アイデア置き場

□こはる日和
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千里眼



カンエイ●年のシモツキの始め。京への旅の途中だったお春と雪之助は赤間ヶ関の港で立ち往生していた。
小倉の港から馬関海峡を渡ってきたことを役人に怪しまれたからである。
この年の●月には〜があり長州藩は厳戒体制をとっていた。人の出入りには厳しく、特に旅人は警戒されていたのだ。
お春は数え十四だが小柄で、あどけない顔だちもあって年齢よりも幼く見える。背中までのびた髪は結いあげずに後ろで一つに束ねてある。雪之助は長身で細面の美形だが眼光が鋭く優男という雰囲気はない。お春とは十ちがいで兄妹に見えなくもない。
二人とも揃いの白い旅装束で、お互いに大きめの風呂敷包みを背負っていた。
中身は鼓や折り畳み式の道中三味線で、演奏で旅賃を稼ぐ二人にとって大事な商売道具である。
「すまねぇな、決まりなんだよ。」
岸には着いたものの桟橋で立往生している二人に、船頭の老人が申し訳なさそうに頭を下げた。
「もうすぐ藤浦様が来るはずだから。そしたら、悪いようにはならないさ」
ほどなくして、藤浦様とよばれる男がやって来た。役人らしく黒の紋付きを羽織った糸目でひょろりとした三十路男で、船頭に気付くと爽やかな笑みをみせながら右手を振った。

「この二人が小倉から渡ってきた者です。」
船に上がった藤浦に船頭が説明する。
「文に書いた通り、娘は千里眼の持ち主で、兄と都まで旅をしています。不振な荷物はなく、巫女舞を奉納することで旅賃を得ていました。」
「千里眼、ねぇ。」
爽やかな笑みを崩さずお春と雪之助を見る。
「とりあえず、この風呂敷の中身を見せてもらおうか」
ひょいっとお春の背負っている荷物をつまみ上げようとした。が、彼女が頑なに手を離さないので諦めた。仕方なく雪之助に向き直る。
「兄さん、どうにかしてくれないか?こっちも仕事なんだよ」
雪之助は藤浦の顔を見ずにお春に声をかける。
「お春、お役人に包みを見せよう」
「取られたりせん?」
「大丈夫。立派なお役人だから取ったりしないさ」
「わかった。雪さんがそう言うなら」
お春は不安そうに雪之助の顔と藤浦の顔を見比べていたが風呂敷包みをその場でほどいて見せた。雪之助も同じように包みをほどく。中身は楽器と着替えだった。


ここ一の間、お春は赤間ヶ関の裏通りにある置き屋の桔梗屋で稽古を受けていた。筋は良いが長州人の好みに合わないという理由は建前で、十日前にお春が見せた千里眼の噂が消えるまで女主人の桔梗に匿われていたのだ。
ただ、ずっと桔梗屋に閉じ込められていたわけではない。遊廓通いの客が少ない昼時には近くの稲荷神社の境内に出て好きな事をしてよかった。お春の好きなことと言えば三味線の稽古だったので社の影になってる石垣に腰掛けて練習していたら、此の糸と名乗る三味線の師匠に声をかけられその日から時折稽古をつけてもらっていた。

そんなある日、お春を座敷によびたいと言う知らせが入った。桔梗と此の糸との稽古で長州人好みの三味線が上達したこともあるが、上得意先の戯楼、大阪屋の楼名主に乞われては桔梗も断ることができない。お春の後見人である雪之助と先輩芸者の秋千代を同行させる事を条件に大阪屋に行くことを承諾した。

大阪屋につくと二階の奥の座敷に通された。千里眼騒動の時に居合わせた上臈、朝藤太夫の間である。
座敷には2人分の膳が用意されていた。
小春が怯んでいると、部屋の奥から明るくりんとした声が響いた。
「今日はよろしゅうに」
朝藤太夫が近づいてくる。
それを見た秋千世が慌てて
「太夫、今日はお呼びいただきありがとうございます」
と三指をついて挨拶したので、小春も雪之助もそれにならう。
挨拶が終わった頃、廊下を歩く足音が近づいてきた。同時にぴりぴりとした空気も伝わってくる。
行きすがら今日のお座敷の内容を聞いていたとおり、長州藩のお偉いさんが内密な話をするために座敷をとったようだった。
一人はきっちりと身なりを整えた少し神経質そうな青年。もう一人は彼より2、3才若く整った身なりをしてるもの血気盛んさが太めの眉などから推測された。
「良く見るとまだ小娘じゃないか」
若い方の男が小春をみてぶっきらぼうに言うが、
「わっちの妹達になんぞ落ち度がありましたかえ」
と微笑む朝藤太夫の声に黙ってしまう。太夫の目が笑っていない。二人の侍を前にしても堂々とした態度である。
「そんな怖い顔をしていたら、良いお話し合いにはなりませんえ」
まずはいっこん、と神経質そうな青年に盃を進めたが彼は断ったので堅いお方やなと言いながら相方に盃を向けた。
それを合図に小春が三味線を弾き秋千世が舞う。
雪之助は脇に控えている。
ちょうど一曲が終わった頃年上の侍が
「堅い挨拶は良い。今日は、千里眼で待ち人が来るかどうかを視てもらいたいのだ」
と切り出した。
小春が三味線から頭を上げると神経質そうな、それでも優しさがかいまみえる真剣な目が自分を見つめていたので、気恥ずかしさで赤面し、下を向いてしまう。返事ができないことを察した雪之助が助け船を出す。
「千里眼なんてただの座敷芸ですよ。占いと同じで当たるも八卦という程度です。人探しなんて無駄手間です」

それを聞いて年下の侍が呆れた表情になった。
「だから言うたじゃないですか。こんなインチキに騙されたら駄目ですって」
そして席を立ち帰ろうとする。
「誤魔化そうとしても無駄だ。先日の事は貴女が千里眼の持ち主でないと話が通らないのだから」
年上の侍が 小春に近づき彼女の両手を握った。前触れなく自然な動作だったので雪之助が止めるひまもなかった。下を向いていた小春が弾かれたように顔を上げた。その両眼はどこか遠くを見つめ、表情は人形のように固まり、口から紡がれる言葉は抑揚がなくどこか神がかった不思議な声だった。

ニ、
 

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