心臓がたりない
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「…おい透子、俺が言ったこと聞いてたか?」
涼しげな焦げ茶色の瞳は、どこを見ているのかわからない。表情を変えず、時が止まったようにただ突っ立っている透子。予想通りと言えば予想通りの反応だが、このまま黙り込まれてはどうしようもない。…もう一回かましてやろうか。
「ヤオガくん、君って奴はどうしてそう勝手なんだ!透子ちゃん固まってるじゃん!」
「初心だよなぁ本当。」
「とりあえず離れなさい。近すぎ!」
「近いのは当たり前だろうが。キスしたんだからよ。」
俺がそう言った刹那、透子の顔ががあっと赤くなった。耳まで赤く染まるこいつの赤面は、いくら見ても飽きない。おもしれぇ。
―すると、透子は力なくへたり込んだ。腰が抜けるとかどんだけだよ、そんな類のことを言ってやろうと思ったのだが、はらはらと、透子は惜しげも無く涙を流し始めた。これは流石に予想外だ。
「びっくりしたよね、ごめん、ごめんね。」
反応に困っている俺をよそに、シャクラはしゃがみ込み透子の頭を撫でながら指で涙をすくっていた。…何でてめぇが謝ってんだよ。
「あ、はいこれ。これで涙拭きな。」
「…うぜ。」
「ヤオガくん。」
鳥肌がたつくらい優しい声で、透子に白い布を差し出すシャクラ。不満をこぼせば、きつく睨んできた。いつもへらへらしてるくせに。恋人面で透子のことを慰めるシャクラを見ていると、なんだか無性にイラついた。
そして、泣いている透子に自分らしくない罪悪感を感じたが、それよりも気丈に振る舞っていた透子が涙を流す様子はどこかそそる。―元いた世界になんて、帰したくない。だが、この世界に置いておくのも色々と危ないと思った結果、とりあえず帰して必要な時にこっちに来させようと考えたのだ。
「…大丈夫だ、シャクラ。ありがとう。」
「いえいえ。」
シャクラから差し出された布を受け取り、涙を拭った透子の目は少し充血していた。
「これ、洗って返………した方が、い、良いよな…。」
―透子は一度帰ったらもうこの世界に来たくないんだろうな。だから言葉を濁したのだろう。
「…ああ、いいよそのまま貰っちゃって。」
「ごめん…。」
シャクラの奴、また紳士ぶりやがって。悪寒が走り、思わず舌打ちしていた。すると舌打ちが聞こえたらしい二人は、同時にこちらを見てきた。…息ぴったりじゃねぇかくそが。俺もしゃがみ込み、沸き上がるイラつきのまま透子の顎を掴んだ。俺の唐突な行動に透子は目を見開いたが、動揺を見せたのはその一瞬だけで、眉を寄せ強気な視線を向けてきた。この顔だ。この顔を俺は気に入ってんだ。
「で、透子よ。俺の女になりゃあ帰してやるっつってんだが?」
「またヤオガくんはそんなこと、」
「口出しすんな。」
「ヤオガくんが偉そうに条件を言うのはおかしいでしょ。」
「透子が勝手に俺の部屋に入ってきたんだぜ。立場は俺の方が上だろ。」
「透子ちゃんだって入りたくて入ったんじゃない筈だよ。」
「何で言い切れんだよ。」
「…普通ヤオガくんみたいな俺様野郎の部屋なんか入りたくないでしょ。」
「てめぇ…。」
後でぶっ潰す。そう決意した時だった。
透子の顎を掴んでいた手に、暖かい感触。どうやら透子が両手を添え、顎から手を離させたようだ。そして、
「ヤオガの女になるって、つまりどういうことだ…?」
―思いがけない問い。つい言葉を失ってしまった。
「と、透子ちゃん可愛すぎ…ほんともうやめて…。」
「ええ!?何が、え、どこが?」
「浄化されそう…。」
「浄化!?」
…透子は、どうしてこうも俺を挑発するような言動ばかりするんだ。俺ばかりが悪いんじゃないだろ、絶対。
今にも吹っ飛びそうな理性を何とか保たせたが、どうにも抑えきれず、透子の手の甲に軽く口づけした。これだけで済ませてやったことに感謝してほしいくらいだ。
「――っ、断る!!」
「は?何をいきなり……あー、理解したか。」
「なんとなくだろうけどね。」
「無理、無理無理無理!そんな条件受け入れられるか!」
「じゃあ元いた世界に帰れず俺に食われてもいいんだな?」
「何故選択肢が二つしかないんだ!」
「そうだよ、僕のお嫁さんになる選択肢だってあるんだから。」
「色々ぶっ飛んでる!」
「死にたくねぇんなら俺の女になるしかねぇぞ。」
「…………………嫌、だ。」
「ほう、後悔すんなよ。」
―絶対に受け入れさせてやる。
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