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□失いたくないもの
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これは極々普通の平日の朝のお話。
「……え?」
「どうした奈々生。アホな顔につられて声までアホになってるぞ」
「なっ…!!うるさいわね!!」
「下駄箱の中を見るなり奇妙な声を発して、何か入っ」
「何でもないッ!!な、何にも入ってないから!!私ちょっとトイレ行ってくるから巴衛先教室行ってて!!」
そう言って靴を履き替えて靴箱の中から素早く何かを取り出すと、<校内で走っては行けません>という暗黙のルールを無視して走り去る奈々生。
玄関には状況についていけず取り残された哀れな狐―巴衛。
そしてその周りには奈々生が居ない隙に巴衛との親交を深めようとする女子の数々。
(何がどうしたのだ…?)
戸惑いながらもとりあえず奈々生を追いかけることにした巴衛は女子の群れを追い払った後、奈々生と同じく暗黙のルールを破って階段を駆け上がっていった。
その頃奈々生はというと、巴衛の邪魔が入らないように女子トイレの個室に逃げ込んでいた。
(ま、まさか私がこんなものもらうなんて…)
彼女の手に握られていたもの、それは
<桃園奈々生さんへ♡>
と記された封筒一通。
封をするのに使用されている♡のシール、お約束のin靴箱、それらの要因から考察するに
「ら、ラブレターもらっちゃうなんて…!!」
思わず声に出してしまう。
声に出した後ハッとして慌てて口を押さえる。
もし今のを誰かが聞いていて、それが巴衛の耳に入ってしまったら…。
(巴衛には、巴衛にだけは知られたくない…)
あとついでに磯辺とかにも知られたくない、など考えながら封筒を開けて中の手紙を確認する。
手紙にはこう綴られていた。
桃園奈々生さんへ
伝えたいことがあるので今日の放課後屋上に来てください。
待っています。
雲谷夕
それはラブレターと呼ぶにはあまりにも地味で、でもどこか強い思いが込められているような、そんな気がした。
一方女子トイレの前では
(らぶれたー…?)
奈々生の謎の叫びが巴衛を翻弄させていた。
さかのぼることほんの少し前。
奈々生が女子トイレに行くと行っていたので女子トイレに入ろうとしたところ、ちょうど通りかかった鞍馬に引き止められたら巴衛。
そんな時耳に入った奈々生の「ら、ラブレターもらっちゃうなんて…!!」という言葉。
(らぶれたー…らぶれたーとは何だ?)
巴衛の頭の中ではらぶれたーの意味についてがぐるぐると回っていた。
「…今の奈々生の声だよな?」
そんな鞍馬の言葉で我に返る巴衛。
「…だからなんだというのだ」
「いや、ラブレターもらったって…」
「らぶれたーとは何なのだ?」
「は?ラブレター知らねえのにそんな般若みたいな顔してんのか?ラブレターってのは…」
鞍馬はそこまでいいかけると
「…いや、やっぱやめた。じゃあな狐、今日一日しっかり奈々生を見張っといてやれよ」
ニヤニヤと笑いながらその場を立ち去っていった。
天狗の言うとおりになるのは不本意だが本人聞いても答えてくれる気がしない。
奈々生の奇行の原因を知るためにはそうするしかないのだろう。
というわけで奈々生と一緒にいようとしているのだが、何故か奈々生に避けられている気がする。
否、確実に避けられている。
(何故だ…!?あのらぶれたーとかいうヤツのせいか…!?)
