平助の母親

□56.
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オレがふっと力が抜けたように笑ったとき、コンコンと小さくドアをノックする音が聞こえた。


「あ、はい」


千鶴が立ち上がって返事をするとカチャとドアが開けられて、開けた本人が「ぬぉ!?」と驚きの声を上げる。


…ぬぉって……………。


「こんな真っ暗な部屋で話してたのかい?ビックリするじゃないかぁ!」


部屋に入ってきたのは校長先生で、まだ電気をつける前なのに部屋の中の空気がぱぁっと晴れるように明るくなった。

それから千鶴が部屋の電気をつけて、部屋ん中に校長先生が入ってきて、オレのベッドの上に転がっていた週刊マンガの雑誌を見つけると、

「オレも子供の頃、読んでたなぁ」

と言ってそれをオレの足元に置くと、その上に持ってきたお盆を乗せた。


校長先生が持ってきたのは、いつも千鶴と宿題を始めてちょっとすると、母ちゃんが頼んでもいねえのに持ってきてくれる牛乳が入ったコーヒーで、

オレがまだ幼稚園児だった頃からこうして夕飯のあとにはかぁちゃんが入れてくれた牛乳たっぷりのコーヒーを飲むのが当たり前になっていた。

……、
ガキの頃はコーヒーじゃなくてミロだったけど………。

いつからか記憶にないけど、ミロからコーヒーに変わったのはなんか意味あんのかなぁ?とお盆に乗ったコーヒーを見つめる。


オレが見つめている間にも左右からマグカップが持っていかれてそこに残ったのはオレの牛乳たっぷりのコーヒーだけ。

校長先生のは真っ黒なブラックコーヒー。

千鶴のはかぁちゃんが「千鶴ちゃんに!」って嬉しそうに買ってきたなんか知らないけどふわふわの熊とアヒルとウサギの絵がついた、
柔らかくて優しい千鶴のイメージにぴったりのマグカップ。
中身は多分オレと一緒の牛乳たっぷりのやつ。

残ったオレのは前にパンのシールを集めてもらった!とかいって嬉しそうに出してきたリラックマのマグカップ。

牛乳たっぷりな上に、ミロみたいに甘いのに、香ってくる匂いはいっちょまえのコーヒーのにおいでさ…。


なんか大人と同じもんなのに、まだまだ砂糖と牛乳が必要なオレって…、

まだまだお子さまなんだよなぁって
マグカップを見つめながらおもう。



「はぁ、やっぱり苗字さんの淹れてくれるコーヒーはうまいなぁ」

校長先生の声に視線を上げると、マグカップを顔の前に持って満面の笑みの校長先生。

「名前さんのコーヒーって?」

千鶴がマグカップを両手で大事そうに持って校長先生に尋ねると、

「オレの車を買った販売店に、この四月から苗字さんが勤めはじめてねぇ、それまでは余りショールームには行かない質だったんだが…、なんでだろうなぁ…、初めて苗字さんがオレの電話に出たとき、直接会ってみたいって思ったのがショールームに行くきっかけだったのかもなぁ…」

マグカップの中の真っ黒なコーヒーを見つめながら話し出す校長先生をオレらふたり、黙って見つめる。


「実際はショールームに行く前にどうしても会ってみたくて待ちきれずに
原田くんに頼み込んで学校まで連れてきてもらってしまったんだがな、」

ハハハと頭の後ろに手を当てて豪快に笑う
校長先生に、どんだけだよと呆れるオレとくすくす笑う千鶴。


「電話で聞く声や、ブログで見る苗字さんの写真である程度どんな女性なのかわかってはいたんだが、やはり実際に会ってみるとそれは思ってた以上に素敵な女性でねぇ、学校に来てもらってからすぐだと言うのに、ショールームに行く日が楽しみで楽しみで…」

「その時だな。ショールームに行った日、トシと苗字さんが初めて会ったのは…」


オレの顔を見上げてふっと優しく微笑んで、オレのマグカップを差し出す。

それを受け取って、立てた方膝の上に乗せるように持つと、また校長先生は話し出す。

「……、トシはなぁ…、昔っから頼りないオレをそばで支えてくれてて、
いつもいつも目をつり上げて生徒の嫌われ役をして、眉間に皺を寄せては忙しそうに夜遅くまで残業して…。」

「正直、そんなトシを見るのが辛いと思っていたんだ…」


そう言った時の校長先生は、さっき千鶴がしたみたな無理矢理の笑顔で、どれだけ校長先生が土方先生の事を心配してるのかが伝わってくる。


「そんなトシがな、ショールームで向けられた苗字さんの笑顔でどんどん変わっていくのがオレにはすぐにわかったんだ。その時のオレは嬉しくてねぇ…。そんな気持ちで飲んだ苗字さんのコーヒーの味は、これまで飲んだこともないくらいうまいコーヒーだったよ」


ホントに嬉しそうに笑いながらしみじみとコーヒーを飲む校長先生を見ながら、オレもひとくち口に含む。


うめぇ…。


ちょうどいい具合に冷めてて、梅雨時の生暑苦しい季節だってのに、この少し冷めたコーヒーのひとくちが、一気に飲めるアイスコーヒーなんかより、じわじわと体に染み込んでいくみたいでうまい…。


じわじわと染み込んでくるのはそれだけじゃなくて…、

さっき千鶴が言ってた事や、校長先生が話してたかぁちゃんと土方先生のこと、



それから…



かぁちゃんを優しく励ます土方先生の眼差し………。


その前に、オレに「感謝しろよ」って言ったときの土方先生のあの瞳も、かぁちゃんに向けたのと同じくらい優しかった…。





土方先生が変わったんじゃない…。



オレがしらなかっただけで、本当はそういう人だったんだって気が付いた。


かぁちゃんが…、

校長先生にも見せない本当の姿を、
かぁちゃんが解放させたんだ…。


土方先生に泣きつくかぁちゃんも、きっと本当の、強がったり無理して笑ったりしてるかぁちゃんじゃなくて、
誰にも言えなくてしまいこんでた気持ちとか、本当に弱いとこも全部さらけ出して、心から土方先生を頼ってる姿なんだ…。


二人ともがお互いに、誰にも見せずに強がってた部分を解放しあって支えあっている…。





………。





なんかオレ…、

わかった気がした。




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