砂糖菓子の恋

□3 美術の時間
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自転車ロードレースの服装と言うものは、見慣れない者にとってはとても奇異な服装である。

上半身は、サイクル・ジャージといわれる体にフィットする作りの物を着る。その背中には、食べ物を入れるための大きなポケットが付いているのだ。
そして、下半身には、レーシングパンツ、レーパンという半ズボンを履く。
上も下もピッチピチ、体のラインが丸わかり。筋肉の付き具合なども、ウェアから露出した部分のみならず、太ももや背筋すら、良く見てとれる。

東堂ファンクラブの一体どのくらいが、そのレーパンの下には何も履いていない、いわゆるノーパン状態だと知っているのだろう。







美術の授業、今学期の課題は人体模写。
というわけで、クラスの皆が美術室の椅子に着席する中、台の上にはモデルとなる生徒が二人。

美術の40代の女性教師は、毎年、二年生に行うこの授業で自転車競技部に協力をしてもらっている。

人体模写は通常、ヌードで行うものだが、高校の授業ではそうもいかないので、骨格や筋肉が観察しやすい自転車競技の服装はベストなのだとか。
それに、彼等はそのスポーツの特性ゆえ、しばしば思春期の女子の嫌悪の対象となる男性特有の濃い脛毛がないのだ。
モデルとして最適ではないか。



「ではまず、身体の全体のパーツから、骨格と筋肉を見ていきます。新開、前に出て」

このクラスに自転車競技部の生徒は3人いるが、モデルとなったのは、新開隼人と東堂尽八の二人。
もう一人の荒北靖友は、後ろの方で嫌そうに顔をしかめている。

美術室の中には女子の黄色い歓声が響いた。

「はい、じゃあ新開、ダブルバイセプス」
「え〜!先生、マジでやんなきゃだめか?」
「美術の成績が赤点でいいなら、やらなくても宜しい」
「ウワッ!先生キツイな」

隼人は両腕を上げ、力を入れると、逞しい腕に力瘤が盛り上がる。

「はい!これが上腕二頭筋ね。続いて、ラットスプレット!」

腕を逆に曲げ、上半身に力を籠める。

「皆さん!力を入れるとあばら骨の上に乗っている鍛えた大胸筋が、良く分かりますね。それに、背中の広背筋!」

嫌々言っていた割に、ポーズを付けていく隼人はノリノリだ。
腹筋を見せるためのポーズ、臀部や脚の筋肉を見せるためのポーズと、決めていく。

甘いマスクに鍛え上げられた筋肉質の身体。
制服を着ているとあまり目立たないが、こうして観察すると、余分な脂肪は一切付いていないのだが、とても男らしく逞しい。

隼人のポーズが決まるたび、女子生徒からは失神寸前の悲鳴があがり、男子生徒からも羨望や感嘆の声が漏れ聞こえた。

「筋肉の逞しさを表現した美術作品は、有名なものでもたくさん有ります。日本人には筋肉隆々の人はあまりいませんが、誰にでも筋肉は付いています。人体を描く際には、それを忘れないように」



「じゃあ、次は東堂前に出て!」
「良かろう!この美形をモデルとして、存分に観察するがいい!」

学園のアイドルを自認しており、目立つことが大好きな尽八は、待ってましたとばかりに前に出た。





「じゃあ次は、顔のパーツの説明から。あ〜東堂、そのちょっと垂らしている前髪、きっちりカチューシャで上げて!」
「先生!これはオレのトレードマークの髪型で…」
「美術の授業だから。嫌ならモデルを荒北と代わってもらうけど」

尽八の抗議は、冷静な美術教師に遮られた。
目立ちたがり屋の尽八には、モデルを降板することなど、考えられない。
一旦、頭のカチューシャを外し、髪を左右に振った後、ゆっくりと、前髪を全て上げるようにカチューシャを装置する。

カシャカシャ!カシャカシャ!

その一連の動作に反応した女子が、写メを撮った。キャッキャと騒いでいる。

「東堂さまの貴重な、髪を下ろしたお姿!撮れた!」

ファンクラブの子たちだろう。

「授業中は携帯電話もカメラも使用禁止!次やったら教室から出てもらうから!」
すかさず、教師からの叱責が飛んだ。



「はい、じゃあ顔のパーツね。見てのとおり顔には、目と鼻と口があって、眉毛も耳も付いています。
各パーツは人によって、大きさ、形、付いている場所が違う。それから顔の表情、顔の向き。
それらの全て条件を総合して、初めてその人の顔、人相は出来上がっています」

尽八の顔を右に向け、左に向けて生徒に観察させる。

尽八の顔は、実に端正な顔立ちをしている。しかし、尽八のその口数の多さや自信に満々ちた表情は、時に滑稽であり、また、鬱陶しがられたりと、残念ながら容貌の美しさを曇らせる働きをしていた。

「じゃあ、そのニヤけた顔をやめてみようか。はい、無表情な顔!」

尽八は、一瞬「ナニィ!」という表情をしたが、すぐに教師の指示に従い、できるだけ無表情な顔をして見せる。

「そのまま少しだけ、俯いてみて」

普段の自信満々な瞳の色が、少しばかりなりをひそめる。

「悲しい顔をしてみようか」

『今のオレは役者だ!役者!』

尽八は必死で悲しいことを考える。

『こないだ実家に帰った時、好物のプリンを姉ちゃんに食べられてしまった。あれは、涙が出るほど悲しかった』

「次、怒った顔!」

『プリン、プリン、食い物の怨み忘れまじ』

拳に力を入れ、姉への怨みを思い出す。

「はい、東堂もういいよ!こんな風に、同じ人でも、気分や表情によって、かなり違う感じに見えること、皆分かったかな?それでは、実際にデッサンをしてみましょう」

先生の言葉で尽八は、我にかえった。



「皆、スケッチブックと鉛筆は持ってきたね?モデルをどう描くかは自由です。一人の全身を描いても、身体の一部分を描いてもよし。何か質問がある人?」
「先生!東堂くんと新開くんは同じ部活なのに、なんで、新開くんはムキムキなのに、東堂くんには筋肉がないんですか?」

