真波くんと自転車ダイエット

□02 きっかけは涙
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富士山の五号目、まだ辺りに歓声が響き渡る中、七海はどこで時間を潰そうか考え、そして山頂へと続く道を歩いてみようと思った。

なにしろ、ゴール付近は駐車場の広い土地を含めて人がたくさんだ。それに、各出場校のテントが並び、自分の学校である箱根学園の自転車部ですらまったくの無関係者の七海
は、そんな場所をうろついていても邪魔なだけだし、楽しくない。


ここ須走口登山道の入口には数件の山小屋が並んでいる。これから富士登山をしようとする人が手にする金剛杖はもとより、登山グッズ、土産などを販売し、飲食を提供し、休憩場や宿の役割も果たす。

お客さんでごった返す店先を興味深げに眺めながら、七海は登山道の入口の先を目指す。さっき見た案内看板によると、少しだけ登山道を登ったところに神社があるらしいのだ。


「いつか富士山の山頂まで登ってみたいけど、今日はパワースポットの神社で我慢ね」

真夏とはいえ、富士山の五号目は標高が高いだけあって肌寒い。でも、森林の間を通っている登山道を歩いていると少し暖かくなってきた。

ちょうど昼過ぎという時間帯のせいもあるのか、ここには登山客はほとんどいなくて、レース会場のアナウンスがかすかに聞こえるものの静かだった。

太っているせいで運動が苦手な七海が息を切らし、来たことを後悔し始めした頃、と言ってもたいした距離ではなかったのだが、神社の鳥居と小さなお社が見えてきた。


鳥居をくぐり、お社にお参りをすると、七海は携帯が圏内であることを確認し、どこか座って休めるところがないか、辺りを見回した。

「あ、あそこにベンチがある!うわぁ!ここ、ふもとまで一望じゃん……あれ?」

神社の背後は崖っぷちになっていて、五号目まで登ってきた車道、さらに地上の湖まで眺められる、素晴らしい眺望が広がっていた。と、七海の視線の先に佇む見覚えのある人影に、七海は目を見開いた。

まるで彫像のように空を見上げる彼は、さっき七海の目の前を、インターハイの優勝をかけて疾走していた……。

「ま、なみくん?」

声を掛けようと思ったわけではない。ただ、なんでこんなところに選手がいるんだろうと思ったら、彼の名を呼んでいた。


だいたい、日頃の真波はクラスメイトの名前すらロクに覚えていないようで、よく他人の名前を間違えている変わり者だ。七海は同じ中学出身とはいえ、ほとんど会話を交わしたこともない自分の名前なんて真波は知らないだろうと思っていた。

だから、七海の声に気付いた真波が、大きな目から涙をボロボロこぼしながら七海を見て七海の苗字を呼んだことに、クラスメイトの男子が泣いていることに、とっても驚いた。

「倉林さん?あっ、倉林さん?」

真波も驚いている。それはそうだろう。人気がないところだからこそ、悔し涙を流していたのに、知り合いの女の子に見られてしまったのだ。急に真っ赤になった真波は、すごい速さで七海の元に来ると、七海の肩を押し、身体を反転させた。

「ごめん、倉林さん。泣き顔見られたくないから、しばらく反対向いててもらえる?」

ぐっと両肩をつかまれて、七海の視界の先には広大な景色だけが広がり、身動きが取れない。別に抵抗する気は起きなかったが、七海は不思議な間の悪さを感じた。


真波はここから見える自分が登ってきた道を見つめ、敗北を痛感していたのだろうか?

七海にはさっきのレースがどれ程のものか、よく分からない。だけど真波は負けてこんなに泣くほど悔しいんだ。七海にとって真波の意外な一面だった。

七海にとっての真波の印象といったら、いつもヘラヘラ笑って、フラフラしてるつかみ所のない人物といった感じ。宮原からよく真波の話を聞かされるもんだから、無駄に真波の生い立ちやら好物、苦手科目といったプライベートなことに詳しくなってしまっている。

顔が並よりずっと可愛くて、身長も高い方、愛想もイイもんだから女子によくモテている。当人の恋愛事情に関しては宮原情報が皆無なため謎だが、七海はそんなことに興味もなかった。


真波は泣くのを止めようとしているんだろう。嗚咽をこらえる音がする。七海の両肩をつかむ手に力が入っていた。こうなると、七海は真波を慰めるしかやることがない。

「真波くん、あのさ、さっき見てたよゴール。すごかったね。全国大会で1年生なのに2位になったって、すごいね」

だが、これは逆効果だったようだ。真波はさらに泣き出してしまった。

『ああ困った。真波くん泣かせちゃった。ウチの弟ですら、最近は泣かなくなったのに、高校生の男の子をどうやってなだめたらいいの?』

真波を泣かせたなんて、宮原に知られたらどんなに怒られるか。七海はこの状況に困惑しながら、言葉を続けた。

「こんな高いところまで、すごいスピードで登ってきて、大変だったでしょ。すんごい接戦だったね。……真波くん、カッコよかったよ」

すると、急に真波の腕が巻き付いてきて、ギュッと抱き締められてしまった。

「……倉林さんにカッコ悪いとこ見せちゃったね?」
「えっ?ううん、カッコよかったよ」
「オレさ、今までで一番頑張ったんだ。走りながら倉林さんの応援の声聴こえてた。まさか本当にいると思わなかったけど……だけど、精一杯頑張ったんだけど、ゴメンね。負けちゃっ……」

真波に抱き付かれた七海は少し恥ずかしかったが、泣く子には勝てない。

「うん、真波くん悔しかったね」

大きな体をしてるのにウチの弟みたいだ。年の離れた弟がいるせいでお姉さん体質が板に付いている七海は、七海の肩に頭をうずめて泣きじゃくる真波の髪を、幼い子どもをあやすように優しくなでた。


「ゴメンね倉林さん。肩貸してくれてありがとう」

しばらくの後、真波はそっと七海を離した。顔にはいつものヘラりとした笑顔が戻っている。

「真波くん、私の名前知ってたんだね?」
「えっ?そんなの当たり前でしょ?クラスメイトなんだから」
「だって、真波くんよくクラスメイトの名前間違えるじゃない!」
「ハハ、気付いてたんだ。ん〜、オレ興味薄いこと覚えるの苦手でさ。でも、倉林さんの名前間違えたりしないよ。倉林七海ちゃん、同じ中学出身だし」
「ふ〜ん」
「え〜っ?倉林さんのオレに対する印象って、実はあんまり良くないの?ショックだな」

真波とは今まででほとんど喋ったことがなかったが、七海は真波のことならよく知っている。

「真波くん、身体冷たくなってきてるよ、寒いでしょ?これあげるから早くみんなのとこに戻った方がいいよ」

七海は使い捨てカイロを差し出した。なにせ気温が一桁近い場所に真波は短パン半袖しかも汗をたくさんかいて濡れているのだ。抱き付かれているときに、真波が寒くないのかと七海は実は気が気でなかった。

「倉林さんってあったいね。オレはさっき温もりを分けてもらったから大丈夫。でも、もう戻らないといけないから先行くね。あっ、委員長にはオレが泣いてたこと内緒にしてね!じゃあ、ありがとう!」


宮原の話しによると、真波は普段から宮原が恥ずかしくなるくらい誉めたり感謝したりするらしい。普段の行動も、今日の出来事も、真波のことは七海には想像の範囲外であり、あまり自分から関わりたいとは思わない。

登山道を駆け足で降りていく真波に、七海の頭には『理解不能』の文字が浮かんだ。


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