平助の母親
□100.
2ページ/2ページ
「パパ!お帰りなさい!」
「おや、千鶴…、それに土方先生まで…」
俺の背後から飛び出した千鶴が駆け寄ると俺たちの存在に気が付いた千鶴の父、雪村さんが顔を上げ、どこか千鶴の笑顔を思わせるような柔らかい雰囲気でふわりと微笑む。
「お久し振りです、雪村さん」
「いや、ほんとに。いつも千鶴がお世話になっております。顔を合わせる度に、千鶴からいつも良くしていただいていると聞いています。学校にもなかなか伺うことができなくて、ほんとに申し訳ない」
そう言って腕にしがみつく千鶴の頭を撫でながら眉を下げて小さく頭を下げる。
彼はこの地域で最も大きい大学病院に勤める権威ある教授。
生活の大半を仕事に費やしているようで、以前に会ったのは去年、千鶴たちが入学した春に一度だけ近藤さんと俺を交えて話したことがある。
自分は世の中の病気で苦しむ人々を日々その苦しみから解放してやりたい、その研究に励み、さらには自ら執刀し自分と同じ志を持つ若者を育てていきたいと。
その為には本当に申し訳ないが千鶴に割いてやれる時間がない。
学校の事にもほぼ関わることができないと、
確か入学式直後に相談されたことがあった。
それ以降、実際彼が学校の事に関わることはなく、まだ小学校から上がってきたばかりの娘を一人、放っておいて大丈夫なのかと心配していたが、千鶴は他のどの生徒よりも素直でまっすぐで純粋な心をもつ生徒だった。
親が不在な分、余計に自分がしっかりしなくてはと責任感を持つようになったのかもしれない。
「いえ、」
短く返事をするとしがみついていた千鶴がぐいぐいと雪村さんの腕を引きいつものしっかりとした千鶴とは違う、親に甘えるようなしぐさで明日からの帰省についてねだり始めた。
「ねぇパパ、お願い!今年は平助くんも一緒に連れってって!ね、いいでしょ?」
お〜ね〜が〜い〜!と見慣れない千鶴の様子に一瞬目を疑ったが、まぁ、これが本来の親子の姿だろうと何故か安堵のため息が鼻をつく。
「おやおや、一体…、いきなり何を言ってるんだ千鶴は。私は別に構わないが苗字さんちの都合だってあるだろう。ねぇ平助くん」
「だぁいじょうぶだよおじさん!オレんちなんも予定ねぇし!かぁちゃん、おじさんいいってさ〜!…ってぇ………あれ…」
嬉々として振り返る平助だったがそこに名前の姿はなく慌ててキョロキョロと首を振って辺りを見回す。
俺もその辺を見回すが……。
………、
あいつ……、なにやってんだ……。
一人車内でシートベルトと格闘している名前を見つけて呆れと笑いがこみあがる。
ニヤついてしまう口元をなんとか堪え助手席側に寄っていきドアを開けると、ハッと顔を上げ、情けない顔をこちらに向ける。
「としくん〜…」
「ったく…、一人でなにやってんだよ」
身を乗り出して名前が悪戦苦闘するシートベルトの金具へと左手を伸ばす。
「もぉ…、これ修理した方がいいよ!」
至近距離で口を尖らせて文句を言う名前の顔をチラリと横目で見て、
それからその唇に口付ける。
「!!?」
「直したらこう言うことできなくなんだろ」
目を見開いて顔を真っ赤にする名前の表情を見てニヤリと笑い、もう一度顔を近付けペロリと舐めあげる。
「¢#%§£*☆!!?」
完全にパニクる名前の反応が可笑しくて堪らねぇ。
「千鶴の父さん、平助連れてくってよ。許可してやれ」
パニクる名前からはまともな日本語は返ってはこない。
「いい夏休みになりそうだな」
カチャリと外れたシートベルトを離し屈んでいた上体を立て直し車外へ立ち上がる。
まだまだパニクってひきつるように固まっている名前。
この状態じゃあいつらの前には出せないか…。
困ったもんだぜ。
Next→101.朝の時間