平助の母親
□85.
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☆★壊れた過去に動き出す現在★☆
「藤堂…さん………」
驚いた………。
着替え終えてエレベーターホールから会場へと急ごうとしたところで突然手首を掴まれて振り向けば、そこには遠い記憶の底にしまいこんだはずの………、
もう二度と会うことはないと思っていた彼………。
「名前……、どうして…」
二度と会うことはないと思っていたのは彼も同じだったらしく、わたしを呼び止めたものの動揺しているのが掴まれた手や彼の震える声と瞳から伝わってくる…。
「あ…、あの…、わたし…、仕事で………」
藤堂さんの揺れる瞳を見ていられなくて掴まれた手に視線を降ろして答えるとぐいっと力強く掴まれた手首を引かれ、あっという間に彼の胸に閉じ込められてしまう。
「………っ!?」
「名前……。すまなかった。ずっと会いに行けなくて…。本当にすまなかった……」
彼の絞り出すような声と耳に届く彼の鼓動が切なく胸に響く…。
「名前…。君の事を考えない日は一度もなかった…。僕は……、僕は今でも君のことを忘れられないんだ…。」
一層強く抱き締められて苦しくなる。
「と…、藤堂さん…」
わたしも力を込めて彼の胸を押しやれば、ハッと気が付いたようにわたしの背中にまわしていた手を肩に乗せて体を離してくれる。
「すっ…!すまないっ!」
そう言って肩に置いた両手はそのままに顔を赤く染めて視線を足元に反らす彼のしぐさは出会った頃と変わっていなくて、なんだか憎めない…。
正直、彼との再開に戸惑いはあったものの、変わらない彼のしぐさに思わずクスッと笑ってしまうと、真っ赤な顔のままチラッと視線だけをわたしに向けてなんだかばつの悪そうな顔でまた視線を逸らされてしまう。
「……ビックリしました……。」
両手を胸の前で抱えて呟けば、肩に置かれた彼の両手も離れていき、お互いの距離も少しだけ空く。
「僕も……。まさかこんなところで君に会えるなんて…。」
「…………」
「元気…、だったかい?」
「はい…」
「その…、」
「………、」
落ち着かない様子で、少し申し訳なさそうに口ごもりながら俯いてしまうしぐさも昔と全然変わらない…。
「その……、あの…っ!」
口ごもる藤堂さんがぱっと顔をあげて意を決したように口を開いたと同時にわたしも言葉を発する。
「平助も元気です」
わたしの言葉と表情を見て、一瞬平助とよく似た色の瞳を丸くしていたけれど、すぐにフワッと微笑んで柔らかくため息を吐いた。
「そ…、そうか…。元気で良かった……。平助か……。」
微笑んだ目尻が少しだけ滲んでいて、今まで離れていた14年あまりの彼の気持ちがどういう心境だったのか、それだけで伝わってくるようだった…。
「平助か…。もう中学生だろ?大きくなったんだろうな…」
「ふふ、それがわたしに似てしまってまだまだ小さくて…。なかなか身長が伸びないのが悩みなんです」
「そうか…。………、かわいいんだろうな…」
「…はい………」
目を細めて微笑み、わたしの姿にきっと平助の姿を思い重ねている彼に、平助の成長を一緒に見てこれなかった事に、胸が切なく締め付けられる…。
「今日は?平助は一緒じゃないのかい?」
「はい。今日は家で留守番してもらってます」
「そうなのか…」
残念そうに呟いて眉を下げて微笑んで、それからまた視線を下げてしまう。
「…………。」
「………………。」
お互い無言で俯き動けずにいると会場のあるロビーとは反対方向の通路から藤堂さんの背後に歩み寄る男性がはっきりとした口調で藤堂さんに声をかける。
「藤堂様、お時間が押しております。」
「っ…、すまない。今行く」
男性の声にハッとして振り返り返事をするとわたしに何かを言いたそうに口を開くけれど、わたしはそれを遮るように先に声を出してしまう。
「わたしも行かなくちゃ…、失礼します」
「っ!名前っ!」
会場へと足を向け歩き出そうとするとわたしを呼び止める藤堂さんの声とロビーからこちらを見つめるとしくんと原田さんの瞳…。
「……!」
としくんの瞳に捕らわれたわたしの心臓は、ドクンと大きく音を立てて、
さっきのやり取りを見られていたのかと思うと、その場から動くことさえできないくらい
わたしの思考は停止してしまった…。