短編集

□笹
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「いらいらするんだよね。」

つぶやいた沖田を、原田や藤堂が振り向いた。縁側で昼から酒を飲んでいた3人は、ああだこうだといろんな話をしていたのだが、急に沖田がつぶやいたのだ。

「何の話だ、総司?」

原田が眉をひそめて聞くと、沖田はふんと鼻を鳴らし、あごをしゃくった。原田と藤堂がその先を見ると、庭の隅で永倉と名無しさんが寄り添って立っている。目にまぶしい紅色の花が大量に咲くオシロイバナを二人で眺めて、なにやら楽しそうに話している。

「楽しそうだけど・・・なんで総司がいらいらすんだよ?」

目を丸くして聞く藤堂に、沖田はまたもふん、と鼻を鳴らした。見ると、永倉がオシロイバナを一輪とると、名無しさんの耳に飾った。オシロイバナと同じくらい赤くなった名無しさんに、照れる永倉。

「あ〜、いらいらする!」

沖田は手にした猪口をどん、と床にたたきつけると、ぷいっと歩いて行ってしまった。

「なんだあれ?」
「ま、あいつはあいつで何か思うところがあるんだろ・・・」

二人は大して真剣に取り合わず、酒を続けた。




「いらいらするよね。」
夜、誰もいなくなった庭に出た沖田は、昼間永倉と名無しさんが眺めていたオシロイバナを鞘でぱしぱし叩きながら、つぶやいていた。

「そもそも、名無しさんは僕のおもちゃだったのに。」

色々からかって、名無しさんが真っ赤になったり、怒ったりするのがすごく面白くて、土方さんにしかられるくらい調子に乗りすぎたりもしたけど、僕の遊び道具だったのに。なのに、予想外の筋肉バカの新八さんに、横から掻っ攫われちゃった。

ぱしんぱしんと叩くに連れて、オシロイバナが地面に落ちていく。

そこまではいいよ。おもちゃを取られたからって、怒るほどに僕は子供じゃないよ。でも、せっかく取ってったんなら、手を出しなよ!?

ばしん、とオシロイバナを叩いた。

いらいらするよね、本当に。やっと自分のものになったんだから、新八さんもさっさと押し倒しちゃえばいいのに、ままごとみたいな純愛ごっこをしてるんだもん。いらいらするよ、ほんと。

もう叩き落すオシロイバナはなくなった。

ふん。

沖田は鞘を肩に担ぎ、空を見上げた。しばらくして、にやりと笑うと、楽しくなりそう、と囁きながら、部屋へ戻っていった。




次の日。

永倉は異変に気づいていた。なんだか妙に、沖田が名無しさんのそばにいる。以前のように、ちょっかいを出しているわけではない。ただごく当たり前のように(そしてそれが沖田にしては珍しい)食事の盆を運ぶのを手伝ったり、医療用のさらしを干すのを手伝ったり、兎に角永倉が名無しさんを見ると、横に沖田がいるのだ。

まぁ、前みたいにからかってるわけではなさそうだから、いいけどな・・・。

その日は結局、永倉と名無しさんが二人きりになることはなかった。

そしてその次からも、同じ状況だった。常に、名無しさんの横に沖田がいる。さすがに永倉も違和感を感じ、沖田が隊務についている間、時間を見つけて名無しさんに尋ねた。

「別に・・・特に何もされていないですよ?色々急にお手伝いしてくださるようになって、ありがたいですけど・・・」
「そっか・・・いや、総司の奴がまた名無しさんちゃんをからかってんじゃないかと思ったんだけど、どういう風の吹き回しかな・・・」

