僕のおねえさん
□69.
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☆★おねえさんの居場所★☆
「ねぇ、最近名前ちゃん、お店に来てないの?」
「え…?」
総ちゃんと二人、晩御飯を前にいただきますの挨拶をしてからすぐに総ちゃんから訊ねられる。
あれから…、
お店に井上君が現れ、ちょっとした騒ぎを起こしてしまったあの日から私の勤務形態が少しだけ変わってしまった。
あれから数日間はいつも通り毎日同じようにお店に出ていたんだけれど、度々現れる井上君の存在に日に日に悩まされる私の様子を気遣ってか、島田さんが大鳥部長へ相談したのがきっかけ。
それからというもの、私の出勤は午前中のお弁当の仕込み時間だけ。
四時間目の授業が始まって程なくすると、事務所から内勤スタッフが来て私と交代でお店に立つ。
私は内勤スタッフが乗ってきた車で事務所に帰り、翌日の食材の手配だったりとか、その他諸々の事務作業をするようになっていた。
学校に着けば狭いワゴンの中での仕込み作業。
休み時間になれば、開店当初ほどではないけれど生徒たちのドリンクの注文を受け島田さんと協力して捌いたりで相変わらず休む暇なんてないくらい忙しくて充実している。
この仕事に不満なんてないけれど、欲を言えば午後のお店にも立ちたいなって言うのはある。
午後からの業務は午前中とは違ってカフェがメインになるから、コーヒーのご注文を受ける楽しみがあるから。
だけど、今はいつも午後になると立ち寄ってくれるきれいな女性のお客様とも会う機会がなくなり、最後にあのお客様に会ったのはいつだったかなぁ〜とぼんやり物思いにふけ込みながらお鍋を見つめることもある。
そんなふうに私が少しでもはぁっと息をつけば心配そうに呼びかけてくれる島田さん。
私…、やっぱりご迷惑かけてるんだなぁ〜って深々と思う。
「僕のクラスの奴らがさ…、」
ここでもまたぼんやりとしてしまったのか、総ちゃんの声にハッと顔を上げる。
そんな私を見て総ちゃんは、やれやれって感じの顔で眉毛を下げて笑うと肩をすくめて話を続ける。
「せっかく早く登校して朝予約しても、名前ちゃんいないんじゃお弁当買う意味がないって嘆いてたよ」
「え〜?」
「なんか最近は島田さんともう一人男の人がいるって…。このまま男二人の弁当屋になったら学校来る楽しみがなくなるって。」
「あはは、おおげさ。」
正直、本当のこと言うとそんな風に言ってもらえること自体、ものすごくありがたいことなんだって分かってるんだけど、逆に私には少し負担というか…。
私なんかに会ったってなんにも面白いこともないのに、とか思ってしまう。
そして、そういうことを言われれば言われるほど表には出たくなくなるというか…、
もうこのまま内勤スタッフとして本当に交代してしまってもいいとさえ思ってしまう。
「…あれから、土方さんとは会ってないの?」
突然総ちゃんがなんの前触れもなくその名前を出すもんだから、咀嚼途中のご飯を吹き出しそうになる。
「っ!…ぐ…っ!ごほっ!ごほっ!」
「ちょっと…、汚いなぁ」
目の前のお皿を避けた後、ものすごく嫌そうな表情で苦しむ私の前にお茶を差し出す。
それをなんとか胃の中に流し込んで深呼吸する。
「突然どうしたの?そんなにむせちゃって」
「と…、突然どうしたのって…、総ちゃんが…」
「ん?」
ん?って…。
何その言わせよう感満載の笑みは…。
「総ちゃんこそ…、なんで突然土方さんとか言うの?」
ようやく落ち着きを取り戻し空になったコップを置いて正面に座る総ちゃんを見れば、真意の読めない顔で頭を傾けてる。
「別に?」
「べ…、別にって…」
「まぁ、名前ちゃんに聞かなくてもわかってたんだけどね」
「え…?」
「だってあの人すぐ顔に出るから」
くすっと笑いながらおかずをつつく総ちゃんの伏せた眼差しに首を傾げる。
顔に出るって…。何が?
ていうか土方さんとは会うどころか朝の挨拶すらずっとできずにいる。
毎朝変わらず予約分の売り上げを持って来てくれるけれど、私が出て行かなければ顔を合わせることもないし、お昼休みになる頃には私はもう事務所に戻っているから、
だから前みたいに体育館の裏で会うことももうないんだ…。
「名前ちゃん」
「?」
総ちゃんの呼びかけに顔を上げる。
私またぼんやりしてた。
「名前ちゃんも大概顔に出るよね」
「…え?」
私の顔を見てくすっと笑う総ちゃんはそれ以上何も言わなくて、ゆっくりとご飯をよく噛んで食べた後、お行儀良く手を合わせてごちそうさまでしたと言うと自分の使った食器を重ねて流しへと持っていく。
「僕にはさっぱり理解できないけどさ、土方さんと一緒に俳句の本見てる時の名前ちゃんは…、なんかキラキラしててすごく楽しそうだった。でも今は…、なんだか元気ないみたい。」
「え?」
ジャーっと蛇口から流れる水の音に紛れるように呟く総ちゃんの声に振り返る。
「土方さんも…、」
そう言った後数秒口を閉ざしたけれど、何を思ったのか口の端を少しだけ上げてフッと笑って小さく首を左右に振る。
「土方さんのヒスは分かるけど…、名前ちゃんの元気のない原因はなんなのかなって思っただけ。」
「…………、」
水の流れる音が止まると同時に向けられる視線がジッと私を見つめる。
「…元気……、元気なくなんて、ないよ?」
姿勢を元に戻してテーブルの上のおかずに視線を向ければ背中の向こうでまた総ちゃんがくすっと笑ったのがわかる。
「ならいいけど。でも…」
カチャと音が聞こえ振り向くと、ドアノブに手をかけて扉を開け廊下へと出て行こうとする総ちゃんの背中が見えて、振り向きざまに一度切った言葉の先が続けられる。
「あんな風に笑う名前ちゃん、見たことなかったからさ。どうしてもあの時の名前ちゃんと比べちゃうんだよね」
「…………」
何も言えない私をさっきと同じ呆れた顔でため息を尽きながら笑うと「まぁいいや」と言って廊下に出て後ろ手にドアが閉められる。
完全に扉が閉まる直前、扉の動きが止まると、その隙間から「名前ちゃんのあの笑顔、また見れたらいいな」と聞こえたような気がした。