短編集

□支えるから
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さぁさぁと、雨が降っている。障子の外はぼんやりと明るくて、永倉は目を覚ました。
いつもよりも早く目が覚めた。早朝の稽古に出る平隊士たちもまだ目覚めていないようで、屯所内は静かで、雨の音だけが優しく聞こえている。
永倉はそっと身を引いて、腕の中で眠る愛しい女の顔を見た。静かな寝息を立てながら眠る名無しさんの額にかかる髪を、そっと指でどけた。

昨日の昼過ぎに、屯所近くの大店から使いが来た。数えで4つの娘が高熱を出して寝込んでいる、との知らせで、名無しさんは使いの者と、新撰組の隊士を一人用心棒としてつれて出かけていった。

夜遅くに帰ってきた名無しさんは疲れているからという理由ですぐに部屋へ戻ったが、連れ立った隊士によると、大店の娘は名無しさんが到着してまもなく息を引き取ったそうだ。治療を開始した直後のことで、つまりは医師である名無しさんを呼ぶのが遅かったわけだが、娘の親は名無しさんを責めたらしい。

「何が神さんみたいなお医者はんや!」

母親の投げつけた水差しが名無しさんにあたり、名無しさんも隊士もまるで子の敵といわんばかりに店から追い出されたらしい。

報告した隊士は怒り心頭だったし、報告を聞かされた幹部たちも憤ったが、永倉は名無しさんのことを想った。

名無しさんちゃん、大丈夫かな・・・?

皆が寝静まったころ、永倉は盆にお茶をのせて名無しさんの部屋へ向かった。うっすらと部屋の中が明るい。声をかけると小さな声で返事があった。

「大丈夫かい、名無しさんちゃん・・・何してんだ?」

障子を開けると、そこには机に向かう名無しさんの姿。名無しさんは永倉のほうに向き直ると、記録を付けていた、と答えた。

「今日の患者さんは、お救いできなかったので・・・。症状や、すべきであった治療のことなどを記録しております。またいつ同じような症状の患者さんにあうかわかりませんので。」
永倉は障子を閉めると、名無しさんの前に腰を下ろし、持ってきたお茶を名無しさんの手の中においてやった。

「・・・暖かい・・・。ありがとうございます。」
「いや、大したことじゃねぇけどよ。そろそろ名無しさんちゃんも寝たほうがいいんじゃないのか?」
「まだ書き留めたいことがありますので・・・。到着してすぐに、娘さんの容態を確認したんです。その時に親御さんに詳しく経過をお聞きしたんですが、今更ですが、まず・・・」
「名無しさんちゃん、なんで俺を見ない?」

名無しさんは口を閉じて、うつむいた。永倉は右手を伸ばし名無しさんの頬にあて、ゆっくり上を向かせた。涙を一杯にためて赤くなった名無しさんの目と、同じくらい赤くなった右眉の上。
「ここか?水差しをぶつけられたとこってのは。」
いいながら永倉は指で名無しさんの傷跡をそっとさすった。
「本当はな・・・名無しさんちゃんに触りたくないんだよな。俺は新撰組だからな、もう何人も斬っちまって・・・。人の命を助ける医者の名無しさんちゃんとは真逆のことをしてるだろ?その名無しさんちゃんに触れるのは、駄目な気がすんだ。でも・・・」

永倉は手を下ろして、じっと自分を見つめる名無しさんの瞳を見返した。

「悲しかったろ。追い立てられるみてぇに帰されて、悔しかったりもしたかい?それか、何がなんだかわかんねぇ感情を抱いちまってるかな。そういうの、俺に話せよ。何時間でも、聞いててやるからよ。」

堰を切ったようにポロポロと涙を流す名無しさんを、永倉はゆっくりと引き寄せて、胸に抱きしめた。


名無しさんが腕の中で、ゆっくりと寝返りを打った。姿勢が変わって、少し開いた唇に、そっと永倉は口付けた。

大丈夫。名無しさんちゃんの心配事は俺が全部聞いてやるよ。名無しさんちゃんは弱い女じゃねぇからな、護って欲しいとは思ってないんだろ?なら、支えてやるよ。名無しさんちゃんが自分で戦うのを、おれが支えてやるから、安心して、背中を預けてくれよ。


いつしか、雨の音がやんでいた。障子からさす明るい光に、きっと名無しさんちゃんは今日は大丈夫だろう、と永倉はそっと微笑んだ。

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