僕のおねえさん
□82.
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カラン…
テーブルの上に置き去りになったグラスの中で氷が音を立てる。
ついさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った部屋には時計の秒針を刻む音がやけに響く。
総司のことば…
あいつの顔…
俺のしたことであいつが傷ついたって…
一人になった部屋でただ呆然と立ち尽くす。
総司の捲し立てたことばの数々に圧倒されて正直なんのことだか理解できずにいたが、こうして改めて静かな空間で思い巡らせて気付く。
あいつからの初めての連絡…
たったひとこと、僅かな文字数に込められたあいつの思いが今更になって漸くどれだけのものだったのか。
初めての誘いを断られたあいつは一体どんな顔して総司に話したのか…
自分のしたことであいつが傷ついた…
今まで他の女に対して同じようなことなんて数え切れねぇほどあったのに…
たかが誘いを断ったくらい…
何度だってあったはずなのに…
今までして来たことと比べりゃまるでたいした事でもねぇってのに…。
それなのに、
なんなんだこの気持ちは。
実際あいつの傷付いた顔なんて見てもいないのに、俺がそんな顔させちまったのかと思うと後悔の思いが息を重く詰まらせる。
あの時…、
たいした仕事を抱えてたわけでもねぇのに…
あいつが
名前が大鳥や新見、芹沢たちと新しい世界を築き上げて行く様子を見て、
俺はなんとも言えない感情に覆われていた。
芹沢や大鳥の前で見せた仕事の顔。
そこに立ち入ることのできない俺は、わざわざ職場をほっぽり出して駆けつけた事がやたら馬鹿らしくなってその場を立ち去った。
自分の感情なのにどうしてあの場に駆けつけたのか、
何が気に入らなくてさっさと立ち去ったのか…
『会えませんか?』
どうしてあの時、あいつの気持ちも考えずに断ったのか…。
全て自分の行動なのに何もかもがわからねぇ。
ただ、あいつが絡んだ事になると、普段の自分の行動とは思えないほどの速さで駆けつけたり会いに行ったり、
あいつの顔を見て、
声を聞いて、
………
…………、
…ただの、独占欲か。
新八や原田に背中を押されてあいつが困ってるんじゃないかと駆けつけてみたが、困っているどころかあいつは俺がいようがいなかろうが関係なくしっかり自分の仕事をしている。
自分の職場を放り出してまで駆けつけた自分自身がわけもなく馬鹿らしくなって…
全部俺自身の感情じゃねぇか。
わけもなく積み重なった不満に似た感情に任せてあいつからの誘いを断って…
俺のガキみたいな感情があいつを傷付けた。
そんな思いを巡らせていると、ふいにケータイが振動し着信を知らせる。
「…もしもし」
『おぉ、トシ。さっきのデータ、ちゃんと届いたぞ!内容も問題ないからこのまま次の教育委員会議で使わせてもらうぞ!それでだな…』
ぼんやりとした手つきでケータイを手に取り耳に当てると近藤さんの勢いある声が弾む。
「悪い近藤さん」
『ぉ?』
「今日はこのまま上がらせてくれ」
『んん?ぉお!?ど、どうしたトシ!どこか具合でも悪くなったのか??』
「いや」
『声だって覇気がないじゃないか!大丈夫なのか!?』
「悪い。頼んだ」
近藤さんの言葉尻に被せるように告げると、まだ向こうで声を上げるケータイの通話を終了する。
また職場を放棄してしまったと一度大きくため息をついたが、すぐに壁に掛けられた時計に視線を上げる。
職場に戻るつもりのねぇ俺はそのままカバンを置き去りに家を後にした。
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