?でもそうしたら、真波くんが泣いてたのも言うはめになるし……いけない!みんな行っちゃった』
七海は不本意ながら自分も真波のあとを追って駆け出した。
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「あ!来た来た!倉林さん、こっち!ほら早く」
放課後、駅まで行けば、真波がニコニコと手を振っていた。
インターハイに出たことで箱根学園での真波は有名人になっていて、目立つことこの上ない。
「ねぇ真波くん、お礼なんて気にしないでいいのに」
真波のそばにいるせいで目立ちたくない七海は、さりげなく小声で言った。
「ほら、早くしないと電車出ちゃうよ!ホームまで走ろう」
「へっ?なに、待って。真波くん人の話聞いて!」
真波は人の話をまるで聞いていないようで、いきなり七海の手首をつかむと走り出した。
「はぁ、間に合ったぁ」
「はぁはぁ、な、なんで?こっち反対方面の電車……ってか、真波くんなんで電車乗ってるの?」
ギリギリ乗り込んだ電車は箱根山を登る方向で、でも七海や真波は反対方面の小田原に家があるのだ。
このあと用事はないとはいえ、七海は電車のドアから遠ざかっていく景色を呆然と見た。
「真波くん!私、家に帰るところだったんだけど!」
「分かってる、だいじょーぶだよ!一緒に帰ろって言ったでしょ。電車代はオレ出すし」
会話が成り立たない。七海はどうしたもんだろうと、頭を悩ませた。今日も委員会の仕事で一緒に帰れないと言った宮原を待っていればよかった。
「あのね、そういうことじゃなく」
「ああ、へーきだよ。家には電車より速く帰れるから。たぶん」
頭ひとつぶん背の高い真波に至近距離で見つめられては、さすがにドキドキする。
真波は気まぐれで、たまに変わった行動をするけど、まともに相手をしなくても大丈夫だと言ったのは宮原だ。でも、つかまっちゃったあと、どうやって逃げればいいのかは聞いてない。
「今日、お天気いいね。ほら、空を見て!まだスッゴく暑いのに秋の雲だ」
「ねぇ、どこいくの?」
「すぐ分かるよ!」
電車が駅にとまると、真波はドアが開くのと同時に飛び降り、右手を差し出した。
「ほら、来て!」
真波はまるで小さな子どものようだ。
七海が戸惑いの表情を見せると、笑って七海の手を引いた。
待っていたのは2台の自転車、それも真波が部活で乗っているロードバイクだった。
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