本編

□prologue 5. 生かされた命
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Prologue

5. 生かされた命



雨が、降っている。
傘を差す通行人達は、ずぶ濡れで歩いている青年を見向きもしない。
それもそうだ。
青年は通行人達には”見えていないのだから。
では、その青年は幽霊と呼ばれる類の物体なのだろうか?
ーーーいや、違う。確かに青年はまだ生きているのだ。
正確に言えば……「生」と酷似している、そう揶揄するしかない。

「キミ、寒くないかい?」

青年は、雨で廃れたダンボールの中で震えている子猫を持ち上げる。
……が、青年の手は子猫をすり抜け、子猫は依然として、ダンボールの中で震えていた。
「…誰か、優しい人に拾って貰えるといいね」
優しく呟き、青年は雨の中傘も差さずにふらふらと歩き続けた。
傘を差そうと柄に触れる、だが、何度繰り返しても傘を掴む事は適わない。
だから、雨に打たれる。
冷たさも、滴が肩に当たる感覚もない。



*****



青年は一昨日、交通事故で命を落とした。
酷い話だった。
飲酒運転をしていたトラックが、歩道に突っ込んだのだ。
青年……瀬戸司(つかさ)は即死した。
だが、何故か身体はーーー即死に繋がる外傷はあったがーーー普通10tトラックが正面衝突した場合無事では済まされない(手足は無くなり顔は潰れてしまうとみていい)部分が、左腕以外全て無事だった。
それは奇跡以外の何物でもない訳だが、結果として司は死んでしまったので、ニュースでは『奇跡が起こりきらなかった青年』として報道されている。

「奇跡が起こりきらなかった青年……だって。身体が残ってても死んだら意味が無いっていうのにね」

都心のビルに建設されている液晶を眺めながら、司は苦笑いをした。


もう不思議に思うのはやめた。
死んだんだ、俺は。
事実を呑み込む事は意外と簡単だった。 元から諦めるのが早い性格ではあったが。
それでも、何かが違うんだ。
死んだ、はずなのに―――まだ"生かされている"、そんな気がしてならない。


……諦めてはいた。だがどうしても両親の顔を一目見たかった。
昔からやんちゃばかりする子供だった気がする。
大学受験だって、センター試験当日に寝坊して受けれなかった。
所謂浪人生として勉強する自分を、慰めながら時に厳しく怒りながら……支えてくれたのは母。
普段は何も言わないけど、ここぞと言う時に的確なアドバイスをくれたり、彼女に振られて凹んでいた時に相談に乗ってくれた父。
帰った所できっとどうする事も出来ない。
親を遺して死んだ馬鹿息子をどう思うだろうか。

悲しんでいるだろうか。それとも怒っているだろうか。

司は忙しなく歩く通行人達をすり抜け、家路を急いだ。
見慣れたリビングの少し大きなテレビ。
まだあの事故の特集をしている。
ニュースで報道されているのは、自分がーーー
「母さん!!父さん……っ!!」
勿論、聞こえる筈がない。
誰?
其処にいるのは……誰!?
「気付いて……っ俺は、俺が…あなた達の息子ですッ‼︎‼︎」

気の毒にねぇ、そう呟いているのは、俺の母さん。
さして興味も無さそうに無言で新聞を広げて読んでいるのは、俺の父さん。
そして、その横で退屈そうにテレビを見ているのはーーー彼等の「息子」。

「お願、い…っ……泣いてくれ……悲しんで、くれ……ッ!!…お、れは……俺、が」

息子なんだ。
死んだのは、あなた達の息子なんだ…。
どうして?俺は一体何?
誰も俺を覚えていない。
記憶そのものから、消し去られてしまったみたいに。


誰が、俺を生かしている?
どうすればいい?俺は、どうすれば。


早く消えてしまいたい。
俺は、気付けば建設中の高層ビルの屋上にいた。
ここから飛び降りたら……ちゃんと死ねるだろうか。
幽体状態の肉体は、果たして転落で消滅するのか……なんて。

「もうどうにでも……なればいい」

飛び降りた。
風も、浮遊感も、何も感じない。
空が遠ざかる。
落ちていく、墜ちてーーー


と。


ふわりと落下が止まった。
地面はまだ遠い。

「……まったく。昔から君は私の範囲外で行動を起こすのが好きなのか?」

初めて聞く声なのに、何故か安心感が込み上げる。
だが不安定な音が脳裏で反響して、何の意味も理解出来ない。
「……だ、れ……だい?」
「範囲外での”死”は記憶を取り戻さないのか……。私が迎えに行く前に命を落とした。だから死んだのに魂が逝く事が出来なかったんだね」
「範囲外?記憶?……なんだい、それは?」
何かを思い出しそうな……懐かしくて、それでいて、何処か哀しい感覚。

「君は……私の采配が招いた遅延により、事故で死んでしまった。本来ならもっと早く気付いてあげれば良かったんだが……」
長い金の髪を翻して、俺の身体を優しく抱えた男はーーー泣いていた。
「大丈夫だ。今度は……必ず変えてみせる。君を、君の左腕を取り返すまで」


男が俺と額を合わせる。
その瞬間、身体が透けていくのと同時に、忘れていた記憶が、ゆっくりと、泡のように彷彿されていった。
「オーディン……俺は……また”失った後から”やり直すのかい?」
男……オーディンは切なげに微笑んだ。
失われたものの時間は、終末を巻き戻しても、決して巻き戻りはしないのだ。



ならば、抗うだけ。
俺は……生かされたのだからーーー。

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