本編

□prologue 1. 守れなかった者達
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Prologue


1.守れなかった者達


物心つく頃から、不思議な夢を見ていた。
何処までも広がる鮮やかなエメラルドの草原、荘厳で煌びやかな装飾の建物、見渡す限りの碧空には虹の橋が掛かっている。
そんな美しい世界に、自分は立っていた。今より少し身長が高くて、今より少し男らしかったかも知れない。
それが夢だからなのか、夢とは違う何かなのかは置いておくとして。

ーーー昔はたまにしか見ていなかったこの夢も、いつからか毎日の様に見ていた。
夢の世界の時間は刻々と進んでいる……まるで、起こってしまった出来事を教科書で学ぶように、着々と……着々と……。




「ーーーおる、…透、起きて、次君の番だよ」
「ん、ぁあ……?」
昼食を摂った後の授業は抗えない睡魔との格闘になる。特に窓際なら尚更だ。
教科書を机に立てカモフラージュをしたまま爆睡していた透は、後ろの席に座っている光樹に肩を揺すられ寝ぼけた声をあげた。
「みつき……次の答え、なに…」
「っ透‼︎前向いてーーー‼︎」
「……有広、またお前は爆睡ぶっこいてたな?今日こそは許さないぞ…」
あちゃー、とでも言わんばかりに頭を抱える光樹から恐る恐る視線を数学教師へと移した透は、引きつった笑顔で降参のポーズを取る。
残念ながらそのポーズは頭上から降ってきた分厚い教科書によって一蹴された訳だが。
「有広。放課後南棟の資料室に来い。たっぷり課題を出してやる」
「はぁっ⁉︎課題とか、勘弁して下さいよー‼︎‼︎」
「寝てるお前が悪いんだろ。……七瀬。悪いがどうせ出来ないだろうからこのアホの勉強見てやってくれ」
「…………課題、少なめにしてやって下さい……」
光樹の小さな溜息に頬を膨らます透。駄目だ、と即断する数学教師。
都内の中堅公立高校の5限、数学の授業。
いつもと同じ毎日、いつもと同じクラスの笑い声と親友の困った顔。


日常は突然非日常に変わるものだ、とは誰が言ったのだろう。
永く見続けていた夢がーーーぼんやりとしか覚えていないがーーー先程の界隈で確かに終わりを告げていたのだ。

”また、守れないのか”

(守れない、か……まるでどっかの漫画みたいな台詞だよな……)



*****


「えっと、これはlimf(x)=bの公式に代入して……って透、聞いてるかい?」
「聞いてる聞いてる。全ッ然分かんねー……」
因数分解すら怪しい透には微分法など理解すら出来ない範疇の問題である。
光樹の献身的な努力(という名の甘やかし)のお陰で課題は半分片付いた。透の脳裏に過るのは、別に今日全部やらなくても良いのではないか…という考えである。
「なぁ光樹ー……今日これくらいにしようぜ。最近夢見悪くて、あんま寝れてなくてさ……」
「……やっぱりあの夢のせい、かい?」
透と光樹は小学生の頃からの幼馴染で親友であった。だからこそ、透はあの夢の事も全て光樹に話していた。

(最初は、透の作り話だと思った。でも……透だけじゃない。見ていたのは僕もーーー)

高貴なる者達の戦。
戦場の面影。
御伽噺のような世界で剣を振るう自分では無い自分の姿。
偶然の、一致。

「光樹、大丈夫か?なんか、顔色良くないぞ」
「……透。今日”も”やっぱり見たんだよね?教えて……何でも、いいんだ」
「ん、別に良いけど……何でこんな事にこだわるんだ?只の夢だし……」
青白い顔で口元を押さえる光樹を心配そうに覗き込み、透はぽつりぽつりと界隈を語り始める。
「戦争、なのかも知れない。槌を手に取ってからはあんまり覚えて無いんだけどさ。”また、守れないのか”って、それだけ覚えてる」



「…………」
「光樹?」
俯いた光樹を不思議そうに見やり透は困った顔で首を傾げた。
こんなに思い詰めた様子の彼を見たことが無かったから、どう接していいのか分からない。
ずっと一緒に居た。でも、いつも助けられていたのは自分だった。支えられていたのは、いつも自分。
だから、光樹が悩んでいるなら助けたかった。
「光樹。俺ちょっとジュース買って来るからさ。……一人で悩んでないで、俺にも分かるように言いたい事まとめとけよ‼︎」
「……ッ透待って‼︎‼︎」
顔を上げる光樹の表情を見る前に、透は教室を駆け出す。
我ながら何とも小っ恥ずかしい台詞を言ってしまった気がするが、それで少しでも気が晴れてくれればいいーーー



