心臓がたりない

□01
1ページ/1ページ




「ただいま。」



―返事はない。自分の帰りを知らせるために発した私の声だけがむなしく響き、無意識に溜め息をついていた。こんなの、慣れている筈なのに。
またもや深く息を吐きながら、靴を脱いで揃える。そして、スリッパに履き替えると、暗い廊下の電気をつけ、自分の部屋に通学鞄を置いた。その鞄からお弁当箱を取りだし、台所へ向かう。

いつもと何一つ変わらない行動。

両親は共働きで、帰ってくるのは決まって日付が変わる前後。朝も両親は寝ているか忙しそうにしているかで、なかなかゆっくり話せたりしない。



「今日の夕飯、何にするかな…。」



ぽつりと呟いた。
二日に一度くらいの割合で、母親がおかずを一品か二品作ってくれていたが、―今日も作っていないようだ。これで五日目になる。まあ、あの人も忙しいんだから、仕方ない。

夕飯の準備をしようと思い、まずは制服から部屋着に着替えることにした。自分の部屋に移動する。
部屋に着くと、まずクローゼットを開いた。クローゼットの中には、制服をかけていたハンガーやコートなどがある、―はずだった。



「………あれっ。」



疲れてんのかな、私。一度開いたクローゼットを、ゆっくりと閉め直した。そして、深呼吸をしたあと、もう一度クローゼットを開けた。
―目を見開いた。クローゼットの中は、私がいつも見ているのとは全く別の光景だったのだ。思わず呆然と立ちすくむ。…ありえない。一体どうなってしまったんだ、私のクローゼットは。

私の目の前に広がっている光景。それは、誰かの部屋だ。
これだけ聞くと、なんだか少女漫画のようでロマンチックなのだが、この部屋の持ち主は明らかに普通の人ではないと予想ができるほど、異様だった。
部屋はとても広いが、照明は小さなランプが一つと燭台が一つ。窓はあるものの、そこから見えるのは真っ黒で不気味な世界。そのため、部屋はなんだかおどろおどろしい雰囲気に包まれている。



「誰だ、おまえ。」



―低い、重く響く声。
いつの間にか、私のすぐそばに人が立っていた。

ヒッ、と小さく叫び声を上げた。立っているのは、一見人に見えたが…違う。人間じゃない。
耳は尖り、歯と爪は鋭利な刃物のように鋭い。服装や髪型も変わっている。顔には痣のような、傷のようなものがあり、髪から覗く左目は人間のものではなかった。



「誰だって聞いてんだよ。」



苛立ちがはっきりと感じられるほど荒々しい口調で、私のことを睨み付けてきた。
これはまずい。そう思い、急いでクローゼットを閉めようとした。だが、それよりもはやく相手は私の腕を強く掴み、自分のほうへと引き寄せた。抵抗する暇もなく一瞬で床に押さえつけられてしまい、身動きがとれない。うつ伏せの状態で、しめ技をかけられている。苦しい。



「おい、さっさと答えろ女。」



そう言いながら、私の左腕を変な方向に曲げる。痛みに顔を歪ませた。



「答えろって、…言われてもっ…。」



本気で痛い。しかし、痛いと相手に伝えるのはなんだか癪で、今にも叫びそうなのをのみ込んだ。

誰だと問われても、なんと答えればよいのだろう。



「…おまえ…人間か?」

「ひゃ!」



うなじ辺りがくすぐったい。どうやら、男は私のうなじに顔を埋め、匂いを嗅いでいるようだ。

私に人間かを尋ねてきたことから、やはりこいつは人間ではない他の種のようだ。…そう理解はできても、信じられない。いつもの日常からどうして今こんな状況にあるのか。私はどうなってしまうのか。

私が答えないことに痺れをきらしたのか、男は私の左腕から手をはなした。そして、私を仰向けにさせると、勢いよく輪郭を掴み、顔をじろじろと見てきた。今度は何なんだ。結っていた髪は、先程からの反動や衝撃でほどけてしまっていた。



「5秒以内にさっきの俺の質問に答えろ。答えねぇなら、今ここでおまえを殺す。いや食う。」



顔をぐいっと近づけ、ドスのきいた声で言い放った男。…本気だ。冗談の色が微塵も感じられない。



「…人間だ。」

「やっぱりそうか。話に聞いたとおり、人間ってすげぇ美味そうな匂いがするんだな。」

「は!?」

「…5秒以内に答えたが…。」



舌なめずりしながら、私の服に爪をたてた。これはまさか、



「や、やめろ!服破く気だろ!」

「脱がすのめんどくせぇしな。」

「どっちも駄目だ、はなれろこの変態!」

「うるせぇな、喉かっさばくぞ。」

「なっ…!」

「冗談だ冗談。そんなびびんなよ。」



ニヤニヤと楽しそうに私を見る。
こいつ、私のことを食べる気だ…どうにかして逃げないと…!



「どこから食、」

「やっほーヤオガくん遊びに来たよ!!」



突然場違いな明るい声とともに、私が入ったドアとはまた違うドアが開かれ、その声の持ち主が現れた。
助けてほしい一心で振り向いたのだが、私を食べようとしている男と同じような外見をしている男であった。

―私の人生、ここで終わりか。





◇◆◇◆◇

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