こうして確実に、着実に溜まっていく巴衛のイライラゲージ。
そして放課後ついにそれは爆発した。
「何だこの手紙は!!先に帰るだと!?」
ゴミ捨てから帰ってきてみるとソコにあったのは奈々生ではなくタダの置き手紙。
漂うデジャヴ感が否めない。
普段の巴衛ならここまで憤慨することはなかっただろう。
しかし今日の彼は違う。
一日中奈々生に避けられ続けた挙げ句『先に帰るね☆』である。
しかも直接言われるのではなく手紙で。
『アンタに否定権ないから』と言わんばかりである。
―今日一日しっかり奈々生を見張っといてやれよ―…
頭の中であのニヤニヤした顔が浮かんだが余計イラついたので強制的に掻き消す。
「…クソッ」
巴衛は小さく舌打ちすると下校デートに誘う女子の面々を無視して教室を飛び出した。
その頃屋上では、手紙の主―雲谷夕と桃園奈々生が神妙な面持ちで話し合っていた。
「桃園さん前に比べてすごく可愛くなったと思うよ」
「あ、ありがとう」
「桃園さんって明るくて元気だし、見かける度に元気もらってたんだ。もし桃園さんさえよければつきあって欲しいんだけど…」
「…ごめんなさい」
奈々生は深々と頭を下げたあとに言葉を続ける。
「私、好きな人が居るの。意地悪だけど、優しくてあったかくて…。一回フられてるし報われない恋っていうのは百も承知だけど、やっぱり諦めたくないんだ」
「…そっか」
「だから、ごめんなさい」
「いや、俺もダメ元だったし。気が変わったから付き合ってとかならいつでも大歓迎だから」
そう微笑んむ雲谷夕。
しかし奈々生の後ろを見て目を丸くしたあと、笑顔でソコを指さしていった。
「それにもう迎えが来てるみたいだよ」
「…え?」
恐る恐る後ろを振り返ってみるとそこには
「と、巴衛!?」
屋上の入り口の所に立っていたのは一番この会話を聞いていて欲しくなかった人物、巴衛。
そんな奈々生の心情を知ってか知らずか巴衛は徐々にこちらに近づいてくる。
「ちょっ、何でここに」
そう言い終える前に奈々生の腕をつかむと
「奈々生を迎えに来た。ではこれで失礼する」
「どうぞ、ちょうど話し終わったところだし」
その簡単なやり取りを終えると巴衛はつかんだ腕を強引に引き、屋上の出口に向かって歩いていく。
「い、痛…!」
巴衛の手は強く堅く握られ、ふりほどけない。
奈々生は屋内に入ってから、一番気になっていた疑問を投げかける。
「い、いつから見てたのよ…?」
巴衛の返事はなくただひたすら歩き続ける。
ふと、合コンの時のことを思い出した。
「巴衛…イライラしてるの?」
ぴたりと動きが止まる巴衛。
ただあの時と違うのは、巴衛の手が堅く握られたままだということ。
「イライラではない…。お前が…どこか遠くに行ってしまうのではないか…そう思った。俺はもう、何も失いたくはない」
自分でもバカなことを言っていると思った。
普段の俺ならば、「仕事もロクにせんくせに恋だ何だにうつつを抜かしている場合か馬鹿者!!」と怒鳴っていたところだと思う。
しかも他の男と恋仲になるというだけの話なのに「どこか遠くに行ってしまうのではないか」などと…。
しかしその『他の男と恋仲に』という言葉が一層巴衛に不快感を与えた。
奈々生はきょとんとしてからフフッと微笑んだ。
その笑顔が見たくて、思わず振り向く。
「私はどこにも行かないよ、巴衛」
満面の笑みをこちらに向ける奈々生。
―あぁ、これだ。
俺に向けられた、心が暖かくなるこの笑顔。
俺はこれを失いたくなかった。
他の男に取られたくなかったのだ。
数百年前にもどこかでこんな笑顔を向けられていたような気がしたが何故か思い出せない。
(まあ、よいか…)
「社に帰ろ、巴衛」
「…ああ、そうだな」
俺に向けられているこの笑顔、今はそれだけで十分だ。
その頃屋上。
(そろそろ行ったかな…)
心優しい夕君が二人の邪魔をしないように寒い中一人で待っていたという。