放課後で時刻も夕刻を過ぎているからか、人気の無い南棟の廊下を走りながら、透は違和感にふと足を止めた。
いくら都内のマンモス高校とはいえ、校舎で迷子になどなる訳が無いのだが……。
(あれ、何で……ここ印刷室だよな。さっき前を通った筈、なのに……同じ所……)
襲い来る悪寒。
ここに居ては駄目だ、という本能。
(逃げなきゃ……!!)
光樹は、気付いたんだ、……全部思い出したんだ。
だから俺の夢の話を聞いて、”終わり”が近い事を悟っていたんだ……‼︎
(夢の続きは、何だった?親父が、もう一度終末までの日々を繰り返す為に……俺達を)
透は込み上げて来る吐き気を堪えるように口元を服袖で押さえて、音も無く目の前に立つ……否、自分を殺しに来た”神”を睨み付けた。
「親父……っ」
「何だ。思い出していたのか。お前の事だから最期まで思い出さないと思ったんだがな。其処まで阿呆じゃ無かったか」

神々の戦争、来たる終末ラグナロク。神々アース神族と、対立するヴァン神族率いる魔物と巨人達との大規模な戦争。
アース神族を束ねる主神オーディンの秘法『輪環の法』『転魂の法』によって追い込まれた神々を機が熟すまで人間として転生させ、時を戻し、もう一度ラグナロクに向けて備える。

「……今が、その時だって言うのかよ」
「そうだ、と言ったら?」
「あんな事……もう繰り返す必要は無いだろ⁉︎俺達は、やっと……やっと幸せに生きれてるのに‼︎」
「神が人になれる訳が無いだろう?あくまで私の力が回復するまでの時間稼ぎに……茶番に過ぎない」
不適に微笑むオーディンとそれを怯えた眼差しで一瞥する透。その温度差は歴然としたものだった。
「…は、ははっ……息子の俺でさえ、計画の為には手を掛けられる、ってか……ッ‼︎」
「無粋な言い方だな。迎えに来てやったんだろう?」
「俺は……俺はもうあんな思い…したくないんだッ‼︎修正なんて、要らないじゃないか‼︎」


……氷の地面、なのに炎が大地を焦がしていた。
全てが矛盾したその大地に、俺は一人で立っている。
気怠い身体を動かし、周りを見渡せば。
其処には数え切れない程の、仲間達の死骸と、自分が殺したのであろう敵の残骸。
「あ……ぁ、っ……」
既に生命を停止させた死骸の中には、見知った顔も混じっていた。
『シャアァァアァッ………』
立ち竦む自分の耳元で、獣……いや、蛇だ、蛇の鳴き声が聞こえる。
仲間を殺した、俺が守れなかった大切な者達を、殺した大蛇。
赤く血走った眼がぎょろりと動き、毒素を渦まく太い牙が、血の匂いが染み付いた口から覗いている。
もう、やめてくれ。
俺は何の為に、この神槌ミョルニルを振るってきたんだ。
大切な仲間を……守る為……?
―――守れなかったじゃないかッ!!
誰一人として…守れなかったじゃないか……っ。
もう何も残っていないのだろう?大蛇ヨルムンガンドよ。
ならば、いっそ……俺を。

俺を―――殺してくれ。


脳味噌がぐちゃぐちゃに掻き乱されるような感覚。涙によって霞む視界。
「お前は本当に弱くなった」
「…………っ」
「記憶を封じておくことも出来たが……ふむ。やはり封じておいた方が良かったのか」
意地悪く嘲笑しつつオーディンは廊下の角で座り込み震える我が子に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「お前は弱くなった。それでも、ミョルニルはお前にしか使えない。終末での最重要戦力だ、付いて来て貰うぞ。―――大丈夫、すぐに楽にしてやる」
「ぐ、ぅっ…な、に……―――ッぁあ!!」
首を絞め上げる強い力。
空いている両手で逃れようと抵抗するも虚しく、力の入らない両手はオーディンの腕を掴むだけに終わる。
本当に殺そうというのか。自分の息子を、その手で。

透は、まだ半信半疑だった。
殺される理由は分かっていた。
でもオーディンが、何を考えているのかが、まだ分からない。
何もかもが、夢のようだ。
…透はまだ心の何処かでオーディンを……父親を信じているのだから。
だが、目の前で自分を殺そうとしている男は、さも恍惚な表情で微笑していた。
透が苦しさにもがき、喘ぐ様を愉しそうに観ているのだ。

