文
□これからもずっと
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『来い』
日曜日の昼下がり
久々に実家でのんびりとした時間を過ごしていた凛の元に届いた一通のメール。
主語も目的語も無くただ動詞が命令形を成して貼付けられただけの文面に、凛はしかし口元を綻ばせる。
こんなメールを寄越す者なんて一人しかいない。
ましてや、彼からメールを送ってくること自体がまず珍しい。
それに、今日はもう一つ。
(半分くらい、諦めてたんだけどな)
手早く身支度を整え、半ば早足で遙の家へ向かう。刺すように冷たい筈の風が、どこか髪を撫でるかのように心地良かった。
――――2月2日。
今日は松岡凛の誕生日だ。
――――――
―――
数十分後、凛は七瀬家の玄関をくぐっていた。
インターホンを鳴らすも反応は無く、仕方ないので中に入ることにしたのだった。
――呼び出しといて、居留守かよ……
はぁ、と溜息をつきつつ凛は閑静な廊下を踏み締める。
居間に通じる襖を開くと、お目当てのコバルトブルーがこちらを振り返った。
「――凛」
その姿を見てほっとしたものの、そのまま「何の用だ」とでも続けそうな口調の遙に、凛は脱力したようにかくりと肩を落とす。
「……お前、来いってメールしたよな」
「あぁ」
しれっと返事する遙に、凛の肩はますます大きく垂れ下がった。
が、そんな凛は気にせず遙は同じ調子で言葉を紡ぐ。
「――昼飯はもう食ったのか」
「ッえ、あ、まぁ……」
「そうか。……とりあえず、茶でもいれる」
「お、おお……」
促されるまま座卓に座ると、程なくして遙が温かい緑茶の入った湯飲みを二つ運んで来た。
向かい合う形で揃ってズ……とお茶を啜る。
えっと……何だこれ。
「あの……ハル?」
「…………」
堪え切れずに声をかけるも、返って来たのは沈黙。
だが凛は遙の眉が僅かながらぴくりと動いたのを見逃さなかった。自分の行動が妙である事に自覚はあるらしい。
「……考え……たんだ」
小さな声で遙が呟く。
「ずっと、どうすればいいか……何を渡せば、凛が喜ぶのか、ずっと考えてたんだ」
「凛の、誕生日」と付け足したその声は、今まで聞いた事無い程にか細い。
凛は呆気に取られたように黙って遙の話に聴き入っている。
「けど、お前が好きそうなものとか分からなくて。結局、何も用意出来なくて……だから、その代わり」
「……今日は凛の言うこと、一つ聞いてやろうと思……って、るんだが……」
「………っ」
ごにょごにょと語尾をごまかす遙の顔は赤く、耳まで朱が広がっている。
敢えて一つ、というのはこれが遙の精一杯なんだろうなと思うと
そんな彼が凛には愛おしくて堪らなかった。
「……何でも聞いてくれるのか」
凛の言葉に遙はこくりと頷く。
「……ハルの言葉が聞きたい」
「……は」
「ハルからの……恋人からの祝いの言葉が欲しい。」
「………?」
少し驚いたような反応は見せたものの、遙が怪訝そうに言う。
「……そんなので、凛は満足するのか」
首を傾げる遙に、凛は
「それ以上に貰って嬉しいもんはねぇよ」と笑う。
「あー……じゃ、折角だから普段ハルが言わねぇような事も言ってもらうかな」
「…………」
悪戯っぽく放たれた言葉を受けて、遙は目を閉じる。
凛に送る言葉。
伝えたい事は山積している。ならば
ちょいちょいと凛を手招きし、自分の隣に座らせる。
凛の視線を感じながら、遙は小さな口を開いた。
「―――凛、誕生日……おめでとう。お前と会えて本当に良かったと、俺は思ってる。お前がいるから今の俺がいるんだと思う。
だから、凛」
穏やかな表情を浮かべて、遙は優しく微笑んだ。
「俺を見つけてくれて、生まれて来てくれて……ありがとう、り――」
言い終わらぬ内に、とんっと体に小さな衝撃が走る。
耳元ではる、と小さく呟きながら凛が遙の体を抱きしめていた。
17になっても、この男の本質は変わらないのだろう。
「凛、まだ終わってない」
むっと眉を寄せながらも、遙の方も凛の肩に腕を回す。
「好きだ、凛。
これからも、俺はお前の傍にいる。だから、ずっと」
凛の目元を拭ってやると、凛はふにゃりと笑った。
それに誘われるように遙もまた笑みを零す。
―――どうか、その笑顔を絶やさないでいて。
end