文豪達の宴《文豪ストレイドッグス》

□第零章 悲鳴を上げた少女
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 此れは、人虎の能力を持つ中島敦が来る一ヶ月前の話だ。

 谷崎潤一郎は依頼を終え、社宅に向かっていた。今回の依頼は、或る人物の張り込みで、其れが思いのほか時間が掛かった。探偵社に戻れたのは午後十一時頃。

 口袋に入れていた端末を取り出す。端末の時計機能は午前零時すぎと表示されていた。

 今日の晩は非道い雨だった。雨の湿気が肌にまとわりついてうんざりしていると、道にしゃがみこんでいる少女を見かけた。

 黒い制服を着た少女が、苦しげにお腹を押さえて道の端にうずくまっている。確かあの制服には、見覚えがあった。あれはお嬢様学園と名高い礼園女学園だ。

 ナオミが併願で受けて、合格した事を巴と三人で喜んだ事はとても懐かしい思い出だ。結局、ボクと巴がいる公立高校に入学したが。否、待てよ?ナオミが受験する前に、誰かが其処へ行った事を思い出す。あれは誰だろう?あぁ、そうだ。中学三年間同じクラスだった生徒会長こと滝沢浜路が現在通っていた。彼女が合格した記念に、三人で割り勘して肉まんを食べたっけ。

 あれは公立の合格発表後、学校の近くの喫茶店で浜路とこんな話をした事を思い出す。あの時巴は用事が出来てしまったので、先に帰ってしまったのだった。

「会長って、礼園女学園……なンだよね?」
 ボクの問いに、彼女は目を丸くしてクリームソーダを飲む事をやめた。

「え、何?結構今更じゃない?てか、潤は巴と公立でしょ?」

「まァ……そうだけど」
 彼女は礼園、ボクと巴は公立。今度会ったら、どんな立ち振る舞いをすればよいのだろう。

「あーぁ、実家にはなかなか帰れないからなぁ…」

「え、そうなの?」ボクは目を丸くする。

「だって……」

”礼園は全寮制だよ?”
 クリームソーダをかき混ぜながら云った彼女の言葉が蘇る。

 けれど、何故こんな時間に?何かのトラブルに巻き込まれたのか、其れ友高速を守らない不良さんなのか。少女に声をかける。
 もしもしと話しかけると、少女は緩やかに振り向いた。さらり、と長く束ねられた黒髪が流れる。

「――――」
 少女は微かに――――ものすごく密やかに、息を呑んだように見えた。

 髪の長い子だった。瞳は落ち着いていて、とても大人しそうだ。整った顔立ちは小さく、可愛らしい癖に細く鋭角的な輪郭をしている。其の微妙な均衡(バランス)は日本人形に近い。師匠は球体関節人形に近いが。

 長い髪をストレートに背中にさげ、耳元から髪を僅かに束ねて胸元まで左右対称におろしている。その左右対称の房の、左側だけがハサミで切られた様になかった。

 前髪は綺麗に切り揃えられていて、一目で良家のお嬢様を連想させる。

「はい、なんでしょう」
 青い顔で少女は云った。
 唇が紫色。チアノーゼを起こしているのは明白だ。少女は片手をお腹にあてて、苦しそうに顔を歪めていた。

「お腹、痛いの?」

「いえ、その――――わたし、あの――――」
 少女は平穏を装いながら、言葉を空回りさせる。

 其の様はどこか危うかった。まるで初めて会った頃の師匠の様に、今にも倒れてしまいそうな雰囲気がある。

「君、礼園の生徒さん?電車に乗り遅れたの?此処からじゃ礼園は遠いよ。タクシーを呼ぼうか?」

「いえ、いいんです。わたし、持ち合わせがありませんから」

「うん、ボクもない」
 少女は、はあ、と目を瞬いた。
……我ながら、とんでもない条件反射をしてしまった。

「そっか。なら家が近いンだね。礼園って全寮制って聞いたけど、外出届が通るンだ」

「いえ、家はもっと遠いんです」
 ははあ、と頭を掻いた。

「つまり家でのたぐいかな」

「はい、そうするしかないと思います」
 ……困った。
 見れば少女はずぶ濡れだ。先(さっき)までの雨に傘もささなかったのか、ぼたぼたと雫が滴っている。
 雨に濡れた女の子は苦手だ。
 だからだろう。自然に、こんな言葉が出た。

