短編集

□椿
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名無しさんは寝返りを打った。ここのところの陽気で、夜は暖かく、しっかりと掛け布団をかぶるとうっすら汗をかく夜もあるほどだが、名無しさんが眠れないのには、他にわけがあった。

永倉が他の幹部達と連れ立って島原へ遊びに行ったのは、昨日の夜のことである。局長の近藤は多忙につき参加できなかったが、副長の土方、それに山南や原田、斉藤など主だった面々がそろったのだから、早番だった永倉が参加しない理由などない。付き合いもあるのだし、皆が騒ぎながら島原へ行くと屯所を出かけたときは、名無しさんはにっこりと微笑んで送り出したのだ。

出かけ際に、永倉がそっと名無しさんを人気のない場所へ引っ張っていき、ぎゅっと抱きしめて、早めに帰るから、と囁いてくれたおかげもある。兎に角、つまらない、と思いながらも、快く送り出したのだ。

だが、早めになど帰ってくるわけがない。いや、帰ってこられなかったのかもしれない。それは名無しさんにはわからないが、兎に角朝方までい続けた永倉が皆と酔っ払って帰ってきたときには、ずっと寝ずに待っていた名無しさんはふて寝をしていた、というわけだ。


はぁ、と名無しさんはため息をついた。


今朝、二日酔いで痛む頭を抑えながら起きだしてきた永倉が自分を見たとき、バツの悪そうな顔をしたのは、遅く帰った決まり悪さからだと思ったが、こういった機会を逃さないのが沖田である。

「ねぇ、昨日の夜の話、聞きたくない?新八さんてさぁ、意外ともてるんだねぇ。あのね、まだ若い芸者なんだけど・・・」

名無しさんをからかうことに命を懸けているような沖田の話は半分に聞くことにしても、要約すると、永倉に気のある芸者が酔ったふりをしてしだれかかり、周りに囃され、酔っ払った永倉は気が大きくなって、二人で共にどこかへ消えた、という話だった。

再度、名無しさんは はぁ、とため息をつく。

結局、永倉とは話をしていない。永倉は何か言いたげにこちらを見ていることがあったが、名無しさんはあからさまに永倉を無視する態度を取った。

この時代に落ちてきて、男女間の関係への戸惑いは大きい。おおっぴらに妾を囲うし(そしてそれは咎められない)、遊郭での遊びも許される。名無しさんの時代に、夫が女性と遊びに行くのを快く送り出すなんていうことはない。だがそもそも、永倉と自分は夫婦ではないのだから、口を出すことすら、この時代では生意気なことなのかもしれない。

それに・・・。

名無しさんはまた寝返りを打った。

永倉は、毎日気を張っての仕事である。斬るか、斬られるか。まさに命懸けの仕事をしている。その憂さ晴らしとして、芸者と一晩過ごすことを、自分は本当に責められるのか。永倉が自分以外の女性を抱きたいと思うのは、自分に至らないところがあるからではないのか。隊務に命を懸ける永倉に、こんなことでつまらないやきもちを焼いて、ひどい態度を取る自分は永倉の相手として、ふさわしくないのではないか。

また寝返りをうとうとしたときに、



「名無しさんちゃん。」



障子の向こうで、声がした。月明かりで、障子に写る影は愛しい男の姿である。思わず、名無しさんは布団をかぶってしまった。少し戸惑った後、障子がすっと引かれた。みしり、と畳がなる。名無しさんは目をぎゅっと閉じた。

「寝てんのかい、名無しさんちゃん・・・」

もちろん、永倉は名無しさんが寝てないことがわかっている。永倉は、そっと名無しさんの横に、掛け布団の上から横たわった。そして、右腕を名無しさんの上にまわす。

「ごめん、昨日は・・・早く帰って来れなくて。ついつい、酔っ払っちまって。」

うそばっかり。酔って、その後女性とどこかへ消えたくせに。

「その・・・皆楽しい酒だからさ、気分が乗っちまったてーか・・・」

気分が乗って、いい人をみつけたんでしょう?

