平助の母親

□82.
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「大丈夫か?」



心配そうにわたしの顔を覗き込んで隣の椅子に腰かける原田さん。



「あ…、はい、大丈夫です」

「悪かったな、ちっとも助けてやれなくて…」



そう言って優しい手付きで頭を撫でてくれる。



「あ…、あの…、あの人たちは一体…」

「あぁ、あいつらはカザマコーポレーションの……、今は営業やってる奴らで…、会社の名前くらい聞いたことあるだろ?」



そう言われてカザマコーポレーションという会社名を頭の中で反芻する。


カザマコーポレーション……。


確かこの輸入車業界でもっとも多くのメーカーのディーラー権を持っていて、取り扱い販売店の全国展開も業界一の最大手。

取り扱い車種の多さと従業員の多さで他の販売店との差を各メディアで謳い、派手な広報活動で有名な会社…。

カザマ…コーポレーション…。

ハッとして原田さんの顔を見上げれば、はぁっとため息をついて目を伏せる。



「そう、あいつの父親がカザマコーポレーションの創設者。あいつは次期社長としてやっていくために今は営業として経験を積んでいる所謂ボンボンだ」



もう一度はぁあと大きくため息をついて今度は首からがっくりと項垂れる。



「あいつもいい歳してやたら俺に敵対心燃やしててよ…。人の顔見りゃ用もないのに近づいてきて絡んで来やがる。全くいい迷惑だぜ」



そう言って手を伸ばして向こう側に置かれたままのグラスを手に取りグイッと呷る。



「っぷはぁ!……ま、とにかくあいつも今回の授賞式に呼ばれるほどだ。嫌味な奴だがそれなりの実力はあるって事だな。」

「………あんな人から車を買う人がいるなんて………」




よっぽどその場で車を買わなきゃならない抜き差しならない理由の持ち主が身近にいるんだろうか…
わたしだったらあんな高慢ちきな人がいるショールームなんて入りたくない。
というか入り口に立つ気にもならないわ。



「顔。顔が怖いぞ、苗字」



ははっと笑ってわたしの左頬をつまみ上げる原田さん。



「いひゃ…、いひゃいれふ!はららはん!」

「ははは!」

「なんだなんだ!やけに楽しそうじゃないか!?ズルいぞ!」



つまみ上げた頬を面白がって更に伸ばして笑う原田さんの声に被せて大きな声が背後からエントランス中に響き渡る。



「あっ!近藤さま!」



二人で同時に振り返って椅子から立ち上がると、ホテルの入り口からこちらに向かって駆けてくる近藤さまと、その後ろから松平社長ととしくん、更にその後ろには山南部長がついて歩いてきていた。



「おつかれさまです!」



ペコリと頭を下げて挨拶をすれば、笑顔の近藤さまがわたしの左頬を見て



「苗字さん、原田くんにつねられて…、赤くなってるぞ?」



と、腰を屈めてわたしの顔の高さに目線を合わせる。



「原田くん、これから一時間後には舞台に立つプリンセスの顔に傷やあとが付いたらどうしてくれるんだぃ」



おどけた様子で原田さんを叱責するように言う松平社長に原田さんは慌てるけれど…。



「えっ!?いや…、あ〜、もし傷でも残っちまったら責任とって嫁にしますよ!」



胸を張って頭の後ろに手を当てて笑う原田さんに思わず噴き出してしまう。



「なっ!?」

「おいおい、それはダメだろ〜。苗字さんにも選ぶ権利があるからな!」

「お?苗字、俺じゃダメか?」



近藤さまの言葉にわたしの右隣に立つ原田さんは腰に手を当ててわたしの顔を覗き込む。



「はぃ!?や、ダメとかそんな…」



狼狽えるわたしを見て一同朗らかな笑いに包まれる。



「ささ、皆さん、お部屋へ参りますよ〜」



フロントでチェックインの手続きを済ませた山南部長が添乗員さんの如くエレベーターホールへと誘う。
山南部長の後を追ってそれぞれ荷物をもって移動を始める。

私も椅子の横に置いていたキャリーバッグに手をかけてみんなの後について小走りすると、左の手首をきゅっと握られる。

ハッと振り返って手首に視線を落としてそこから相手の腕を伝って視線を上げれば、そこには無表情…、というかむすっとした表情のとしくんの視線にわたしの双眼は捉えられてしまう。



「あ、…と、としくん……?」



捉えられたわたしととしくんの視線はなんだか出会った時にも感じたあの感じ…。

蛇に睨まれた蛙。



「あ…、あの…、あの…」



最近のとしくんからは感じることのなくなったはずの鬼のオーラが自分に向けられてると思うと声も膝も心臓も震えてしまう…。
そんなわたしの目を真っ直ぐに見据えたまま、小さな声で、低く唸るように呟くとしくん。



「あのやろぉ…。気安くさわりやがって…」

「え…?」



聞き取れなくて聞き返すと左手を掴んだ手とは反対の手をわたしの首の後ろにまわすとあっという間にとしくんの顔が寄せられる。



「消毒だ」



チュッと頬に唇を寄せられた事に気が付いて驚きの声が出る間もなく次の瞬間にはあっという間もないくらいの勢いで塞がれる唇。



「ここだけは絶対ぇ誰にも触らせんなよ」



ぽんっと頭に手を乗せてそう呟くと放心状態のわたしを置いて先を行くとしくん。




な…、なな…、な………………





なにこの罰ゲーム的な〜〜〜〜〜!




取り残されたわたしが山南部長に「何してるんです!?置いていきますよ!」と怒られるまでそこから動けなかったのは言うまでもない話…。



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