short night

□冬は寒い
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 沖田総悟は、法則に縛られるのは好きではない。
 神業と謳われる剣技も型破りなところがあるし、武士道に則っているようでいて自由気ままなところもある。
 あえて、法則を乱して生きているのかも知れない。敵を欺くため、あるいは自分を誤魔化すため。
 だからこそ、藤紫雪乃に惹かれたのは、彼にとって特別な出来事だった。
 一目惚れ、というべきだろうか。雪乃は真選組屯所近くの甘味茶屋で働いているのだから、どこかですれ違っていたとしてもおかしくない。だがあの日、彼女とすれ違う瞬間、交わした視線が互いを強く惹きつけ、鳥肌と腹の底の熱を同時に覚えた。ただひたすらにまっすぐ素直に、彼女に向かう気持ちを感じた。
 出逢いの直後に起こった事故同様、雪乃が引き起こす事件にその都度対処してきた総悟だが、それは瑣末な問題に過ぎず、むしろ二人が近付かずにはいられない何かが強く働いているとの確信に至ったのだ。






 読書灯が消され、もそもそと寝返りを打つ気配が何度かあり、それが小さな寝息に変わる。
 総悟は何も本気で、暖と仮眠を目当てに雪乃の部屋に通っているわけではない。たしかに彼女の部屋は整頓されており、屯所の男所帯と違って和らいだ生活感と優しく甘い雰囲気に包まれていて居心地がいい。だが目的は、他にある。稀にしっかりと眠ってしまうこともあるが、大抵は薄ぼんやりとした意識の中で目を閉じているだけだ。狸寝入りに近い。
 雪乃は寝つきが悪いからと寝る前の読書を始めたと言っていたが、一度眠ると少しの物音では目が覚めない。誰かに寝首を掻かれる心配のない証拠だろう。
 毛布から這い出した総悟は、時計に目を遣った。午前一時。総悟が今夜この部屋を訪れたのは日付が変わる直前だったので、一時間はいることになる。立場上、夜中に抜け出すのは三時間が関の山だ。近藤に無用の心配を掛けたくはないし、外泊は土方が好まない。もっとも、土方も雪乃とは面識があるので総悟がここにいるのは百も承知なのだろうが、女にうつつを抜かして思わぬところで足元を掬われるのではないかと気懸りなのだ。難しい顔をした土方から“避妊”の二文字を聞かされたときには、鬱陶しさを通り越して呆れてしまった。
 二時まで、と自分に言い聞かせ、総悟はまた毛布を被る。眠いわけではない。座って壁にもたれかかり、眠る雪乃を眺めた。
 総悟と雪乃が同じ気持ちをいだいているのは、初めからわかっていた。だが総悟はこれまで、境界線を飛び越えることはなかった。雪乃から関係の進展を仄めかされることはなかったし、総悟もそれでいいと思っていた。彼女を手に入れるのは簡単なことで、一瞬にして溺れてしまうとわかっているからだ。総悟はこの半年、そのことについてずっと考えていた。もはや、雪乃を慮ってのことなのか自分が慎重すぎるだけなのか、わからなくなるほどに。
 もう一ヶ月になる。どうやら総悟は、夜の魔法に騙されて境界を越えられるほどロマンチストではないらしい。だが、答えを出さなければならない。全てが手遅れになる前に――。






「よ、沖田くん」

 午後の巡回を抜け出して一人で歩いていた総悟は、前方からやってきた銀髪の男に声をかけられた。
 総悟が身構えずに話ができる数少ない相手、坂田銀時だ。

「旦那ァ、お天道さんはてっぺん回ってますぜ? こんな時間まで女ンとこたァ、とんだ色男っぷりですねィ」
「ちッげーよ」

 銀時の着物から立ちのぼる残り香は、夜の女のものだ。彼の色恋沙汰など総悟の知るところではないが、恋人でなくとも深い関係の女を作るのはそう難しくはないだろう。

「たしかに吉原に行ってたけどよ、仕事だっての。ただの、改装の手伝い。やれ家具を運べだの衣装部屋を片付けろだの、うるさいのなんの」
「へェ。で、支払いは現物支給ですかィ?」
「だから違ェッての。俺ァ今、飲み代とパチンコ代のが貴重だね」
「まッ、貧乏暇なしってことでさァ」
「そうそう。沖田くんとは違ェの。俺ァ、そんな潤った夜送ってねーし」
「……俺?」

 わずかに、銀時の口の端が持ち上がる。それがからかい口調なのは言うまでもない。何についてのことか考えたのは一瞬で、すぐに合点がいった。

「沖田くん、まだ例の女ンとこ通ってんだって?」
「……あァ、そのことですかィ」

 総悟が故意に知らしめたのだから当たり前だ。だが別に、独占欲からそうしたわけではない。

「大体、沖田くんの女に手ェ出そうなんて命知らず、そうそういねーだろ。わざわざ夜中に通わなくても、昼間にデートすりゃァいいんじゃねーの?」

 真選組隊士の多くは、総悟と雪乃は恋仲で、総悟が夜に彼女の部屋に通うのはつまりそういう深い関係だからなのだと認識している。土方から避妊の話が出たのもそのためだ。そして総悟も、それを否定してはいない。だが総悟にも誤魔化し通せない相手というものがいて、それが銀時である。銀時には、“惚れてはいるが、まだ恋人ではない”とだけ話してあった。それを彼がどういう意味に受け取ったか定かではないが、きっと“言葉よりも欲求が先行した関係”とでも思っているのだろう。それを正すには、いい機会かもしれない。

