平助の母親
□55.
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「………、平助くん……」
自分しかいないと思ってたのに、オレのすぐ横から千鶴の声がしてバッと枕から顔を上げて起き上がる。
目の前にはベッドの横に座って手をかけて、
オレの顔を見上げる千鶴の顔。
真っ暗な部屋のなかで、外の街灯がぼんやりと照らすの僅かな灯りでしか確認できないけれど、
やっぱり千鶴の顔は思った通りの困り顔で、
予想通りのはずなのに、そんな千鶴になんて言えばいいのか全然わかんねぇ。
わかんなくて千鶴から顔を逸らせてそっぽ向くと、千鶴から先に話し出した。
「………、平助くん…、怒ってるの…?」
何を言い出すかと思ったら小さな声でそんな事を言い出す千鶴に訳もなく怒鳴ってしまう。
「っ!!怒ってなんかねぇよ!!」
「…っ、じゃぁどおして…」
「………!怒ってねぇけど…、意味わかんねぇんだよ…」
オレの怒鳴り声に千鶴も膝立ちして声を出すけど、オレが意味わかんねぇって言うと千鶴もまた腰を下ろして視線も下ろした。
「意味わかんないって…、名前さんの事…?」
小さな呟くような千鶴の声。
「……、それもそうだけど…、千鶴も…、よかったとかって言って……。なにがよかったのかとか…、マジ意味わかんねぇよ…」
ベッドの上で壁にもたれて頭をかきむしる。
そんなオレを見上げて、それからまた視線をベッドの上のオレの足に下ろす千鶴。
「……………、私ね、」
しばらくお互い黙っていた空間に、千鶴の声が沈黙を破る。
「私…、ちいさい頃から平助くんと一緒に名前さんを見てきて、いつも笑ってる名前さんしか見たことなかったの…」
話す千鶴の顔に視線だけ向けると、千鶴は床にぺたんと座って膝の上に乗せた両手を見つめるように俯いている。
ぽつりぽつりと話す千鶴にオレは自然にそっぽ向いていた顔を正面に向けて千鶴の声を聞いていた。
「名前さんはいつだって笑顔で私たちに接してくれて、いつも私を安心させてくれてた。いつも励ましてくれてたの。」
「だけど私ね、気づいたの。」
「名前さんがいつも笑顔だったのは、私たちに不安な思いを見せないための笑顔なんだって…」
そう言った千鶴がバッと顔を上げるからオレの視線が千鶴に捕らえられてしまった。
「っ!!」
「平助くんは見たことない?」
「な…、何を…?」
「名前さんが本当に不安で困ってるところ…」
そう聞かれて思い付くのは、ばぁちゃんが死んでしばらくしてからの、家計簿を見つめてはため息をついてるかぁちゃんの背中くらいのもんで…、
それ以外、本気で不安な表情なんて…、
ましてやさっきみたいに子供みたいに泣きじゃくるかぁちゃんなんて見たことも、想像することすらなかった…。
千鶴の問いかけに声すら出せずにだまっていると、また千鶴は視線を手元に下ろして話し出した。
「私は、ママがいなくなって…、パパとも滅多に会えなくて…、家族がバラバラになって、ほんとはスゴく寂しかったの…。」
「…………。」
「だけどね、そんな寂しい気持ちの時は、いつだって平助くんが明るい笑顔で助けてくれていたんだよ?」
その時顔を上げた千鶴は下がった眉毛で、なのに無理矢理笑ってて…
「私が寂しかったり悲しかったり不安な気持ちの時には、必ずそばに平助くんがいてくれた。私の気持ちを支えてくれた。それだけで私は嬉しかったの」
「……、千鶴…」
「でもね、ある時思ったの。いつも笑顔の名前さんは、不安なときどうしてるんだろうって…」
そう言った千鶴の目は真っ直ぐにオレの目を見ていて、オレの奥まで貫くような強さを秘めた瞳をしていた。
「………、そんなの……、考えたこともねぇよ…」
その瞳の強さに、逃げるように視線をそらして窓の壁へと顔を逸らす。
「…私ね、思ったんだ。初めて土方先生が名前さんをここに送ってくれた日…、初めて四人でご飯を食べた時…。
あの時、最初はみんなが緊張して、ご飯の味もわからないんじゃないかってくらいドキドキしてたのに、帰る頃には何て言うのかな…。家中の空気が穏やかで暖かくて…。まるで名前さんの笑顔がそのまま家を明るくしてるんじゃないかって思って…。
もちろん、いつもの名前さんの笑顔も暖かいんだけど…、何て言うか…、土方先生がいるときの名前さんは、本当に心の底からフワッとしてるって言うか…、安心して心を許してるように見えたんだ…」
………。
千鶴の言ってることはなんとなくわかる…。
かぁちゃんが俺たちに笑った顔しか見せない理由だって…、
だけど、
「だけど、…なんで土方先生なんだよ…」
オレの呟きに目を丸くしてオレを見つめる千鶴。
「……、じゃあ…、土方先生じゃなくて、原田さんだったら平助くんは納得するの?」
千鶴の問いかけに今度はオレが目を見開く。
「な!?…なんでそこで左之さんなんだよ……」
「……、だって…、平助くん、前に原田さんだったら名前さんのこと、預けてもいいって…」
「違っ!!そういう意味じゃねぇよ!あれはキャンプに連れてってもらうのに、安心して預けられるって意味で…、そんな深い意味なんてねぇよ!!左之さんだってかぁちゃんみたいな三十半ばのオバサン任されても困るつーの!!」
勢いよく言えばなぜか千鶴は口に手を当てて笑ってて…
「じゃあ、どうして土方先生じゃダメなの?」
くすくす笑いながら肩を揺らす千鶴を見ていると、どうしてこんなにムキになっているのか自分でもわかんなくなってきた。
「ダメっつぅか……、なんか意外すぎて意味わかんねぇんだよ…」
ポリポリ頭をかいて答えれば、ふふっと楽しそうに笑う千鶴。
「……、なにがおかしぃんだよ……」
ジロッと見下ろせば、笑いながらゴメンゴメンと肩をすくませてまた笑う。
「私がね、よかったって言ったのは、名前さんが本当に心から安心できる、頼れる相手と巡り会えたと思ったからなんだ…」
そう言った千鶴は、もうおかしくて笑っている顔じゃなくて、
本当に千鶴が安心して微笑んでいる顔で…
そんな優しい眼差しでオレを見上げて笑うから、
なんだか意味わかんねぇとか言って逃げ出した自分がおかしくなって、気づけばオレの肩の力も抜けて笑っていた。
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