僕のおねえさん
□9.
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☆★克服?★☆
目を閉じると恐怖しかないと思ってた…。
だけど、目を開けていたって見える世界のあちこちに
見たくない現実が、用もないのに、呼んでもないのに寄ってきては私を苦しめる……。
私はどうしたらいいの?
目を開けていても閉じていても、どうすることもできない恐怖を、
どうしたらその恐怖を感じることなく過ごせるの?
「……ぃ、あんた、大丈夫か?」
頬をピタピタと軽く叩かれていることに気が付いて、ぼんやり見えた黒い視界には優しいお月様の光と散りばめられた小さな星の光が見えて、黒いのは夜空のせいか…。
なんて視線を左右に動かしていると、次第に頭の中もはっきりとした意識を取り戻し、同時に両方のこめかみがガンガンと痛みを伝える。
その痛みと共に、お月様の光を背負った逆光の人影が視界に入る。
その近さになかなかピントが合わなかったけど、ようやくはっきりと見えたときには、私はその綺麗な顔立ちの男性にお姫様のように抱きかかえられて、頬に手を添えられていると認識してしまった。
そんな状況を認識してしまったら、もう今の私はただただ、焦る事しかできなくて、慌てて男性の腕から逃げ出そうとする。
すると突然伸びてきた男性の腕に頭を抱え込まれてあっという間に私の視界は再び真っ暗になる。
だけど、目を閉じた時に浮かんでくるあのいやらしい笑い顔は出てこなくて、
代わりに感じるのは優しく落ち着くような香りと、
この男性の心臓が刻む鼓動のリズム…。
この音を聞いてると、なんだかとても落ち着いて、嫌なことを思い出さないようにしてくれるみたいで、
見知らぬ男性に抱え込まれているって言うのに、
こんなに落ち着いていられる自分が嘘みたい…。
私…、やっぱり男性恐怖症とかじゃないんだ…。
そんな風に思わせてくれる、不思議な音。
ずっとこの音を聞いて安心していたいと思うと、私の手は知らないうちに男性の胸元のシャツをきゅっと握りしめていた。
「大丈夫か?」
どれくらい、この人の胸の鼓動を聞いていただろう…。
私の様子を伺うように静かに囁くような声が耳元で響く。
本当はもっとこの落ち着くリズムを聞いていたかったけれど、
ハッと思い返してみれば、この人は全くの初対面で、こんな風にいつまでも甘えていてはご迷惑だと気付く。
「ごっ!ごめんなさい!見ず知らずの方に、こんなご迷惑をっ!」
バッと男性から離れて勢いよく頭を下げる。
「いや、迷惑とかそんなことはどうでもいい。出血の量が多かったからな。もう気分は平気か?」
男性はどうやら私がパニックを起こしたのは出血が原因だと思っているみたいで、とても心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
彼の前髪から覗く瞳は、今日の夜空と同じように優しい光を湛えていて、深い紫紺の瞳が私のざわめく心臓を落ち着かせてくれるような、そんな安らぎを与えてくれる。
彼の手が私の肩に置かれているってわかっていても、それに対して嫌悪感を抱くとかそんな感情の震えは全くなくて…、
さっきまであんなに男の人が怖いと思っていたはずなのに…。
この人のおかげで、私は何か変われたんだろうか…。
男性は私をベンチに座らせると、地面に落ちたハンカチを拾い上げ「ちょっと待ってろ」と言って水 飲み場の方へと歩いて行く。
言われたとおりベンチに座ってぼんやりと噴水の水を眺めているとすっとその視界に水を含んだハンカチが差し出された。
「?」
その手を辿って見上げると、男性が「これで血を拭け」と言って私の手の上にハンカチを乗せた。
そこで初めて自分の手や腕が血で汚れていることに気が付いて、ハッと目の前に立つ男性を見れば、男性のスーツやシャツも私の血で汚れてしまっていた。
「すっ…!すみません!わたし…、どうしよう!弁償します!弁償させてくださいっ!」
勢いよく立ち上がって男性の服をひっつかんで男性の顔を見上げると、男性は一瞬目を丸くしたけれど、すぐに苦笑いを浮かべて、大きな手で私のおでこから頭にかけて鷲掴みした。
「っ!?」