「今晩だけ、ボクのところに来る?」

「そんな、よろしいんですか……!?」
 しゃがみこんだまま、縋る様な目付きで少女は訊いてきた。

「うん。普段は妹と一緒に暮らしてるンだけど、今日は会社の先輩のところに泊まりに行っていないから、保証はしないよ。一応その気はないけど、へんな偶然が起きて此方がその気になっちゃうかもしれない。此れでも健康な男子だから、其のあたりは考慮に入れておいて。其れでもいいって云うンなら、おいで。あ、でもこんな事云ったらナオミにお仕置きされるな……何もないけど、鎮痛剤ぐらいならあるから」
 少女は喜んだ。其の無防備で純粋な笑みは、僕も嬉しい。
 手を差し伸べると彼女は緩やかに立ち上がった。――――一瞬。
 少女が座っていたアスファルトに、赤いシミがあったような気がした。


「割と歩くけど、苦しかったら云ってネ。女の子一人ぐらいなら、なんとか背負っていけるから」

「はい。でも傷は塞がっていますから、痛みません」
 そう遠慮する彼女は、けれど片手を腹部にあてたままだ。どう見ても何かの痛みに苦しんでいる様にしか見えない。
 ボクはなんとなく、先と同じ言葉を繰り返した。

「お腹、痛む?」
 いえ、と少女は否定して黙り込んだ。
 ゆっくりと歩く。
 ほんの少しの沈黙のあと、少女は首を縦に振った。

「――――はい。とても……とても痛いです。わたし、泣いてしまいそうで……泣いて、いいですか」
 此方が頷くと、少女は満足そうに瞼を閉じた。
……何故だろう。不思議と、夢見る様な表情だった。



 少女は名乗らなかったので、ボクも名乗らない事にした。何となく、其れが礼儀の様な気がしたからだ。

 社宅に辿り着くと、少女はシャワーを借りたいと云い出した。濡れた制服も乾かしたいというので、席を外す事にする。

 一寸電話をしてくる、なんてありふれた言い訳をして部屋を出る。自分がお人好しだと実感する時はない。

 一時間ほど時間を潰して帰ってみれば、少女は居間の長椅子に凭れて眠っていた。

 目覚ましを七時半にセットして寝台に横になる。

 ……眠りにつく時、お腹あたりが切られた、少女の制服がやけに気になった。


 翌朝。目が覚めると、少女は所在無さそうに居間に正座していた。

 此方が起きるとぺこり、とお辞儀する。

「昨晩はお世話になりました。お礼はできませんが、本当に感謝しています」
 其れでは、と商は立ち上がって出ていこうとする。……其のお辞儀をする為だけに正座をして待っていたかと思うと、此の侭返すのに忍びない。

「待って。朝ご飯ぐらい食べていきなよ」
 云うと、少女は大人しく従った。
 二人分の砂糖焼面包(シュガートースト)を焼いて食卓に運び、少女と一緒に食べる事にする。会話が寂しいので受像機(テレビ)をつけると、朝からとんでもない報道(ニュース)がやっていた。

 牛一さん好みだな……と不意に思ってしまった。本人が此の場にいたら、恐らく煙管がダーツの様に飛んできそうだ。其れぐらい、報道の内容が猟奇的だった。乱歩さんだったら、解けるのだろうか……?

 現場にいる進行者(キャスター)が淡々と語る。

 半年前から放置されていた地下の酒場(バー)で、四人の青年の死体が発見された。四人は孰れも何者かに手足を引き千切られ、現場は血の海になっていたそうだ。

 場所は割と近い。昨日の依頼主のから、四駅ほど離れたあたりだろう。

 ――――手足を切断された、ではなく引き千切られた、という表現は何処か不適切だ。なのに報道では其の部分に関して追及はせず、被害者達の身元を公表し始めた。

 被害者の四人は孰れも高校生の少年で、現場付近の待ちを中心に夜遊びをしていた一団らしい。薬の売り買いにも手を染めていたとかで、報道進行者(ニュースキャスター)にマイクを向けられた関係者が被害者の生前を語っていた。
”殺されても仕方ないンじゃないですかね、あの連中”

 そんな言葉が、声質を替えて受像機から流れる。試写を責める様な報道内容に嫌気がさして、ボクは受像機を切った。

 ふと少女を見ると、少女は苦しげにお腹を抑えていた。朝食を一口も食べていないところを見ると、矢張りお腹の調子が悪いンだろうか。……俯いている為、表情が判らない。

「――――殺されて仕方のない人なんて、いません」
 荒い呼吸のまま、少女はそう口にした。

「なんで――――治ったのに、こんな……!」
 少女は乱暴に立ち上がると、髪を乱して玄関まで走っていく。
 慌てて追いかけると、少女は俯いたままで片手を突き出した。近寄るな、という意思表示だった。

「待って。落ち着いた方がいいよ、思うに」

「いいんです、わたし――――やっぱり、もう戻れない」
 苦しみに歪む顔。
 苦しみに耐える其の顔は、非道く――――師匠に似ていた、

「さよなら。もう二度と、会いたくありません」
 少女はそうして去っていった。
 人形の様に静かな顔立ちの中で、瞳だけが泣きそうだった。
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