だが沖田が善意で名無しさんの手伝いをしている分には、文句を言う筋合いは永倉にはない。結局、そのままにすることになった。



そして、そんな状況がしばらく続いた後、7月7日がやってきた。

庭先からきゃぁきゃぁと歓声がするので永倉が行ってみると、名無しさんと八木家の子供達、それに幹部達が数名集まっている。そして庭には立派な笹が立てられていた。

「あっ永倉先生、八木さんが七夕用の笹をご用意してくださったんです。」

にっこりと笑ってそう告げる名無しさんの手には、色とりどりの短冊が風にたなびいている。

「遅うなりましたけどな。ええ笹が手に入りましたんで、庭に飾ったんですわ。皆さん短冊に願い事かかはりまして、飾りはってますで。永倉先生もいかがですか?」

八木家の主人に進められ、永倉も筆を取った。すでに笹に結ばれて揺れる短冊に目をやると、多くの隊士たちも願い事を書いて結んだようだ。毎日斬りあいの世界に身をおいている新撰組の隊士たちだ、時にはこうして童心に返るのも悪かないな・・・と思いながら、永倉は短冊に願い事を書いた。

「せんせ、何をかかはったん?」

子供達が聞いてくる。

「ん?内緒だって。」
「する〜い!ええよ、結んだ後、見たるもん。」

永倉は名無しさんが微笑みながら自分を見ているのに気がつき、短冊をちらりと見せた。

副長のかんしゃくがおさまりますように。

ぷっと吹き出した名無しさんは、自分の短冊を見せた。

新撰組の皆様が、怪我無く隊務を勤められますように。

永倉は、にこりと笑って、二人分の短冊を笹に結びつけた。



その日の夕刻のことである。


名無しさんが庭で干した晒しを集めていると、沖田がやってきた。

「先生、七夕の願い事はもう書いたの?」
「沖田先生、はい、もう笹に結びました。先生も短冊、かかれました?」

話しながら、沖田はそっと辺りを見回した。そして、くすっと微笑むと、名無しさんに囁いた。

「先生、じっとして。」
「え?」

沖田が、名無しさんの肩に手をかけて、引き寄せる。

「沖田先生・・・!?」
「だめだめ、動いたら。先生、髪に虫がついてるよ。」

えっと小さい悲鳴を上げて、名無しさんが固まる。名無しさんがどんな小さいものでも、虫が嫌いなことを沖田は知っていた。

「取ってあげるから、じっとしてて・・・」

名無しさんはぎゅっと目をつむって、沖田が虫を取ってくれるのを待っている。沖田は「髪にひっかかっちゃって・・・」などとわざと時間を掛けた。

「ほら、取れたよ。」

そういって名無しさんの体を離したときには、背後の気配は消えていた。ほっとした顔の名無しさんを見ながら、沖田はこれから起こる事を想像して薄い笑いを浮かべた。



その夜。お茶を持って、名無しさんは永倉の部屋へ行った。お茶を入れて、永倉の部屋で少し話をするのがこのところの日課である。障子越しに声をかけると、返事が無い。どこかに行かれているのか、と念のためもう一度声をかけると、足音がして、さっと障子が開いた。目の前に、怒りを含んだ永倉が立っていて、名無しさんは少し怯えて一歩後ろに下がった。

「名無しさんちゃん、何しに来た?」
「え・・・何って、いつものお茶を・・・」

そこまで言うと、永倉にぐいっと腕を引っ張られ、部屋に引きずり込まれた。障子が後ろ手にぱしんと閉められる。

床に倒れた名無しさんが永倉を見上げると、永倉がつらそうに横を向いている。

「今日・・・総司と、何してた?」
「沖田さん・・・?別に何も・・・きゃっ」

永倉が、名無しさんの肩をつかんで立たせた。

「見たんだぜ、俺。総司と庭で抱き合ってただろ!?」
「抱き合ってって・・・あ・・・」

名無しさんの頭に、沖田が虫を取ってくれた場面が浮かんだ。その一瞬の名無しさんの戸惑いを、永倉に対する名無しさんの罪悪感だと永倉は勘違いした。

「・・・すまねぇな。痛い思いさせて。総司にでも慰めてもらってくれ。」

そういうと、永倉は障子を勢いよく開けると、名無しさんを部屋へ残して出て行った。







永倉が玄関へ向かうと、ちょうど一番隊が戻ってきた。先頭を歩くのは、沖田である。永倉はいっそ部屋へ戻ろうかと思ったが、まだ名無しさんがいることも考え、結局外へ出ることにした。