いきなり視界がその人の手首で隠されて、ものすごくびっくりしたけど、鷲掴みされたちょうど親指と小指がさっきからドクドクと脈打つこめかみを抑えてくれてなんだか気持ちいい。
「いきなり立つな。またぶっ倒れるぞ」
そう言ってくれるこの人はなんて優しい声をしてるんだろう。
言葉はぶっきらぼうにさえ思えるような、私の周りにはいないタイプの突き放すような物言いなのに、
なぜか暖かみを感じるのは、言葉には表れないこの人の感情がこの声に含まれているからなんだろうな…。
最初は男性に対する恐怖でいっぱいだったから、突然大きな声で寄ってこられて本当に怖かったけど…、
この人は大騒ぎする私が落ち着くまでずっとそばにいてくれた。
落ち着くことができたのもこの人が優しい声でゆっくり「大丈夫だ」って何度も語りかけてくれたから…。
ズキズキというこめかみを抑えられて、その気持ち良さに目を閉じていると、フッと短く笑う声。
「?」
その声にパチっと目を開けると、
「立ったまま寝るなよ」
と頭をポンポンと叩かれた。
「すっ!すみません!」
ハッと気付いて男性の服から手を離して口元を抑えると、さっき渡されたハンカチがひんやりと冷たくて、さらにハッと男性の服を見れば、私がつかんでいたところがハンカチの水分を含んで濡れてしまっていた。
「あぁぁああ!すみませんすみませんすみません〜〜〜!!べべべべ弁償します〜〜〜!」
無我夢中でもう頭の中はそれこそパニック状態で、男性のスーツの上着を引っ張ると両手を掴まれ、ハッと顔をあげると真正面には男性の顔。
「いいから、とにかく血を拭け」
そのままベンチに座らされて、手を離すのと同時にハンカチも持っていかれてしまった。
「こんなとこで女に服脱がされるなんてごめんだぜ」
笑いながら私の汚れた手をハンカチで拭きながら言う彼の顔を見てかぁっと頬が熱くなる。
「そ……、私、そんなつもりじゃ…」
「そんなつもり?」
視線だけを私に向けて言う彼の表情はニヤリと笑ってなんだか私をからかっているようで、
「っ!も…、もぅ!いじわるですね!」
真っ赤になった私を見てくっくっと肩を揺らして笑いながらそのまま私の腕へとハンカチを滑らせる。
私の腕を拭く彼の横顔を見つめて、さっきのニヤリと笑った表情を思い浮かべる。
同じニヤリという表現の顔でも、まるで別物…。
同じ初対面の男の人なのにどうしてこんなに違うんだろう…。
あの男の子たちとこの人と、何が違う…?
お酒?
場所の雰囲気?
囲まれた恐怖もあるかもしれない…。
じゃあ、この人も、今はこんなに穏やかだけど、ああいう場所でお酒が入ったら…?
逆にあの男の子たちもこうして落ち着いた雰囲気だったら…?
そんなことを、ぼんやりと考えているとハンカチが腕から離れ、首元にヒヤリと当てられた。
「っ!?」
突然のことに思考が現実へと引き戻される。
「悪い、沁みたか?」
私の跳ねた肩の動きに合わせて彼も弾かれたようにハンカチを持つ手を私から離す。
「い、いぇ…、大丈夫です」
痛くはなかったからついそう言ってしまったけど、
なんでもう一言言えなかったかな、私!
私が大丈夫って言ったから、また私の首元に伸びてくる男性の手。
自分でやりますって、もう一言言うだけなのに…。
言えなかった私が悪いんだけど、
男性にはそんな、私が思うような他意はないんだろうけど…。
伸びてきた手はそのまま引き続き首元に当てられて、傷口に触れないように周りについた乾いた血の跡を拭き取っていく。
優しくそっと拭き取ってくれているのに、私の動悸は早くなる。
他意はない。
この人はそんな人じゃない。
ぎゅっと拳を握ったのと、ハンカチが鎖骨から下に滑ったのと同時にそこで男性の動きが止まった。
「……?」
拳から男性へと顔を向けるとハンカチを持つ手元を見ていた男性も私の顔に視線をあげてパチっと目が合う。
「……後は、自分で……。」
そういうと男性はハンカチを私の手に持たせて立ち上がり、さっきと同じように「そこで待ってろ」と言って離れて行った。
突然の事で少し驚いたけど、あのまま先に進まれなくて良かったと思う安心の方が大きくて、どうして彼が突然手を止めたのかまで、
そこまで深く考えるまで思考が回らなかった。