「で、えーっと・・・。本当にごめん。」

名無しさんは、布団をかぶったまま、囁くようにいった。

「沖田さんから聞きました。永倉さん、かわいい芸者さんとどこかに消えたって。」

名無しさんにまわした腕が一瞬動いたが、そのまま何も言わない。

「別に・・・かまいませんよ。そういうものなんでしょう、殿方は。だから、いいです、もう。おやすみなさい。」

しばらく永倉はそのままであったが、そっと立ち上がると、静かに障子を閉めて出て行った。



ぽろぽろと落ちる涙を拭くこともできず、名無しさんは声が漏れぬよう唇をかみながら泣いた。否定して欲しかった。認めても、謝って欲しかった。謝っても許してあげられない。怒る権利なんて、私にはない。いろんな感情や考えがまとまらず、名無しさんはただ泣き続けた。


どれほどたったのか、今度は声掛けもなく、障子が開いた。枕元に、ことりと何かを置く音がする。永倉がそこにいることはわかっていたが、名無しさんはそっと頭を上げ、枕元を見た。


そこには、黒い椀に入れた水に、薄紅色の椿が二輪浮いていた。

名無しさんはぼんやりとその椿を見つめた。大輪の花は、寄り添うように浮かんでいる。その脇に胡坐をかいて座っている永倉を見上げると、少し悲しげな目で名無しさんを見つめていた。


「ごめんな、名無しさんちゃん・・・。泣かせちまったな。」

そういうと、永倉は髪をかき回したが、いつものようなガシガシと豪快なものではなく、弱弱しいものだった。

「総司から聞いたんならよ・・・。否定はしねぇ。確かにあの芸者と別室へいったんだけどよ、でも、最後まではしなかったんだ。酔ってたし、まぁかわいい娘だったしな、つい途中までは、その・・・。
でもさ、駄目なんだよ。名無しさんちゃんじゃない、名無しさんちゃんはこんなんじゃない、って、比べてばっかで・・・。そのうち、あの娘じゃなくて、自分が嫌になって、途中でやめた。信じてもらえるかどうか、わからねぇけど・・・」


名無しさんはゆっくり起き上がると、椀を持ち上げた。揺れながら、それでも椿は一緒にくっついてたゆたっている。


「なんかさ、みんなの手前、男としてっていうか・・・。そういうの、あんだよな。据え膳食わぬは、っていうかさ。でも、もうしねぇ。名無しさんちゃんをこんなに泣かすなら、もう一切しねぇ。名無しさんちゃんには、いつも笑ってて欲しいから、もう、あんなことは二度としねぇ。約束するよ。」


名無しさんは、いったんは止まっていた涙を再度落とした。永倉はあわてて、涙を拭こうと手ぬぐいを引っ張り出してきたが、その手を名無しさんは両手で握り締めて、自分の胸で包み込むようにした。

「本当に、ごめんな、名無しさんちゃん。」

永倉は開いている腕でそっと名無しさんを抱き寄せて、額に口付けた。
「私のほうこそ・・・すみません。こんなこと・・・きっと、ここでは当たり前のことなのに、私には、受け入れられなくて・・・。」
「いや、俺が悪かったよ。もっと考えたらよかった。ごめんな。」
「でも・・・すみません、うれしいです。永倉さんが、そんな風に私のことを考えてくださって、本当にうれしいです。」




障子越しに月明かりが部屋を薄く照らす中、横たわる名無しさんの背中を抱きしめるように、永倉が名無しさんの体に腕を回している。名無しさんはその腕に自分の手をかけて、守られるような喜びを感じている。永倉の息が、そっと名無しさんの首筋にかかってこそばゆい。


「永倉さん?」
「何だ?」

一息おいて、名無しさんは言った。

「島原・・・どうぞ、行ってください。でも、帰って来てください。お約束してください。必ず、私のところに、帰って来てくださいね。」


永倉は名無しさんに回す腕に力をこめると、約束する、と囁いた。


椀の中に浮かぶ椿は、二人のように、ぴったりと寄り添っていた。

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