「あれ、新八さん、今から出かけるの?」

いつもどおりの笑みを口元に浮かべて、沖田が永倉に話しかける。永倉は沖田を無視して、歩き出した。

「あれぇ、無視するの?新八さんも嫌な人になったもんだね。」

そういって、沖田は永倉のあとをついてくる。永倉は沖田の止まらないおしゃべりを聞き流しながら壬生寺まできたが、とうとう我慢できなくなって、声を荒げた。

「総司、お前なぁ!屯所に帰れよ!」
「やだなぁ、何急に怒ってんの?そんな態度とってると、名無しさん先生に嫌われるよ?」

その言葉に思わず我を失った永倉は、沖田の襟をつかんだ。

「なに、新八さん、図星?名無しさん先生に嫌われちゃったの?じゃぁ僕がもらっちゃおうかな?」

永倉が沖田の顔をめがけてこぶしを突き出したが、すんでのところで沖田がよけて、一気に永倉の首に抱きついた。

「う、うわ!?何やってんだ、総司!?離れろ!」
「やーだーね。新八さん、脳みそまで筋肉になっちゃったんじゃないの?よく考えてみたら?」
「何をだよ!」

沖田は新八の耳元に口を寄せて、つぶやいた。

「名無しさん先生が、新八さんを裏切ると思ったの?」

押し黙った永倉の首にしがみつきながら、沖田はクスクスと笑った。

「ねぇ、しってた?名無しさん先生って、虫が大嫌いなんだよ。体に虫がとまると、固まって動けなくなるんだよ。昔からよく『虫がついてるよー』って嘘ついて、固まらせて楽しんでたんだ。」
「総司・・・?」

沖田は腕を放すと、急につまらなさそうな表情になって、永倉に言った。

「名無しさん先生の部屋に行ってみなよ。面白いものがあるよ。」


その言葉が不穏なものなのか、良い事なのか判断がつかず、胸に不安を抱いたまま、永倉は名無しさんの部屋へ急いだ。



名無しさんの部屋の障子は閉められていた。声をかけても返答が無く、永倉はそっと障子を開けた。名無しさんの姿は無い。

沖田の言う「面白いもの」とはなんだろう?永倉は部屋に入ると、ぐるりと見回した。そして、文机の上にあるものが目に入った。竹かごの中に、庭に飾ってある笹からとってきたと思われる小さな笹が飾ってある。そこに、竹に合うように小さく切られた色とりどりの短冊が結ばれている。

永倉はそばによって、短冊に書かれた文字を読んだ。


戻ってきた名無しさんが永倉の姿を見て小さな驚きの声を上げた。永倉は短冊の結ばれた笹を手にとって、名無しさんに向き合った。

うつむいた名無しさんのまぶたは腫れていて、手に手ぬぐいを持っている。きっと泣いて腫れたまぶたを冷やしに井戸へ行ってきたのだろう。

「名無しさんちゃん、この短冊・・・」



永倉先生が、毎日無事にお戻りになりますように。
永倉先生と、いつも一緒にいられますように。



名無しさんはうつむきながら、困ったようにくすりと笑った。

「庭の笹にはつるせないので・・・」

そして、みるみる涙があふれて慌てて手の甲でふき取った。

「・・・すみません、永倉先生。でも、私沖田先生とは何も・・・」


永倉は思わず名無しさんを抱きしめた。


何度も何度も謝る永倉に、ついに名無しさんが噴出した。

「総司の野郎・・・。すっかり騙されちまったぜ。」

情けなさそうにつぶやく永倉を見上げながら、名無しさんはくすりと笑った。

「でも、沖田先生なりの優しさかもしれませんよ?」
「優しさぁ?そうかあ?」



「違うね。」



ひっと息をつめた二人が外を見ると、障子にもたれて沖田が二人を見ている。


「二人があんまりいらつかせるから、強硬手段に出ただけだよ。」


そういうと、沖田はぱしんと障子を閉めた。

「お、おい、総司!」

障子の向こうから永倉の慌てた声が聞こえたが、沖田はそのまま歩き出した。


「あ〜あ、つまんないなぁ。土方さんでもからかいにいくかなぁ。」




結局、次の日から永倉と名無しさんの「いちゃいちゃ」度は増すこととなり、沖田の苛立ちも増したのだった。

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