僕のおねえさん

□10.
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会社の飲み会で帰りが遅くなった名前ちゃんは、帰ってくるなり僕を驚かせた。




「っ…!なっ!?ちょっと名前ちゃん!?どうしたのっ!?」



金曜ロードショーでもう何度も地上波放送されたアニメ映画をソファーに埋れてぼんやりと見ていたら玄関の閉まる音で同居人の帰宅に気付き、振り返って目にしたその姿に今までのマッタリ気分は吹っ飛んで、一目散にソファーから廊下へと飛び出した。



「あ、総ちゃん。ただいま」

「あ…、あぁ、おかえりなさい………。って!何普通にただいまとか言っちゃってるの!どうしたの?怪我したの?」



淡いベージュのアンサンブルニットの首元と七分袖の袖口についた染みを見て背を屈めて名前ちゃんの肩に手を置くと次に見えたのは首元のキズ。



「あー、ちょっとお醤油こぼしちゃって」



てへっとおどける名前ちゃんに一瞬目を丸くした僕だけど、はぁーっと大きくため息を吐く。



「てへじゃないでしょ、どうしてそんなしょーもないウソつくの」



名前ちゃんの形のいいおでこを軽く三本指でぺちっと叩くと「いた!」と言って両目をキュッと閉じて両手でおでこを抑える。



「そんなついてもすぐバレるウソとかいいから。どうしたの?ここ怪我してるじゃない」



名前ちゃんの首元についたキズは見た感じ引っかきキズであの時と同じ。
傷の大きさはそれほどでもないけれど、今回のはグッと力を込めて深くえぐられた感じで、傷の周りも赤くなっててみるからに痛痒そう。



「また猫に引っかかれたの?」



名前ちゃんが言う前に聞く僕を驚いた顔で見上げて「すごいっ!どうしてわかったの!?」と目をまん丸にして名探偵みたい!と興奮する名前ちゃんは、少し酔ってるのかな?
なんだか昔のしっかり者のイメージが飛んじゃってるよ。

わざとすっとぼけてるのかなとも思えるほど、僕よりも年上とは思えないその様子にもう一度大きくため息が出てしまう。



「もう…、そんなどこのネコだかわかんないけどさ…、名前ちゃんもちょっとは気をつけなよ?いくら懐いてくるからってひょいひょい抱っこして傷付けられてたら、そのうちお嫁にも行けない身体になっちゃうよ?」



ため息と共につい出てしまった言葉は、僕にとっては何でもない、
ただの言葉の綾というか…、本当に何気無く口をついたものだったんだけど。

はぁーっと伏せた視線をチラッとあげると、そこにはさっきまでのおどけたような浮ついた表情はどこにもなくて、
僕に言いよってきてはすぐに別れる!とか言う女の子たちのあの表情と同じような、
とても悲しそうな顔で口から漏れる息さえもグッと飲み込んで耐えているような名前ちゃんがいた。



「ぁ……、」



その表情を見て、今までだったら何とも思ったりなんてしないで、泣きたければ泣けばいいでしょとか普通に言い放っていた僕なのに、やっぱりそんな僕でも相手が名前ちゃんともなるとそういうわけにもいかなくて、
ましてやいじわる言うつもりで言った言葉じゃないから余計に僕の心は焦ってしまって…。



「ご…、ゴメン名前ちゃん!僕そんなつもりじゃ…」



言いかけた僕の言葉に被って遮ったのは思いの外明るい声色で、



「あはっ!そうだよね!誰だってこんな傷だらけより綺麗な女の子の方がいいもんね!でも心配ないよ!こんな傷なくたって私みたいな子お嫁にしたいなんて言う人いないから。大丈夫!」



グッと親指を立てて力強くウィンクを見せつけると「お風呂入るね〜」と階段を駆け上がってパタンと閉まる部屋の扉の向こうへ姿を消してしまった。

さっき見た表情は幻だったのかとさえ思えるくらい打って変わって明るい表情で、昔よりも幼さを感じさせるくらい陽気に振舞っているようだけど……。


僕は、昔のいつもにこにこ優しく微笑んでいる穏やかな印象の名前ちゃんしか知らなかったけれど…、
もしかしたら名前ちゃんは、幼かった僕にはわからないように、
本当はずっとあの傷のこと、気にしていたのかもしれない…。


僕が付けた傷。


僕が気に病んでしまうかも知れないと思って、『大丈夫だよ』『総ちゃんのせいじゃないよ』って…、ずっと笑顔で、

傷なんてそんなのなかったかのように、気にする素振りなんて一度も見たことなかった。

あんな風に傷痕が残ってしまっていたら…、

いくら幼かったって言っても、
いくら九つも年が離れた名前ちゃんが優しく微笑んでくれていたとしても…、



僕は名前ちゃんの優しさに甘えすぎていたんだ…。



それなのに…、

僕は体に残る傷ばかりか、名前ちゃんの心まで深く傷をつけてしまった。
いくら無意識だったとしても、きっと言われた名前ちゃんにとっては体の傷のようにいつまでも消えることなく深く記憶に残ってしまうに違いない。


だって、僕が知ってる名前ちゃんは、あんな風に自虐的に笑ったりしなかったから。
会っていなかった七年間の間、
もしかしたら同じように心に傷を追ってしまうような出来事があったのかもしれない…。

僕は……、

どうしたらいい…?


つけてしまった傷を綺麗に消してあげられる事なんて、

そんなこと、できるのかな?



この数年間…、
傷がついてから数えたら10年以上…。

そんな長い間、誰にも言わずに自分の中でコンプレックスとして抱え込んでいたとしたら…。


同じ時間、そんな事すら思いもしないでのうのうと生きてきた僕に、
名前ちゃんのキズを癒すなんて、そんなことできるはずないよ…。
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