「ムキムキって、そりゃ、オレに対してちょっと失礼な表現じゃないか?」
隼人は、東堂ファンクラブの女子生徒の声に笑いながら抗議の声をあげた。

「今の授業とは関係ない質問ですね。でもまあ、気になっている女子が多いようなので、東堂、質問に答えてあげなさい」

「それはだな。ロードレーサー、つまり自転車選手としてのタイプの差、鍛え方の差だ。このオレは、クライマーと言って、山道などの登りが得意なタイプで、体重が軽い方が有利なのだ。一方、新開はスプリンターと言う、スプリント…短い距離を猛スピードで走るのが得意なタイプだ。陸上競技でも短距離選手は筋肉がたくさん付いているが、マラソンなどの長距離選手は細いだろう。まあ、簡単に言うとあれと同じだな。練習方法も違っていて…」

「よし、ありがとう。他に、授業と関係ある質問は?」

先生からのご指名とあって、尽八はドヤ顔で話していたが、長くなりそうと思った教師に途中で制止された。



「先生ェ〜、ヤローばっか見ててもつまんねェんダケド、女子はモデルしネェの?」

荒北のかったるそうな発言に、他の男子生徒から、拍手が起こった。


* * * * *


先程、教師が新開隼人をモデルに筋肉と骨格を説明していた際、花は、スケッチブックに鉛筆を走らせながら、教師の説明に耳を傾けていた。

『隼人くん、いつの間にこんなに逞しくなったんだろう?!中学の頃は女の子みたいに華奢だったのに』

モデルとしてポーズを付ける隼人を見ながら、花は、彼が自分より早く大人に成っていくような気がしていた。
小学校の頃は身長差は、ほとんどなかった。
中学に上がると、隼人はどんどんと背が伸び、高校生に成った今では、そばにいると、見上げるようにしないと、花は隼人の顔を見られない。

『でも、明るい性格も、優しいところもちっとも変わらない』

隼人は人当たりが良く、誰にでも優しい。

スケッチブックには、隼人の全身を描いた素描が浮かび上がった。








次に、教師が東堂尽八をモデルに顔の造形を説明しだすと、花は少し考えた後、尽八の表情を模写し始めた。

『この人、女の子からすごく人気があるって聞いたけど、なるほど、とても整った顔をしているのね』

少し広めの額のライン、シャープな顎のラインを簡単に描写していく。

目を描こうと思った時だった。尽八が目を伏せ、悲しそうな表情を見せたその刹那、花はハッと気付いた。

『あの時の人だ。全然気が付かなかった…』

花は尽八に対し、いつも大きな声で喋っていて、楽しそうな人という印象しか持っていなかった。まさか、山で倒れていたあの人が彼だったなんて。
口を開かず、真面目な顔をすると、普段とまったく印象が異なることに、花は驚いたが、あの時の怪我が大したことなさそうな様子に、安堵を覚えた。

隼人は、怪我したあの人のことを、部活が同じなので、知っているハズなのに、あの後、それについて尋ねても、ちっとも話しをしてくれなかったから、ちょっと心配だったのだ。

尽八の伏せた目を描き、鼻を描いて、鉛筆書きの簡単なデッサンは概ね出来上がった。



* * * * *




「先生ェ〜、ヤローばっか見ててもつまんねェんダケド、女子はモデルしネェの?」

荒北のかったるそうな発言に、他の男子生徒から、拍手が起こった。

「先生!一条さんもうスケッチ完成してます!モデルになってもらったら良いんじゃないでしょうか?」

花の背後から男子生徒が発言する。
恥ずかしがりやの花は、目立つことは嫌いであり、突如取り上げられたことに困惑し俯いた。

「えっ?一条さんもう描き終わったの?」

教師が花のスケッチブックを覗きにくる。

「あら、……本当ね。良く描けてる。皆にお手本として、見せてもらってもいいかな?それと、一条さん、皆のためにちょっとモデルをやってみる?」
「えっ?スケッチブックは良いですけど、モデルはちょっと……」

目立つことが苦手な花は、困ったという視線を隼人に送った。

「来いよ!」

すると、隼人が壇上から手を差し出した。
周りから拍手もおこる。
花は顔を真っ赤にしながら、おずおずと手を取って壇上に上がった。

「大丈夫だ」

隼人に手を引っ張られ、耳元で囁かれると、花は少し安心した。
だが、男子が女子を抱き寄せる様な事態に、他の女子生徒からは悲鳴が漏れた。

「はいはい、美男美女カップルというところだけど、時間が無くなるからね、皆残りの時間で好きなようにデッサンを始めるように!モデルは動かない様に。はい!」

生徒達は教師に促され、手を動かし始めた。










「何故だ!この美形がモデルを務めているというのに、何故、新開の方が注目されるのだ!」

ブツブツ呟く尽八に目をやった花は、尽八と目があってしまい、思わず目をそらしてしまった。

『やっぱり、黙っている時と喋っている時じゃ、全然雰囲気が違う』

お喋りな男性は苦手だと思う花であった。




つづき→《 4 ある日の放課後

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