平助の母親
□84.
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「はぁぁ、やっと終わったと思ったのに今度は挨拶回りかょ…」
「ふふふ。お仕事で来てるんだから仕方ありませんよね」
俺のボヤきに真面目に答える苗字は緊張から解き放たれてホッとしたような疲れたような、そんな覇気のない笑顔を俺に向ける。
「疲れたか?」
苗字の頭にポンと手をのせて顔を覗き込めば、眉を下げて「疲れました」といつもの苗字らしからぬ返事が返ってくる。
「あんなに大勢の人の前でライトを浴びて一人で話すなんて……、もう二度とゴメンです」
エレベーターの呼びボタンを押して肩を竦める様子につい笑っちまう。
「ま、おまえが嫌だろうが呼ばれりゃ来年も来なきゃなんねぇだろうがな」
苗字がボタンを押したことで動き出した階数表示を見上げながら腕を組んで言えば
「もう呼ばれませんよ」
とイタズラっぽく笑う。
さっきまで覇気のなかった表情に少しだけいつもの苗字らしさが戻ったような気がして俺も笑う。
エレベーターが到着して二人で乗り込めば何となく気が抜けて二人同時に大きくため息を吐いた。
「きれいなドレス着てお偉い様に挨拶回りか…。気の休まる暇もねぇな…。」
「そうですね…。」
「俺は部屋で一服してから行くからよ。おまえも好きなときに行けよな。」
「そうですね、わたしも少しだけゆっくりしてから行きますね」
チンと軽快な音とともに扉が開き各々の部屋へと向かった。
部屋で一服して着替えを済ませ会場のあるフロアへ戻ると会場前のロビーの窓際に佇む土方さんの姿があった。
「どうしたんです、土方さん?」
近付き声をかけると窓に凭れ腕組をしたままチラリと目線だけをこちらへ向け、俺の姿を確認すると再び窓の外に視線を戻し俺の問いには返事はない。
………アイソねぇな…。
ふぅっと小さく息をはいて土方さんの隣に立って同じように窓に凭れてみる。
「………。」
「…………。」
「………中。戻らねぇのか…?」
無言でいる土方さんに合わせて俺も無言でいるとぼそりと聞かれる。
「ん〜、まぁ、慌てて戻っても気ぃ使う時間が増えるだけだし…。」
ヘラっと笑って言えばまた無言で窓の外に視線を投げ出す。
土方さん、絶対俺のこと嫌ってんな。
さっさと行けよって空気がひしひしと伝わって来るが、生憎俺もできる事なら中には戻りたくねぇんだよな。
俺とは関わりたくねぇだろう土方さんには悪いが、敢えて空気を読まずに話を振る。
「ところで苗字はもう戻って来たんですか?」
苗字が中にいるならここに土方さんがいるなんてことはないとわかってはいるが、とりあえずの話題として聞いてみると、窓の外に向けていた視線をこちらへ向けて
「いや、まだ来て…、ねぇ…」
「?……どうしたんです???」
返事途中で俺の後方を目を見開いて凝視する土方さんの視線の先を振り返って見れば、そこには見知らぬ男に手首を掴まれ見つめあう苗字の姿。
まるでその二人だけ、時が止まったかのような雰囲気に、俺も土方さんも動けずにいた…。
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