本編

□prologue 3. 繋夢
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Prologue

3. 繋夢



月明かりが、流れ落ちる金糸のような髪を地面に影として縫い付ける。
彼女はいつもどこか寂しそうだった。
夜になると窓辺に姿を現し、月を眺めては瞳を閉じるのだ。
「玲那(れいな)、風を引くよ」
「…はいお兄様……」
見慣れた殺風景な病室。
もうじき彼女は、不治の病により永遠の眠りへとつく。
私は、何もして上げられない…違う、何かをするのが怖いんだ。
思い出が、記憶が、感情が、彼女の死を明瞭に描けば描くほどにーーー自分は壊れて、消えてしまうだろうから。

「私が死ぬのは、何時なの?お兄様」

玲那の腕が私の腕に絡みつき、促されるがまま、病室としては広すぎる寝台に身を乗せる。
寝台のスプリングがぎし、と音を立て、玲那の腕は私の腕から首へと移動した。
「眠れないの、お兄様。私は、死んだら何処へ逝くの?ねぇ…教えて?」
「………れい、な…私は……私は」
玲那の爪が首に食い込めば食い込むほど、心が真っ白になる。
愛しているんだ、彼女を、最愛の妹を。
其れが例え禁忌だとして罰せられても、私は玲那を愛さずにはいられない。
「玲那、駄目だ、私をこれ以上……苦しませないでくれ……っ」
「なら……お兄様、私を殺してください。そうすればきっとーーー」
「玲那ッ!!!!」
「きっと、二人とも楽になれますわ」
月明かりが、玲那を照らす。
酷く不安定な表情だった。
泣き顔に見えれば、微笑んでいるようにも見える、そして何より。
玲那の瞳に映る私こそが、微笑んで、泣いていて、崩れ落ちていた―――。




*****




物心つく頃には、私達は孤児院に居た。
両親の事は何も覚えていない。
変わりに覚えていたのはたった一人の妹の存在。
顔、瞳の色、髪の色、全てが瓜二つ。
孤児院の院長に言わせれば、一卵性双生児だと言う。

気付けば私は、この世界でたった一人の”自分が生きる存在意義”そのものである玲那に……双子の妹に深く溺れてしまった。
よくある話だろう?
だが、私達の場合は決してよくある話ではなかった。

玲那は時々うなされ、泣きながら私の首を絞める時があった。
最初は驚愕としたが、次第にそれが”繋夢”である事を知り、されるがままに耐えた。
繋夢とは、夢に起こっている事を現実とリンクさせて行動を起こしてしまう現象らしい。
……玲那は、常に何かから逃れようとしていたんだ。
本人は覚えていないらしいが、それでも怖かった。
双子とは常に互いが互いを繋いでしまう生物。
いずれ、私にも訪れるのではないかという、戦慄、恐怖。

だが、どれだけ恐れても、現実は訪れる―――



私は、いつも泣いていた。

見知らぬ場所で、たった一人で、何もない乾いた草原で。
両手は赤く染まり、足元は血塗れた溜り場が、涙を吸い込んでいく。
叫んでも叫んでも、声は出なかった。
………喉を潰されていたからだ。
目の前で嘲笑する、炎の王に。
剣を取ろうとして、地面にひれ伏す。
そうだ、自分は……自身の命ともとれる剣をーーー捨ててしまったんだ。
熱く焦げた砂利を強く握り、炎の王を見上げた。
依然として炎の王は笑っている、私を、地にひれ伏す無様な私自身を。
次の瞬間、火の粉が舞って、目の前に炎の王の剣が見え。

殺されたと思った。

灼熱で乾いた眼球を濡らすように、血が降り注いだからだ。
それが、己の血であったならば…どれだけ良かったか。
「……其処までして、この愚図を庇うのか?女神フレイヤ。お前を棄て己が剣すら棄て赤子の様に喚くだけの男を」
殺されたのは、間に割って入った私の唯一無二の妹。
炎の王の言葉は、もう私には届いていなかった。
「お、にい…さま……っ生き、て……」
最愛の妹の最期の言葉さえ。
聞こえない、聴こえない、何もかも、きこえない。
「…って……し、……て、や…」
「ハッまだ喋れるのか?……そんなに苦しみたいなら、望み通りにしてやろう」
「こ、ろ…し……って…や……るーーーッスルト‼︎‼︎」

明確な殺意。
私は炎の王に手を伸ばす。
その首を、千切りとってやろうと、手を伸ばし―――。



「……っぁ、あ……ぅ…!!」
「…ゆる、さない……殺して、やる……ッ…!!」
殺さなくては。妹を殺した炎の王を。
力の限り、私は、絞め続けた。
……暗闇だ。一面の、闇。
自分の白い手だけが、鮮明に闇に映し出される。
炎の王がもがき、私の首に手を宛がう。
私の首を絞めているつもりなのだろうが、力はか弱く、息苦しさに視界が眩むだけに留まっていた。
私は、更に力を込める。
「…っ、お…に……さ……、ま……」
「妹の…仇………!!」
「おにい、さま」
”炎の王”の身体が激しく痙攣した。
窒息しかけているのだろう、既に両手はだらりと落ち、暗闇に煌く翡翠色の瞳は圧迫によりせり出し、水滴が頬を濡らしている。

―――翡翠?

炎の王は、翡翠色の瞳、だっただろうか、いや違う、翡翠の瞳?だって、それは。

「ごめ、な…さ………」

おにいさま。
月明かりに照らされた口元だけがそう動いて、”炎の王”……繋夢によって現実と夢が混同した私が”炎の王だと首を絞めていた玲那”の首が、かくりと傾いて動かなくなった。

「……な、んだ、玲那、脅かして、早く、起きなさい…ほ、ら……こんな所で、寝たら…風邪を―――」
腕を抱えて、持ち上げる。
「ぁ、あ、っ……」
病により急激に落ちた体温のせいで身体は強張り、華奢であった玲那の体重は二倍近くに増えていた。

それは―――すなわち肉体の死を意味する。
「うあああああああああああッ!!!!」
聞こえない、聴こえない、きこえない。
玲那の声も、温もりも、翡翠の輝きも、何もかも全部。
私は、わたしは、この手で玲那を、殺したんだ。
本当に護りたかった、その対象を。
絞め殺した、私の手が、最愛の妹を、ころし、た。

「は…はは、あははははっ、そうか、そういう事なんだね玲那」

動くことのない玲那を抱え、病室を出る。
まるで時が止まってしまったようだ。
何も感じない、何も聞こえない、なんて素晴らしい日なのだろうか。



病院の外のガソリンスタンド、時間が止まった世界を、時の迷い人と死者が闊歩する。
兄は―――玲哉(れいや)は、無人のガソリンスタンドの重油のコルクを抜き、周囲にばら撒いた。
鼻をつく嫌なオイルの匂いが、今は酷く心地よい。
「私もすぐに後を追うから。……私の愛しき、玲那」
油にまみれた手でライターを押す。
赤と青の美しいコントラストが、ゆっくりと、堕ちていく。
熱さなど感じない。
全ては君の為。



そしてーーー我が主神オーディン様。貴方の”繋夢”という小細工はとてもよく効きました。
この先、玲那とまた共に居れる事、終末を変えるチャンスをくれた事……感謝します。





さようなら、ミッドガルド……そしてこんにちは、ヴァルハラよ。

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