「――旦那、ここだけの話ですがね。ちょっとした事情がありやして」

 銀時の肩を掴み、総悟は声を潜める。白々しいとでも言いたげな銀時の視線が、少しだけ真剣な光を帯びた。

「――旦那や、他のヤローが思ってるような関係じゃァないんでさァ。……俺と雪乃は、寝てない」
「……は? 沖田くん、何言ってんの? 惚れた女の部屋に足繁く通ってて、寝てないってどういうことだ? しかも夜中だろ?」
「旦那が言いたいことは痛いほど身にしみてわかりやすがね、事情が事情なんで」
「ハァ!? お前、ふざけんじゃねーぞ。そんなオイシイ状況で、事情も何もねーだろ」

 まったく腑抜けた話だ。銀時が、男の恥だと言いたいのも理解はできる。だが総悟には、総悟の信念があった。
 周囲に視線を巡らせて周囲に怪しい影がないのを確認し、総悟は落とした声音を少しだけ戻す。

「旦那はあんまり雪乃のことを知らねーとは思いやすが。……アイツが、真選組で何て呼ばれてるか知ってやすか?」
「何て呼ばれて……って、あだ名か? さァな、知らねーよ」
「――“トラブル吸引女”。ひでェあだ名だが、まァ仕方ねェ」
「は……? 何やらかしたら、可愛いねーちゃんがそんな呼ばれ方すんの?」
「まァ、いろいろありやして――」

 総悟は、その由来を掻い摘んで説明した。
 まず話したのはもちろん、出逢った日に起きた事故である。だが、雪乃が妙な呼ばれ方をしているのは、さらにいろいろな事件を引き起こしているからだ。
 初めて雪乃を屯所に連れこんだ日のことだ。ちょうど雨が降っていたのだが、わずかに濡れた廊下で滑って転倒し、あろうことか雨漏り水を溜めていた桶をひっくり返して総悟ともども水浸しになった。また別の日には、庭で焼き芋をするという山崎たちに混ざって戯れていたところ、彼女が枝で落ち葉を掻き回した拍子に、隣に立っていた近藤に引火した。それだけではない。街を歩いても、昼間はしつこいナンパ男に絡まれ、夜間は変質者に出くわす。よく今まで無事でいられたものだ。
 総悟は気が付いたのだ。雪乃は、自宅を一歩出ると途端にトラブル吸引体質を発揮してしまうのだと。その結果、例のあだ名がついてしまったのだ。そして、それがどうして総悟の夜の訪問につながるのかというと、またしても雪乃があるトラブルを引き寄せてしまっているからだ。

「――で、今一番厄介なのは、雪乃にストーカーがいるってことでしてね」
「ストーカー? マジなの、それ?」
「本人はまったく気付いてねェらしいが。アイツの行動パターンなんて一週間もかからず把握できる程度のものでしてね、ストーカーにとっちゃ都合がいいんでしょう。雪乃の周りでやたらと同じ男を見るようになって、そのヤロー、家の近くで双眼鏡まで装備してやがったんですぜ?」

 怖気と怒りを感じたのは言うまでもないが、覗きの確たる証拠もなければ、妙な電話や盗撮など、雪乃への実害はまだない。せいぜいが、厳重注意でその場を追い払う程度の対処しかできない。そこで総悟は、一番効果的であろう方法を取ることにしたのだ。
 ――“武装警察の隊長が、彼女の恋人だと知らしめる”。それも、夜な夜な部屋に招き入れるほど深い仲だ。総悟は、夜中に電柱の陰に潜むそのストーカー男の前を颯爽と通り過ぎて雪乃の部屋へ行き、数時間ののち、わざと乱れた服のまま気怠げにその場を後にする。もちろん、腰に提げた刀をちらつかせるのを忘れない。そのストーカー男が強硬手段に出る可能性も考え、身なりを整えるついでに物陰から様子を伺っているが、明らかな“事後”の雰囲気を漂わせた総悟を見てしまっては気力が萎えるのか、しょぼくれた様子でその場を去るのが常だ。

「えー……銀さん、ちょっと納得できないんですけどー。据え膳食わねェ理由にはなってないと思いまーす」
「……気が進まねェんでさァ。ストーカーから守るのに託けて手ェ出したら、きちんと気持ちが伝わらねェ気がして」

 “状況でなし崩し”に関係が深まるのと、二人の意識が噛み合って進展するのとではまるで意味が違う。これも、男女の法則なのだろう。

「……なるほど。いいんじゃねェの? 沖田くんがえらく真剣なことに、俺ァビックリだけどな」
「真剣にもなりまさァ。こちとら、尋常じゃねェんだ」
「ハイハイ、ゴチソーサマ」

 茶化すように銀時は言うが、総悟の内心では焦りが出始めていた。機が熟すのを待ってはいられない。熟れた実は一瞬の旬を経て朽ち果ててしまう。あとは、境界線を飛び越える覚悟を決めるだけだ。
 実は、この数日、例のストーカー男をぱったりと見なくなっていた。ようやく諦めたのかもしれない。真夜中の情事を装う必要がなくなれば、やがては訪いも途絶える。境界線の目の前で片足を上げておいて、今更回れ右などできるはずもない。
 そろそろ法則を打ち破る時なのだと、総悟は悟った――。









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