平助の母親
□70.
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一時間目の授業を終えて職員室に戻れば、にこにこ顔の近藤さんがパソコンのディスプレイに食い付くように校長席に座っている。
俺が戻ってきたことに気が付くとディスプレイから顔をあげて傾けていた姿勢を戻すと俺を呼ぶ。
「トシ!トシ!」
「なんだよ近藤さん」
「昨日はあれから苗字さんは大丈夫だったのか?随分酔ってたみたいだったからなぁ。」
少し飲ませ過ぎてしまったかなぁ…と申し訳なさそうにディスプレイを見つめる。
そんな近藤さんを机越しに見下ろして、いったいなに見てやがるんだと思うがそれについては何も言わないでおく。
「……、いや、あいつあの後高熱出しちまって…」
「何っ!?」
ガタンと勢いよく立ち上がり椅子が背後の壁に大きな衝撃音をたててぶつかる。
「…近藤さん……!」
「あ、…いや、すまない…。それで苗字さんは?大丈夫なのか?」
今にも名前の家に飛んでいってしまうんじゃないかと思うほどの狼狽えようだ。
「あぁ、昨晩は酷くて俺も送り届けたはいいが心配で…」
その先を言うのが少し憚られたが、相手は近藤さんだ。
「帰るに帰れなくて、平助に頼み込んで朝方まで看させてもらっていた。朝には熱も下がったようだったからそのまま帰ってきたんだが…。平助の話によると朝出てくる時間になってもまだ起きてなかったらしい。」
そう言うと近藤さんは少しだけ目を丸くしたが、
「そ、そうか。そうか。熱が下がったのなら、よかった…。」
そう言って椅子に腰かける。
「平助や名前の話だと一晩寝れば治るらしいんだが…」
まだ落ち着かない様子の近藤さんに言ってやれば、眉を下げて俯き、
「熱があるなんて気が付かなかったなぁ…。あんなに側で見ていたのに…」
物凄く悲しそうな表情で反省しだした。
「あのあと、松平社長と酒を飲み交わしていろいろ近況報告なんかをしていたら急に苗字さんと原田くんの寸法を測るのを忘れたと言い出して大慌てでねぇ…。山南部長に苗字さんのケータイに連絡してくれと大変だったんだよ…。山南部長も個人の連絡先は登録していないって焦って会社に戻って調べて連絡すると言って戻って行ったんだが…。そんな大変なときに連絡させてしまって悪かったなぁ…」
近藤さんの嘆きの言葉で、そういえば後部座席に転がっていた名前のスマホの着信ランプが点滅していたようなしていなかったような…。
思い返してみるが、そこまで注意深く見てなかった。
なんにせよ、そんな着信で名前の眠りを妨害されなかった事がせめてもの救いだな。
「そんなに近藤さんが落ち込むことじゃねぇよ。あいつはそりゃもうぐっすりだったから。明日にでも職場で聞きゃぁ問題ねぇだろ」
そう言って近藤さんの机から離れて自分の席につく。
10時前か…。
熱が下がってるならもう起きてるだろうか…?
名簿を開けばすぐに目につく苗字の文字。
俺にとって特別な文字として、どんなにたくさんの文字の羅列に埋もれていたとしても瞬時に見つけ出すことができる。
名前の固定電話をダイヤルすれば受話器から聞こえる呼び出し音。
だが、いくら待ってもその音が途切れることなく遂には予鈴が鳴り響く。
時間切れか…。
まだ起きれねぇでいるってのか…?
本当に一晩寝るだけで治るのかよ…
あれだけの高熱に魘されたんだ。体力も相当消耗しているだろう…。
誰かが側について栄養あるもん食わせてやらなきゃなんねぇんじゃねぇのか?
そう思うとチラリと脳裏に浮かぶ姉貴の笑顔。
そういえばガキの頃、滅多にひかない風邪で寝込んだとき、
姉貴が看病してくれてたな…。
あのとき姉貴が作ってくれたのは………。
受話器を置いて笑みが漏れる。
俺がやるより千鶴がやるだろう…。
繋がらなかった事に多少の心配はあるが、朝俺が最後に見たときと同じように安らかな寝息をたてて少しずつでも回復に向けて眠っていてくれることを祈り二時間目の授業へ向けて席を立った。