「…っん、ふ…ぁッ……く、るし……」
「我が息子ながら……なかなかどうしてそそられる表情をする」
絞め上げる力が更に強くなり、透の視点はオーディンを正確に定められずに、ふらふらと彷徨う。
酸素の行き届かない脳は朦朧と靄を描き、顔は血が上り紅潮し、閉じることが出来なくなった口元からは一筋、涎が垂れた。

「や、だ……っ…死に、たく……な…ッ……」
「また逢おう、”トール”。さようなら」



他人事なのだろうか。
耳元で、ぼきり、と音が聞こえる。
まるで他の人間が殺されるのを見てしまったようだ、としか言い表せない。
俺は、死んだ?
死んでいるならば、どうして?
どうして、まだ誰かの声が、姿が、感じられるのだろうか。

「―――る……と、おる……透ッ!!!!」

光樹が、視える。
泣いている。
決して泣き顔を見せた事のない光樹が。
泣き喚く光樹の手が赤く染まっていた。
廊下の床も……赤い……段々と、拡がっていく。

ああ、俺の血…なのか。

「嫌だ、っ……透……透っ!!僕を…置いて逝かない、で…」
光樹、泣かないで。
俺はまだここにいるよ。聞こえないのか?
「……さない。許さない……。二度目だ。貴方は透を利用して、殺した。僕達の幸せを踏み躙ってまで…終末は止めなければならないんですか……!?自分の為に透を殺した貴方を、一握りの希望さえ蹂躙する貴方のやり方を、僕は絶対に許さないッ!!」

光樹は。
光樹はやっぱり知っていたんだ。
俺の、俺達の存在の価値を。

ふいに視界が黒に、染まった。
その黒い視界に、一閃貫く赤い光。
死線。
死に急ぐ者の、最期の光。
全て思い出してしまえば。
俺と同じ君も必ず殺される。

それでも―――………。


生き、て。


そう言葉にすることすら、思うことさえも、赦されないのだろうか。
俺の意識は、其処までしか保たなかった―――。 



*****



透は、殺された。
間違いなく、過去に僕が仕えていた主に。
…薄々気がついてはいたんだ。
僕が普通の人ではない事、それも特殊な境遇で神格を無くし転生した神だという事。
夢で見る光景は、神の時の記憶だったのだろう、決して良い記憶ばかりではなかったが。
そして……透の言葉を聞いて、目を背ける事が出来なくなった。

いつだって記憶の中の思い出という感情は、強く僕を縛り付ける。
あの時、守れなかった…いや、見殺しにした親友ともう一度邂逅した事で。
彼は何も変わってはいなかった。
気さくで、明るくて、人一倍正義感に溢れた優しい親友。
彼に会えば会う程、話せば話す程、共にいる時間が長ければ長い程。
積み重なった感情は次第に大きくなっていった。

好きだった。

だからこそ、今度こそは守り抜く。
運命に殺させやしない…神に殺させやしない、と。


なのに……!!


「お前はもう少し先に延ばしてもよかったんだよ光樹」
「……くっ、ぁ……」
「本来エインフェリアルの選定は戦乙女の仕事だからな。私が直接連れて逝くのは、少々疲れるんだ」
耳元で囁かれ、瞬時に身を引いた直後。
前髪を強く掴まれ、窓際に押し付けられる。
壮大な音をたてて窓ガラスが割れ、頭部に鋭い痛みを感じた。
こめかみに流れる温かいものは、恐らく血であろう。
そのまま肩を押され、割れた窓に身を乗り出させられる。

殺される。
透と同じように。
連れて行かれるんだ、終末へ。

「………何か、言いたい事がありそうだな、光樹?……いや、”門番ヘイムダル”」

馬鹿にしているのか、わざとからかっているのか。
笑っている。嘲笑っている。
どちらにせよ自分の息子を手に掛けた親のする表情ではない筈だ。
許せない、許さない。
「僕、は…絶対にっ……忘れない……!!例えオーディン様が記憶を消そ、うと…何度でも、思い出してみせるッ‼︎‼︎」
僕は精一杯叫び。

とん。と―――。

軽い音だった。
ぞわりとする浮遊感、夕凪の冷たさと、宙を落下しているという事実。
(……透。ごめん、ね……僕は、また君を……ま、もれ…なか…っ…)
終わりが来たのだ。
そして、始まる。
普通でいられた幸せな日々は、始まってしまう終末に、終わらせられたのだから。



「ヘイムダル……従順な操り人形だったお前が反抗するとは思わなかったが……恋心という奴は、随分と厄介だな」
最期にオーディンの冷たい声と瞳が脳裏に灼き付き、僕は5階の高さからアスファルトに打ち付けられて―――



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