短編集

□雪
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「だから、あんたは口を出すな!」
「あんた呼ばわりはされたくないですし、隊士の健康管理には口を出させてもらいます!」

またやってるなぁ、と新撰組の幹部達が目配せをして、苦笑いをしている。新撰組屯所での、日常の光景であった。

仲が悪いわけではないのだろうが、この二人、とにかく毎日言い合いをしている。新撰組副長の土方と、医師の名無しさんは、とにかくウマが合わないのだろう、右といえば左、白といえば黒、意識的に反対のことを言っているのではないかと、幹部達は思っていた。

だがここのところ、言い合いの数が減ってきていた。土方が、非常に忙しいのである。名無しさんが医師として心配するほどに。隊士たちが増え、管理することも増えてきた。偉い方々との渡りを付けるために、飲めもしないのに島原で飲み明かすこともある。眉間にしわをよせ、時折苦しげにため息をついている土方を見ると、名無しさんも最近は本当に心配になってきていた。

そしてもうひとつ。土方が、孤立し始めていた。

忙しいため、他の幹部や隊士たちと話し合う機会がない。時には土方から幹部への指示が「命令」と取られることもあり、幹部達との間に見えない溝が開きつつあるのを、名無しさんは敏感に感じていた。


そんなときである。



隊士の一人が、不逞浪士の捕縛中、恐れをなして逃げ出した。


原田率いる十番組の隊士であった。もともと線の細い、剣もそれほど得意でもない男で、そもそも何故新撰組に入隊したのか、なぜ入隊が許されたのかも不明な男であった。小さい体に合わせて気も小さく、よく他の隊士たちにもからかわれていた。十番組組長の原田としては、非常に気になる隊士である。斬りあいのたびに、ガタガタ震えるこの隊士を背に庇ってきた。非番の日も、時折剣術の稽古を付けてやった。なんとか様になってきたと思い始めたころ、夜勤で大捕り物となったときに、怖気づいて、敵に背を向けて逃げ出そうとした。そこを、背後から切られたのだ。


「先生、診てやってくれ!」

血だらけの隊士を原田が背負って戻ってきた。あわてて身支度を整え、治療室へ向かう途中、沖田とすれ違った。沖田はいつもの軽口と同じ感じで、つぶやいた。

「治療したって、無駄だと思うけどね。後ろ傷でしょ?」

沖田を見ると、暗い瞳で見返してきた。名無しさんも、新撰組の五箇条は知っている。敵前逃亡を図ったとすれば、治療したところで、切腹である。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、治療に専念するべきだ、と名無しさんは治療室へ向かったのだ。


隊士の傷は思ったほどひどくはなく、命に別状はなかった。本人は自分の立場を理解しているのかどうか、ぼんやりと床に伏していた。



それから数日後、名無しさんは、隊士に切腹の命がおりたことを知った。介錯は、原田であった。


これには、皆が眉をひそめた。原田が隊士を気にかけ、色々と世話を焼いていたのを知っていたからだ。隊士のしでかした失敗を、組長が尻拭いをするのだ。最悪の形で。これには原田も色を失った。



当日、隊士は二人掛かりで庭へ引き出された。哀れなほど、真っ青になってブルブル震える隊士を見て、同じ平隊士達は眼を背けた。明日はわが身である。

跪く隊士の後ろに、原田が立った。名無しさんは隊士ではないので、様子を「見なければならない」ことはない。平隊士達には、見届けるよう命令がおりているが、名無しさんは隊士ではないのだから、見なくてもよいのだ。だが、名無しさんはそっと廊下の曲がり角から、様子を見ていた。自分の隊士を斬らねばならない原田も気がかりだが、その人選をした土方も、気になったのである。

近藤と並び座る土方は、無表情だった。原田と、隊士の様子をじっと見つめている。

隊士が刀を握った。原田が刀を抜き、構える。ふと、原田が首を回し、土方を見た。その冷たい目つきに、名無しさんは背中にひやりとした汗が流れるのを感じた。


そして、原田の刀が振り下ろされた。



その日の夜のことだった。この夜は非常に寒く、雨戸を閉める前に、ちらほらと雪が降っていた。もしかしたら、今頃積もり始めているかもしれない。足から這い登ってくる冷気を感じながら、名無しさんはふと、土方はどうしているだろう、と思った。まだ寝るには少し早い時間である。名無しさんは台所で温かいお茶を入れると、土方の部屋へ向かった。


部屋のそばまで来ると、さっと土方の部屋の障子が開いた。そこから出てきたのは、原田である。原田は黙って部屋を出ると、一度部屋の中を振り返り、中にいるのだろう土方をにらみつけてから、名無しさんのほうへ歩いてきた。名無しさんと目が合っても、原田は何も言わず、通り過ぎて言った。


名無しさんはどうすべきか迷っていたが、障子を閉めるために立ち上がってきた土方と目が合った。土方は黙って名無しさんを見つめている。

名無しさんはゆっくりと土方に近づいた。
「お茶を・・お持ちしました。」
土方は名無しさんの持つ盆に載った湯飲みに目をやると、無言で受け取った。そのまま、土方は障子を閉めて、名無しさんだけが廊下に取り残された。




部屋に戻った名無しさんが夜具にはいって、どれほど時間がたったのだろう。




予感はあった。




名無しさんは夜具の上に身を起こした。小さな小さな、気配を感じたのだ。誰かの、逡巡する気配。名無しさんはそっと立ち上がると、障子を開けた。

少し離れた場所に、男が立っていた。

名無しさんは男に会釈をすると、どうぞ、と囁いた。男は少し迷ってから、静かに名無しさんの部屋へ入った。


土方は、灯りのそばに座っていた。その向かいに、名無しさんが同じく座っている。うつむき加減の土方の瞳は見えないが、名無しさんは、障子を閉めたときの土方の瞳を思い出していた。

悲しげだった。新撰組のために、非道な命を下した己を憎んでいるようだった。その瞳を見たときに、予感があったのだ。土方が、自分に会いに来ると。


名無しさんは立ち上がると、土方の後ろに回り、腕を回して抱きしめた。土方は名無しさんの腕をつかんだが、引き離すためではなく、それが名無しさんの腕で、自分が必要としているものだと認識するためであった。


「原田には、悪いことをした。」

土方が囁いた。名無しさんは頷いた。

「皆・・・離れていくな。しょうがねぇけどな。」

名無しさんはただ、涙を堪えて首を振った。

「あんたは・・・あんたも、離れていくか?」


名無しさんは激しく首を振ると、土方の前へ回り、土方の頭を胸に抱きしめた。土方の腕が、名無しさんの体に回され、きつく抱きしめた。土方の体が震えていた。


名無しさんは窓の外が、ふんわりと明るいことに気づいた。雪が積もったのだろう。この雪は、明日まで残るだろうか。

土方は、明日も冷酷な副長の仮面をかぶり、傷ついた心を隠す。残った雪が、その傷を隠す手伝いをしてくれればいいと、名無しさんは切に思った。



*季節はずれの「雪」です。続きは裏バージョンで。

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