□おちたのは
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一筋の光も見えない闇の中を
あてもなく泳いでいた。



見渡す限りの、漆黒。
果てが何処にあるかもわからない。

だが、こうして前に進まなければ
その黒に埋もれて自分自身すら見えなく
なりそうな気が して


呑み込まれまいとするかのように
凛は絶えず黒を跳ね返していた。







そうしているうちに
突如浮かび上がって来たのは
一点の、白。


目を凝らすと
それは何かの影を表しているように見える。




ぼんやりと映っていたそれは
徐々にその形を成していき――





「――っ?」



思わず開かれた口から気管へ一気に水が流れ込み凛は堪らず動きを止めると、咳き込みながら水面から顔を出す。






数メートル先に浮かぶ、
明らかに人の姿を描いた
紛れもなく、その影は――






「は……

ハル……?」






荒息混じりに放った言葉に、白い影――
基、遙はこちらをゆっくり振り返った――その目付きは、嫌に鋭く見える。




と、思えばすぐさま前に向き直り
何の前触れもなくそのまま泳ぎだしてしまう。






「っ待てよ!」





飛び込むことも出来ず
蹴り込む壁も無いために勢いがつかず
中々スピードに乗れないこちらに対し、
遙はいつもと相変わらない
力強い、悠々とした動きで
滑るように前へ進んでいく。






「くそっ……ハル!」







凛の方はというと、どんどん体は重くなり
黒く冷たい水が容赦なくのしかかってくるので
もがくことすら安易で無くなってきていた。

こんな、筈では。






そんな凛に比例するかのように
遙の姿は小さくなってしまう。








(待って、くれ)






伸ばした手は空を切ることもなく
黒に引きずり込まれて
凛の体も闇の中へと沈む――堕ちる。







遙の姿はまた一点の白となり
やがて、消えていった。









―――













――まぁ、そんな気はしていた。




次に気が付いた時、
目の前にあったのは見覚えのある板張りの天井だった。

ぼんやり畳に寝転んでいるうちに
うたたねしてしまったか。




何で今更、こんな夢を。
息を吐き出せずにはいられなかった。







「――随分、うなされてたぞ」





不意に声がして
そちらに顔をむけると、膝を抱えて凛を除き込む
この家の主の姿があった。




「ハ、ル」





絞り出した声は思った以上に掠れていて。
遙は怪訝そうに首を傾げたが、特に何も言わなかった。






「……そろそろ帰った方がいいんじゃないか」




そっと立ち上がると
遙は玄関へ足を向ける。







――凛から、離れていく。









「……っハル」







身を跳ね起こして凛は半ば叫ぶようにして
遙を呼び止めた。




「……どうした」





また怪訝そうに眉をひそめて、こちらを振り返る遙。







それが、夢の中の
あの鋭い冷えた視線の遙と重なって――








「……」





その場で固まった凛に
遙は処置無しといった様子で前に向き直り



「早くしないと電車が――」




そして、そのまま闇の彼方へ――











遙が歩を進めようとしたその時
背中に鈍い衝撃が走る。







「……?」









凛は、遙に追い縋るや否や
遙の首にくたりと腕を回してその行く手を阻んでいた。








「凛、どうし――」






「ハル」









腕に込められる力がぐっと強くなる。













「何処にも、行くな。」













小さく呟かれた言葉に
一瞬遙は目を丸くしたものの――……




凛の手を握り返しながら
すっと目を細めた。






「……訳わかんねぇ」







――そんなこと、よく言えたもんだ。






凛はそれ以上何も言わず、
遙も凛から逃れようとも思わなかった。








――何処かに行ってしまっていたのは
お前の方なのに――……











おちたのは、どちら。








end.






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